この恋は初めから終わってる。
桜が舞い散る帰り道。
中等部の卒業式、寮へと帰り道、普通に笑ってる中、志朗は心臓を握りつぶすような痛みと、頭から冷や水を掛けられたような恐怖にかられた。
桜が舞って自分に笑いかける親友。
脳が考えるよりも先に心臓がその感情を自分に理解させた。
心が、――――好きだ、と必死で訴え、その瞬間、志朗は眸から涙が零れた。
「志朗!?」
美しいムーンストーンが志朗の顔をのぞき込みキラキラと輝きを放っていた。
「どうかしたの?」
「なんでもない!」
「…志朗?」
無理矢理笑う顔を訝しげな目線で見つめられる。
「本当に何でも無いから…」
「…」
「小さい花びら、目に入ったみたい」
「…ならいいけど」
これ以上言っても無駄だと思ったのか宙は何も言わなかった。
頭の中で「ごめん」と志朗は宙に謝った。
それは嘘をついたことではない。目の前の親友を裏切ってしまったことだった。
多分これは自覚したのが今なだけで、ずっと前から志朗は親友を裏切っていたのだろうと思い返せば思う。
あの暴露大会で「好きだ」と言われた時から?
それとも、あの美しい眸が泣きながらにらみつけて悲しみにくれて自分をなじった時だろうか?
宇宙飛行士になりたい、と恥ずかしげに打ち明けられた時、あるいはユニットに誘ってくれた時。
そこまで必死で過去を思い出して、志朗は――――きっと初めて会った時から、と自分の鈍さに苦笑した。
浮間志朗にとって、辺見宙は特別な存在だ。
はじめての友達で、誰にも見向きもされなかった自分の友達になってくれたたった一人の人。
本人にはきっと自覚はないだろうけど、頼ってくれてユニットに、居場所を自分に与えてくれた。
大好きな先輩に出会わせてくれて、辛くて逃げ出して死にたいと何度も思ったけれども、それでもこの仕事を真剣に好きになったこと。
全部全部目の前の彼がくれたものだ。だからそこに新しく「初恋の相手」という肩書きが足されたとしても志朗の中で宙の位置が『いちばん自分にとって大事な人』というものは何一つ変わらず、ただ確固たるものに変わっただけだった。
だから、きっと自分の中で宙の存在は変わらない。永遠に大事だ。大好きで守りたくて、笑っていてほしくて、だから、自分のこの恋なんて実らなくていい。許されなくていい。
でも、宙に嫌われたくない。
裏切りを、知られたくない。
宙は、自分を大切な友人と何度も言ってくれたのに。なのに、まさか恋心を抱いてるだなんて知られたら、宙は優しいから許してくれるだろうけれど、それでもきっと困るだろうと思っていた。男同士で恋だなんて不毛な事、誰がどう考えても無駄でしかない。
志朗はそこまで考えて、自分の感情に蓋をすることにした。
「高等部になったら、新しい人が増えるの楽しみだね」
「友達、ちゃんと作れるかな」
「志朗なら大丈夫だよ」
「ならいいけど」
「もう、大丈夫だって俺が言ってるのに心配なの?」
「そ、そんなことないって!」
「うん、なら大丈夫」
微笑む宙に彼が言うならそうなんだろう、と志朗はまた泣きたくなる気持ちを押しつけて微笑んだ。
こんなこと、誰にも言えない。
宙は勿論、大好きで尊敬してる先輩達にも。
この嘘は、一生つき続ける。
つき続けなきゃいけない、苦しくてどうしようもない、そして大事な、自分の気持ち。
また、志朗と宙が、大事な友達と出会う、ちょっと前の、ささやかなはじまり。
そして、二人ぼっちの終わりでもあった。
志朗が高等部にあがって始めたのは『友達作り』だった。
これだけ聞いたら、宙から逃げる為、とか二人きりにならない為とか勘違いする人間も多いだろう。
けれど、志朗にとって宙は傍にいなければ思いを忘れられるとか、そんな簡単な存在ではないし、そもそも学校で避けたところでユニット活動と部屋が一緒なのだから意味などなかった。
志朗にとって目的は一つ。
自分は宙をすでに裏切った。
だから、宙の『真実』の『友人』になってくれる人が必要だと思った。
そう、最悪、自分を断罪しなければならない時に、宙の傍にいる人が。
とはいえ、1Lというクラスは一筋縄ではいかない、というのが志朗にとって、否一般的に見て隣のCクラスに比べてかなり凄いクラスだった。
まず、1Lで一番最初に持ちあがったのが『輝崎蛍』の存在だった。
あの輝崎千紘の双子の兄、というだけあり、やっかみの存在でもあった。
最もそんな奴に限って実力が無い、というのが実際のところだったけれども。
「蛍、凄くない??」
「え」
