そのぬくもりに救われる

「君を抱きしめてもいいだろうか」

 疲れていたから、という言い訳は一切出来ない。

 竹原や護に対しても甘えることのないように自分に言い聞かせていた。

 人には英雄が必要で、その為に弟や、親友の弟に恨まれてもそれでいいと、本望だと思っていた。

 でも、あの日、命を救われた時から、自分に憧れていたと一度は振り払った手を必死に伸ばす少年にだけ、元来の甘えを覗かせてしまうようになった。

「……え?」
 竹原に会いにきた帰り、司令部に帰ろうと歩いていると彼がいて、挨拶をする前にそんな言葉を発していた。
「……」
 周囲が凍り付くのが解る。
 ああ、何を言ってるんだ、と思うのもつかの間、目の前の少年がふわりと笑った。
「どうぞ?」
 多分、抱き心地よくないと思うんですけど、と願い出たのはこちらだというのに甘やかすように言うその言葉は余りにも魅力的すぎて、
「……っ」
「すまない」
「い、いえ」
 思い切り抱きしめると、馬鹿力が発揮されたのか少しだけ彼が顔を顰めた。
 慌てて壊さぬよう、離れないように優しく抱きしめると今度は笑ってくれた。
 日だまりの匂いを感じたくて、彼の肩に頭を乗せる。包むように背中に彼の手が回された。
「……疲れてるんですか?」
「……」
「ふふふ」
 何を言っても弱みになりそうで言えずにいると、彼が笑ってくれた。
「……遠野くん?」
「すいません、ただ」
「ただ?」
「人に頼るの下手なところ、ちょっと似てるから」
 彼がそう言うのが誰か解っていた。
「……似てるだろうか」
 母親が違う事もあって、似てると言われないのだが。
 だがそれで都合が良かった。
 幼かった頃の弟を思い出していると、また彼が笑う。
「ちょっと目元は似てるかも」
「……」
「あと、ちょっと強情で優しいところとか」
「……」
 私は優しくなんてない、と口を開こうかと思った。
 けれど、最初の時はともかく、今は彼に優しくしたいと思うし、こうして優しくされたいと思う。
「……君は」
「?」
 記章を渡したとき、彼に弟を託そうと思った。
 弟を、紅二郎の名前を出す時頬を赤らめる彼を見て、ああ、彼は弟を特別に思っているのだなと思えた。それでいいと思っているのに、時折、この子が欲しいとおもってしまう。
 これ以上、弟から何かを奪う事なんてあってはいけないのに。
「いや、君の恋はどうなったのかなと思って」
「え!?いや、えっと……」
 肩から頭をあげて、じっと彼の顔を見た。
「……いいんです」
「……」
「振られちゃうの、解ってますから」
 ああ。
 胸がずきりと痛む。こんなことあってはいけないのに、彼の前では弱い、自分の人間性が曝け出されていく。感情が欲しいとざわめくのだ。
「だったら」
「?」
「もしも、振られたら、」
 そしたら―――その時は、そう言おうとした瞬間、
「涼太!兄さん!!」
 大声で弟の声が聞こえた。
「九々生先輩」
 遠野くんが嬉しそうに笑う。
「また、涼太に変な事をして!」
「嫌がることはしてないが?」
「この前は、アイスを食べさせて貰って、その前は膝枕、一体兄さんは何しに此処に来てるんだ……」
「仕事だ。竹原と打ち合わせがあった」
「なら、涼太に変な事をする理由はないだろう!」
 そう言って、無理矢理遠野くんが引き離される。
「……えっと、すいません」
「涼太」
「明宮さんと会った時にすぐに先輩を呼べば良かったですよね」
「涼太……」
 犬耳が生えてる幻覚が見える。シュンとしたその顔はおそらく『兄弟の邪魔をしてしまった』と言いたげだ。
 紅二郎はあれからなんとか俺ともう一度仲良くしようとしてくれる。それが嬉しい反面、死んだ龍真に申し訳なかった。
 まぁ、龍真の弟にも『別に九々生と仲良くするくらい気にしない。それよりも遠野にちょっかいを出さないでくれ』と言われたわけだが。そんなに遠野くんに迷惑をかけているだろうか……?
「いや、涼太は何も悪くないんだ、ただ……」
「先輩?でも、明宮さんと……」
「それは気にしなくていいよ。それに、今はどちらかというと……」
 俺と紅二郎の時間を自分が取ってしまったと思っているのだろう。本当に優しい子だと思う。
 ただ、ちょっと鈍いと思う。
 もしも、もう少し鋭かったら、もうこうして甘えるのも出来なくなるし、その時は自分の失恋が決まってしまう。それが少しだけ辛くて指摘せずにいる自分は本当に酷い兄だ。
「とにかく、兄さんはもう涼太にちょっかいを出すのは辞めてくれ」
「……遠野くん」
「は、はい!」
「遠野くんは俺がこうするのは迷惑だろうか」
「いえ、全然大丈夫です!」
「涼太…」
 そう言ってから、あっとしまったような顔をする。
「で、でも、九々生先輩のほうが、俺なんかより甘やかし上手だから、そっちに頼んだ方が……」
「……」
 あくまで兄弟仲を良くしたいと書いてるその顔に、紅二郎もどう言ったらいいのか困っている様子だった。
 嬉しい反面、これは辛いだろうな。
 あんまり仲が進展しないようだったら、と思いかけて、自分を叱咤する。
「紅二郎は抱き心地が良くなさそうだからな」
「俺も別に抱き心地はよくないと思うんです……」
 どうにか、仲良くしてほしいという真摯さに、どうにも感情がくすぐられる。
 たまに会いに来る俺でこれなのだから、割とこの学園にいる人間でこの子に惹かれてる子は大変なんじゃないだろうか。
 まぁ、紅二郎以外が恋人になったなら、その時は遠慮しないでいいわけだが。
「そんなことはない、ずっと抱きしめていたいくらいだった」
「……」
「本当ですか、ならよかったです」
 とりあえず、抱き心地が良かった事だけは伝えておかなければ、と思い素直に言えば、紅二郎から呆れたような顔をされた。
「あ」
 もう少し話していたかったが、呼び出す音がする。
「……遠野くん、紅二郎。すまないが時間だ」
「そ、そうなんですね……」 「早く行ってくれ」  はぁとため息を吐く弟に笑って、それから駆け出す。電話を取りだし、背中を伸ばした。
「私だ」
 俺から、私へ。ただの人間から英雄へと変わっていく。



