blood tree

 20歳の誕生日だった。
 絶縁状態とは少し違うが、戸籍上は兄でも何でも無い赤の他人であり、上司であり、血縁上では兄という面倒くさい関係である人物が自分を尋ねにやってきた。
 その日は母親と恋人が自分の誕生日を祝ってくれるところだった。
 正直、自分の誕生日は好きでは無い。
 13歳までは確かに愛しい日だった。
 それは兄が自分を大切だと、愛してるとうるさいくらいに言ってくれたからだ。
 けれど、棄てられたと思うようになってからは忌まわしい日へと変化した。


   どうして自分は産まれてきたのだろう、そう思った。
 朧気な記憶の中の父親に聞いても理解出来ない。
 母親に父親の事を聞く事はなかった。
 聞いても好きになれないと思っていたからだ。


 なのに、20歳の誕生日に兄が、1人の男を連れてやってきた。
「九々生紅二郎様でしょうか」
 その人が持ってきたのは十数年前に自分が意識することを忘れた人物からの置き土産だった。
 いらないと、言おうと思ったけれど、隣にいる母親に悲しそうな瞳と、それ以上に大切な人の声があったからだ。
「駄目です」
「涼太」
「単なる財産分与じゃなくて、これは紅二郎さんのお父さんが、紅二郎さんに渡したかった愛情だと思うんです、だから、」
 涼太は紅二郎が意外にも短気で、思慮深いようで実際は一瞬で物事を切り捨てる人間である事を知っていた。
 勿論、普段はそうではないが、自分の血縁についてはそうだ。
 母親のことを愛しているし、兄とは和解とまではいかなくても少しだけ重荷は取れた。それでも、自分の父親や血縁―――明宮家に対してはそうはいかない。
 だからこそ、涼太は手を握って「色々考えたからでも遅くない」と言った。
「……涼太」
「色々考えて、財産を放棄するなら何も言わないです。でも、すぐに放棄するのは、それは違います」
「……」
 愛されて育った君とは違うんだよ、と言うのは簡単だった。
 でも、それを言えば、自分を否定するというのは、涼太が愛してくれる自分を否定するということで、それは自分が唯一愛してる相手を否定することでもあった。
 それは、涼太を好きになって、彼を愛して、彼に愛されて学んだ事だった。
 本当ならばもっと早くに知っても良かったこと。
 それを誰も教えてくれなかった事に正直悲しみもしたが、同時に彼を教えて貰った喜びもあった。
 結局、涼太の言う通りに紅二郎は少しだけ考えさせてほしいとだけ言った。



「……紅二郎」
「……兄さん」
 一瞬、明宮さんとでも言えばいいだろうかと考えた。
 だって、まだ自分は英雄が必要の無い世界を作れていないし、兄のような英雄にもなれていない。
 けれど、、それを言えば自分も傷つく事は解っていた。
 自分が苦しいのは別に構わないが、自分をぞんざいに扱えば、涼太が傷つくから少しだけでも大切にしようと決めていた。
「これを」
「……これは?」
「父さんからへの手紙だ」
「……」
 そんなもの渡されても困る、と思った。
 もう一通、兄から母へ何かを渡されていた。
 兄も知らなかったその存在は、一緒にいた弁護士から貰ったものらしく、母親は戸惑いながらも受け取っていた。
 


「……開けないんですか?」
「涼太?」
 ベッドに寝転がって封を開けずに手紙を眺めていると、隣にいる涼太が尋ねてきた。
「手紙、開けないんですか?」
「……わからない」
「……」
「父の顔も覚えてないんだ」
 愛されていたのか、望まれて生まれたのかさえ解らない。
 自分は何の為に産まれたのか、生きていていいのか、存在を許されているのかさえ解らない。


 二つの脚で立って、
 両眼で世界を見て、
 両腕で手を伸ばして、
 ありとあらゆるものにふれて、みて、あるいても、それでも、未だに自分の存在が解らない。
 こんな自分でいいのかと
 そう思っていると、ふわりと抱きしめられた。
「涼太?」
「無理に好きになる必要はないんじゃないんですか」
「……」
「もしも、嫌だったら、明宮さんにお墓の場所聞いて、言いにいきましょうよ」
「……何を?」
 何を言うつもりなんだこの子は、と思っていると、
「え、『馬鹿野郎』って」
「……」
 きょとんとした顔で、当たり前のようにそう言うものだから。
「……」
「全部言えばいいんですよ、紅二郎さんは色々ため込みすぎなんです!」
「……」
「そして、全部紅二郎さんが言った後に、俺が言ってあげます」
「……何を言うんだ、涼太」
「解らないですか?」
「……ああ」
 何を言うんだろうと思って、先程まで沈んでいた気持ちが浮上して、ワクワクと心臓が高鳴る。
 いつだって、涼太はこうだ。


「―――俺と紅二郎さんを会わせてくれてありがとうございますって」

 どんなに自分が自分のことをきらいでも。
 どんなに苦しくても、悲しくても、辛くても、
 それでもその脚で―――追いかけて追いかけて、
 腕を伸ばして手を握って―――
 笑って、
 そしてその双眸で見つめてくれて、
 全て吹き飛ばしてくれる、『紅二郎』を肯定してくれる。
 涼太に会えたから、生まれてきて良かったのだと、
 君に会うために生まれてきたんだと思わせてくれるのだ。


「……」
 その声に紅二郎はビリッと封を切った。
「こ、紅二郎さん!?」
 余りにも思い切りが良かったものだから涼太が今度は焦った。
 こういうのは大事に切った方がいいんじゃ、と口にする涼太の声に笑いながら、紅二郎は手紙を取り出した。
 そして、紅二郎の目に映る手紙の一文目には―――――