「うん、オレもそう思う!なんか、こう……すぐに感情がスッと心に響いてくるんだよなぁ」
「……そ、そんなことないよ……」
蛍の実力を輝崎の真似というやつは多かった。
けれど、そんな事ない。蛍の実力が本物だということはすぐに解った。
「え、何それ。志朗、オレの方が下ってこと?」
「はー、ミヤはすぐにそういうこと言う…」
「姫の技術は確かに凄いんだけど、蛍はどの役も上手くやれるじゃん」
「……っ……」
「あ……そ、そんなことないよ…」
照れたように微笑む。
一方で何故か椿は顔を歪めた。
志朗から見て、椿は千紘と並ぶトップクラスだが、それでも二人の技術は凄いが、蛍のものは天性だと思った。
何やらせても上手い、などと宙は褒めてくれるが、志朗はおそらく蛍には勝てないだろうという事はすぐに解った。
最も志朗は別にクラウンの座を狙っているわけではないので構わないのだが。
クラウンはトップではあるが、志朗の尊敬する先輩曰く『あの王冠が邪魔する事も多々あります。学園内でトップになったからといって、けして卒業後もトップをとれるというわけではありません。志朗と宙がとれたら喜びますが、それでもそれを目指すよりは何かしらの大きな仕事をした方がいいですね』と言われた事があり、その言葉でクラウン=けして仕事が出来るわけではない、という事に気づいた。
『クラウンは学園発表会での優秀者ですよ。無論、クラウン候補も張り出されますがあれは単に成績がいいだけです。だからクラウン発表会のときにクラウンが変わることはザラにある』
更にそんな種明かしまでしてくれ、『他の同級生には言ってはいけませんよ』と言われたし、言うつもりもないが志朗も宙もそれを聞いてクラウンは凄いな、と言う気持ちはあってもそれを目指そうとは思わなかった。
それよりもちゃんと勉強して、大きな仕事を一つでもこなす事が重要だと思った。
仕事をこなすには蛍のようにどんな演技が出来るか、もしくは一つの演技を極めるか、の二択である。
色んな演技が出来るようになりたい、とは思うが、Re;flyは乙女ゲームやCDを得意としているユニットだ。ユニット練習は主にそちらとなるし、基礎練習は変わらないのでまずはリーダーの帝が満足するくらいには二人とも乙女ジャンルを極める必要があった。
「あ、でもマモも上手いよな」
「……そう?」
「それは解るかも。黒曜って間の取り方が上手いんだよね」
「……」
「ねぇ、愛澤もそう思わない?」
最も一番最初の事件は、この小さな少年になった。
ダンスレッスンの時、怒りが爆発してそれからは授業をボイコットしていた。
退学の噂すらあった愛澤と目の前の黒曜が連れ戻した、と噂されたのは5月の晴れた日の事だった。
よく戻ってこられたな、とか辞めるんじゃなかったのか、などとやはり周囲が言うのを見て志朗の心が痛くなったのをよく覚えてる。
話かけていいのか、と思ったが、黒曜護とはブラスバンド部で一緒だったし、何より過去の自分を、一年前の事件を見ているようで嫌で最初に声をかけようとしたのだ。
「思うぜ、こいつ何でも上手いからなぁ」
「あ、でも」
でも、声をかけようとした志朗を見て、最初に心に声をかけたのは宙だった。
『もしよければ一緒にご飯食べない?』そんなささやかな一言。
断ろうとした愛澤に『いいね、一緒に食べようよ』と先に護が口にして、逃げ場がなくなり四人で食べた。
それからはズルズルと流れるかのように四人で行動することが多かった。
二人と話す宙を見て、少し寂しさを覚えるけれども、それでも志朗はそれでよかったと心から思えた。
こんな幸せな日が続けばいい。
そう思っていた。
というか愛澤心が退学の噂になり、戻ってきた事などどうでもいい事件が起きた。
6月。
問題が起きたのは、多分この頃だっただろう。
スパイ疑惑が流れ始めたのだ。
そして、疑われたのが雅野椿だった。
「……志朗、大丈夫?」
「…うん、大丈夫」
雅野椿はユニットリーダーの青柳帝の従弟であり、大切な友人でもある。
もはや魔女裁判のようにいじめられている彼を助けなければならない、と表だって助けている鈴のように志朗も、と思っていた。
でも、駄目だった。
「……辺見どの、浮間どのは大丈夫でござるか?」
「シロー無理しなくていいよ、でもありがとうね」
いじめというものは見ていて気持ちいいものではない。
特に志朗の場合、どうしようもなく過去の傷を抉られ、脳裏に過ぎるのだ。『いなかったもの』とされた過去が。
「……でもさ」
「何、そんな体調で無理されても邪魔なんだけど」