 次、俺に戻れるのはいつだろうか。
 今別れたばかりなのに、もうあの笑顔に会いたいと思った。



「……涼太」 「九々生先輩、すいません。俺、先輩が明宮さんと話したいって知ってたのに邪魔しちゃいましたよね」
 そう言う想い人に「そうじゃないよ」というが「でも…」と悲しそうに言う。
 そんな顔させたいわけじゃない。
 確かに、兄さんとはこれから話そうと、なんとか昔のようにとまではいかずとも、個人と個人としてならわかり合えると思った。
 ただ、解ったのは、自分達は兄弟である、という事実と、どうにも好みのタイプが一致しているという知りたくもない事実だった。
「……本当、あの人が頼んできても、涼太は気にせずに断っていいからな?」
「大丈夫です、本当に嫌だったら言いますから!」
「……」
 涼太は兄さんに憧れてるから、多分何をしても断らないんだろうな……と思うと頭が痛くなる。
 兄さんに限ってないとは思うが、それこそ一緒に一夜を明かして欲しいと頼んだら、涼太のことだからしてしまうんじゃないだろうか。
 そう思うと胸がちりちりと焼き付くような感覚を覚える。
 独占欲なんて馬鹿げてる。だって、涼太は俺の恋人じゃないし、別に涼太は俺のことを思ってくれているわけじゃない。
 涼太は俺にいっぱい助けられたと言ってくれるけど、俺の人生を助けてくれたのは君のほうだ。
 それだけで良かったのに、それどころか俺は君の傍にいたい、ずっと未来もいたい、隣にいて、笑って欲しいだなんて願ってしまう。
 君が灰色の世界から、こんな光輝く虹色の世界に俺を戻してくれたのに。
「あと、先輩も」
「うん?」
「もしもしてほしいことがあったら何でも言って下さいね」
「……ははは、涼太の嫌な事を頼むかもしれないのに?」
 そう言えばきょとんとして、それから目を細めて優しく微笑まれた。 「大丈夫ですよ」
「うん?」」


「俺、先輩になら、何でも嫌なことなんてないです」






 

涼太でひっそりと甘える練習する蒼一郎が書きたかったのですよ。 普通に紅涼←蒼も美味しいですけどね、もぐもぐ