雨も歌えば

 セプテム日本司令部は最近、『雨の君』という噂が持ちきりだった。
 金曜日の雨の日、大きな傘を持って現れる。
 ただそれだけなのだが、娯楽の少ないセプテムではそれだけで盛り上がっていた。


 最も雨月杏介にはどうでもいいことだった。
 セプテムに入って慌ただしい毎日を送っていて、そんな噂に耳を貸す余裕がなかった。
「巳神」
「雨月」
 その日も雨が降っていた。
 ザーザーと止まない雨が。
「久しぶりだな」
「ああ、セプテムに入ってからお互いに忙しかったからな」
 セプテム日本司令部は、星鳴学園での日々が甘かったと思う程険しいものだった。
 プロセプターになるということが大変だとは理解していたが、まだ入って数ヶ月の自分達でもここまで忙しいとなればベテランになるともっと忙しいであろうことは想像にたやすかった。
「他の同級生には会ってるか?」
「貴矢とはよく会うが、久々生には滅多に会わないな」
「研修以来か」
 一ヶ月間、研修を行ってその後、プロとしての経験を積むために今はチームの一員として手となり足となっていた。
「まぁ、結晶化したとか、怪我をしたという話は聞かないから元気にしていると思うが……」
「朱藤は元気にしていたが、……お前何処に行くんだ?」
「訓練だ」
「……」
「お前もどうだ?」
 そう刀真に言われたが首を振って断った。
 金曜日の夜だ。
 今日ぐらい体を休めたい。そう思った。
 刀真に別れを告げて、杏介はセプテムの正面玄関をくぐった時だった。



「キョースケ!!」



 大声で雨月を呼ぶ声がしたのは。
「……う、詩守」
 大きな傘を手に、雨の中手を振ってこちらにやってくる人。
「くっ……詩守、どうして……」
「そんなのキョースケに会いたかったからに決まってるじゃないか!」
 いつも通りにウィンクをして投げキスをする詩守。
 キリキリと痛む胃。だが、ふと顔をあげて、噂を思い出す。
「っ……胃が……」
「大丈夫?キョースケ。僕はキョースケの苦しむところなんて見たくないよ」
「お前のせいだろ!」


―――金曜日の夜、雨の日に現れる『雨の君』。


 詩守の隣には二人は入れそうな大きな傘を誰かが持っていた。
 鈴の音を転がすような笑い声が聞こえた。その人物を、杏介は知っていた。
「遠野」
 直属の後輩ではないものの、同じ寮の後輩だった少年の名を呼んだ。
「すいません、雨月先輩」
「……」
「俺がセプテムに行くって言ったら詩守も来てくれたんです」
「いや……そうか…」
「そうだよ!リョータが暇なんじゃないかと思ってね!」
「久々生に会いに来たのか」
 そう涼太に尋ねると、頬に紅が散った。
「でも、勿論、キョースケに会いたかったのも本当だよ!」
 そうニコニコと笑う曜に眉を寄せながらもそれでも傍目から本当は嫌ではないことは解る。
「……詩守、ありがとう」
「オー、リョータ、でも……」
「詩守は雨月先輩に会いたかったんだろ?あともう少しだし大丈夫だから」
 そう笑う涼太に曜は微笑んだ。
 手を振って遠ざかる友人を見送って、涼太は微笑む。
 後、もう少し。
 



「また、『雨の君』が来てるらしいぜ」
「へぇ、今日こそ声かけて見ようかな」
 そんな噂話を聞いて、へぇと一人の男は口の端を上げた。
「九々生!お前の『通い妻』、今日も来てるみたいだぞ!」
 男がそう口にすると着替えていた紅二郎が顔をあげた。
「え」
 ロッカーを慌てて占めると、
「今日は報告書とかいいから早く行ってやんな!」
「本当に健気だよなぁ」
 からかうわけでもなく、穏やかに言われては紅二郎も反論する事は出来ない。
 家で待っててもいいと言っているのに、恋人は心配してか、雨の日はこうして迎えに来てくれるのだ。
 最も、晴れの日も健気に迎えに来てくれているので上司の言うとおり健気なのだが。


「っ!」
 慌てて、正面玄関から出れば、こちらを見て嬉しそうに笑う恋人が見えた。
「久々生先輩」
「涼太、いつからいたんだ?」
 こんな冷たくなって、と頬に触れると普段は温かな肌がひんやりとしていた。
「ごめんなさい、先輩に早く会いたかったんです」
 上目遣いで恥ずかしそうに口にする恋人が心から愛しいと思った。
「……いや、嬉しいよ」
「先輩……あ、あの、傘持ってますか?」
 たどたどしくいつものように尋ねる涼太に「すまない、忘れたんだ」と言う。
 すると目を輝かせて、「それじゃあ、一緒に使いましょう」と涼太が微笑んで紅二郎を傘の中に招いてくれる。
 学生時代にも、突然降り出した雨に、二人で何度か一つの傘を使ってスピカ寮へと戻った。
 本当は置き傘があるのに、ないと嘘をついて肩を並べて雨だからと言い訳して。



 憂鬱な雨も、二人でいればまるで拍手されているかのように、陽気で穏やかなものへと変わる。
 片寄せて歩く愛しい人を、早く家に戻って抱きしめたいと思った。


 

通い妻呼びされる受けが書きたかったんです。
最初は、蒼一郎に「弟の嫁」って言われる涼太くんが書きたかったんですが「いやいやいや…」って思ったし、
同じように刀真さん出そうとおもったけど余りにも可哀相なのと、杏曜好きなので出してしまいました。

相合い傘したくて、大きい傘用意する子と、置き傘あるのにないと嘘つく子って可愛いよねって妄想です。
多分、帰ったら抱き潰される