「オレも、姫の友達だから何か助けたいって思ったんだ」
「……」
「……ありがとう、姫。体調気にしてくれて」
「……ったく、余計なお世話だし、こんなの気にしてないよ」
「あはは…姫は強いなぁ」
「でも、…………ありがとう」
この頃、霞もぼけっとしていて、
「浮間どの、ミヤどのの傍には某がいて必ず守るから安心してほしい」
「うん、鈴。頑張って」
「……」
頼れるのは鈴くらいになっていた。
蛍は、というと椿の問題が表立ってはいたけれども、いじめとはいわずとも同じように陰口を叩かれる日々でとうとう声が出なくなってしまった、1Lはいつからこんなに酷い場所になってしまったのかと志朗はいつも思っていた。
雅野は知ってる。
志朗の過去を。いじめられていた事を。だから気遣ってくれている。
解りづらいけれども優しい人なのだ。強くて、気高い。きっと自分はああはなれない。
せめて自分の事くらい、自分でしなければ。
そう思ってるのに。
「……宙」
「なに?」
「オレは大丈夫だからさ、姫とか蛍の傍にいてあげてよ」
「やだ」
「……」
教室の端。
見ている地獄絵図と過去の嫌いな記憶が少しでも楽になろうと胃から何かを吐き出そうとする苦痛に戦っていると、そっと宙が手を握った。
「…志朗を一人にしたくない」
「……っ」
どうして、と思った。
「でも…」
「雅野には藤間が、蛍のとこは愛澤と黒曜がいるけど、志朗のところには、俺がいなくなったら誰もいなくなるでしょ」
「……」
そっと握られた手。
自分より少しだけ小さなその手に何度護られただろう。何度救われただろう。
「志朗の事、俺は一人になんてさせないから」
「……」
何度好きになればいいんだろうか。
自分は誰の力にもなれずに、この物語はどちらも幕が閉じる。
鳥羽霞が、スパイが自分だと言って、この学園を去り、輝崎蛍は必死で頑張って声が出せるようになった。
自体は良くなったのか、悪くなったのか解らなかった。
志朗はずっと胸で自分が何か出来たなら、と思わずにはいられなかった。
「……」
自分は無力だ。
何も変わらない。
変わらないまま時は流れて、今度は護が車に引かれた、と聞いた。
打ち所も悪くないからすぐに良くなる、と言われたものの、1週間程経過すると持病があって休学する可能性があると聞いた。
心を慰める宙を見ながら自分の弱さを実感した。霞が戻ってきたらなんて言えばいいだろう。護が治ったらなんて言えばいいだろう。
そればかり思っていた。
自分はハリボテだ。
どうしようもなく中身がない。
『―――志朗が好きだよ』
そう宙は言ってくれた。
自分のどこを彼は好きになってくれたんだろう。
友達だと言ってくれた。
好きだと言ってくれた。
でも、自分は自分が嫌いだ。
宙のことは好き。
それだけは確かなのに。
その感情以外、まるで意味のない人形みたいだ。
『志朗は誰とでも仲良くなれて…』
宙、違う。
違うんだ、そんなことない。
だってオレは――――――
「姫も、カスミンも、蛍も、マモにも…何も出来てないよ……」
何も出来ない。
どうしようもなく、弱くて、あのときだって何も出来なかった。
自分の過去に向き合うのが恐くて、ただ、宙に手を握られてただけだ。
スープを投げられる椿を庇う事も出来なかった。
陰口叩かれる蛍を見て怒る事もできなかった。
学園を去る霞を止められなかった。
落ち込む護を励ますことすら出来なかった。
自分は無力だ。
宙は自分を買ってくれるけれど、宙の方が人に対して優しい。
椿や蛍が陰口叩かれたら怒って、霞の帰りを待つ央太に何度も金平糖をあげているのを見た。
護のお見舞いに行って星の話をして、心の背中を何度もさすっていた。
「――――宙」
空を見上げれば、光瞬く星々があった。
虐めは嫌いだ。
虐められて嬉しい人間なんていない。
虐めをする奴なんて、された痛みを知らない人ばかりだ。
それでも、志朗は願ってしまう。
宙から断罪される日を。
きっと、この恋心は届かない。
それなら宙から、いっそ傷つけられたかった。
傷口からきっと血があふれ出ても痛みすら愛おしいと感じられる。
けなされてもいい、突き放されてもいい、それでも、きっとこの恋は止まる事を知らないだろう。
それくらいあの言葉は宙にとって麻薬だった。
許されていると感じてしまう。
自分は酷い人間だから。
もしも陰口を叩かれているのが、椿でも蛍ではなく、
どこかにいなくなったのが霞ではなく、
怪我をして苦しんでいるのが護でも、見ている悲しみを抱えてるのが心ではなく、
宙だったとしたなら、こんな頭の片隅で冷静になる自分なんていなくて、叫び声をあげて狂い続けるんだろう。
脚が沈んでこんなドコにも行けない感情を誰が『恋』だの『愛』だの言ったのだろうか。
それでも、絶望にたたき落とすのも宙ならば、掬い上げてくれるのも宙だった。
忘れられない、忘れたい過去があって、それを良いものに変えるのは難しい。
この人達は大丈夫だって、この人達は自分を大切にしてくれるって解ってるのに『楽しい』の一番奥底にある、腐ったような、ドロドロとしたものが息をするのだ。
奥底でそれはいつでも自分のことを狙っていて、気がつけば蔦のようにまとわりついてくる。
でも、
『待って、志朗、俺も一緒に消える!』
『絶対一緒に、合格しよ!』
『ふふっ、あの頃よりは、お互いに成長したよね』
『俺、かっこうつけてる志朗より、いつもの志朗の方が好きだよ』
『毎日楽しいって思えるのは、志朗が一緒だからって思ってる。だから……これからもよろしくね?』
『元気、出たっぽいね?』
『俺と半分こすればいいよ。そのほうがたのしいし、おいしいよ。ね?』
いつだって宙は自分のことを助けてくれた。
それこそ、彼が近づきたいと言っていたキラキラと輝く星のように、そっと傍で見守ってくれていた。
だから、自分は手を伸ばしそうになってしまう。
「……宙、起きてる?」
「……うーん」
「あーもう、今日はコスモさんと天体観測行くって言ってたのに」
「うぅん……」
「……」
手を伸ばしてはいけない、あの星はお空で輝く、遠いものだって自分に言い聞かせてるのに。
それでも暗闇の先に瞬いてるそれに恋い焦がれるのを自分は止められない。
「……宙」
ぎしりとベッドの軋む音が聞こえる。
それでも宙は起きない。起こせと毎回言うくせに、と内心思いながらすやすやと眠る『親友』の寝顔を見て志朗は心臓が叫ぶ音が脳に響く。
ぽろぽろとあふれ出る涙を拭う事なんて出来もしない。
今だけで起きないで、と身勝手に思いながら。
「―――すき、だ」
他に何も聞こえない。
ただ自分の情けない声だけが響いた。
観客なんて誰もいない。
聞かせる気もない。
だってこれは台詞なんかじゃない、ただの悲鳴だ。美しく整えられた脚本の中で削除された、本来あるべきではない言葉なんだから。
それでも、
志朗は言わずにはいられない、それを棄てる為に、口に出さずにはいられない。
後、一年。
自分は、笑い続られるだろうか。
どうか一年後の卒業式。
自分を罰して欲しい。そして、宙の傍に皆いてくれたなら、それでいい。
自分には十分すぎるものを貰った。
最高の四年間だったって胸を張れる。ユニットに入って、友達が出来て、笑って、泣いて、怒って、それでも、君に会えたこの日々が愛しいときっと思わずにはいられないんだ。
「………えへへ……顔洗って、コスモさんよんでこよ……」
気が済むまで泣いて志朗は立ち上がる。
ばしゃばしゃと水音を立てて、顔を洗い、そこそこ見せられる顔になったのを確認してタオルで拭い、彼は舞台から出て行く。
だから、気づかなかった。
「……」
舞台の上に残された観客が、
「……嘘………?」
本来聞こえる筈のない、独白を聞いていた事なんて。
「帝、コスモ!?」
「…立夏、どうした?わざわざL棟にこんな時間にやってきて」
「珍しいですね、祭利と何かあったんですか?」
「そうじゃない、Twiineは確認したか?」
「Twiineですか?一体―――――おや……」
宝石ヶ丘は学園内でオーディションをやることがよくある。
例えば、天神陽人が主役を務めたレ・ブルーエや、各ユニットのエース達以外の配役を決めたアニメ学園とのコラボなどは最たるもので度々行われる。
そして、その度にオーディションの情報や、その後結果が張り出されるのが常だが、それだと売れている声優達だと見れないケースが多々ある。
その為、張り出される以外にもtwiineなどで発表される事はけして珍しい事ではない。
事実、内容は『本日、17時に貼りだしたが見ていない生徒のため』と書かれていた。
だが、問題はその作品についてだ。
二年生のみで行われる『作品』。
授業の一環といってもいい。おそらく選考方法は覆面オーディションといったところだろう。三人は志朗からも宙からもそのような情報は受けていない。
『―――――――』
二年生の授業のために書き下ろされただろうその作品の内容は三人も知らない。
ただ解るのは、でかでかと書かれているキャストの一番上に
主演:浮間志朗
準主演:辺見宙
と書かれている事だけだった。