泡沫の恋

 一目惚れだった。  そういったところで、俺が言えば「か、からかってるんですか!?」と言われるのはわかってる。
 別にそんな状態で、俺のことを好きになってくれるだなんて、そこまで自惚れてはいない。
 あいつが懐いてるのは湊で、その姿を見る度にひよこ、と言いたくなるこちらの気持ちにもなってほしい。
 こっちは初めて会った時から好きなのに、あっちはこっちを見る度にびくりと肩をふるわせるのだ。もう、たまったもんじゃない。
 与えられた休憩時間、ベッドで横になる目を瞑る。同室の湊は今頃仕事をしているのだろう。いつものように後ろをついてあるく『ひよこ』を連れて。
 そこまで考えると胸の痛みに押しつぶされそうになるため、千尾は必死で夢の中へと身を落とした。


「かすみくん!」
 は?
 千尾は夢の中でつっこんだ。
 かすみって誰だよ、とか、湊にだっていつもはにかむように微笑む伊加利が満面の笑みを浮かべていた。
「どうした、央太」
 自分の声がおうた、と呼ぶ。
 勝手に体が動いた。否、もしかすると誰かの体に勝手に自分がいるだけなのかもしれない。
「かすみくんいたから、はしってきたんだぁ!」
 これは伊加利ではない。
 そんなことはわかる。だって、俺に伊加利はこんな風に笑わないし、こんな風に愛しそうに見る事は無い。ましてやみかけただけで走ってくるほどあいつが俺を好きなわけがないと理解している。
「そっか」
 当たり前のように夢の中の俺は伊加利モドキの頭を撫でる。それが当たり前らしく、伊加利モドキは頭を夢の俺の手に擦り付けた。
 ゆっくりと俺は頭を頬に滑らせ、そして――――
 気づいて、伊加利モドキも目をゆっくりと閉じて、それから唇がゆっくりと――――


 そこまで見て、目を覚ました。
「……っ……俺、なんて夢みてんだよ…」
 夢とはいえ、あまりにも欲望に忠実すぎる。
 俺がアイツにキスなんて、そんな許されるわけないのに。
「くっそ……」
 これもあれも、あのひよこのせいだ。そう思って目をまた閉じる。湊と交代するまではまだまだ時間がある。早くなる心臓にいい加減にしろと、命じながら、それでもあのはにかむような笑顔に焦がれてしまう自分が憎たらしい。
 好きだなんて、きっと言えるわけがないのに。



「央太」

 夢を見る。
 湊先輩と違って僕の事に厳しいし、いつでも意地悪をしてくる。
 人の事を名前で呼ばないし、「ひよこ」だなんて言われて気分がいいわけが無い。
 どうして、あんなに人に冷たいのかな、などと思ってしまう。


 本当は夢の中でまで会いたくない。
 でも、夢の千尾さんは優しかった。

「どうかしたのか?」
 まるで砂糖菓子を溶かしたみたいな優しげな瞳で僕を見る。
「かすみくん」
 勝手に、いつものように僕は夢の中の千尾さんの名を呼ぶ。
「なんでもないよ!」
「そうか?」
 現実でもこうだったらいいのに。そしたら好きになれるのに、そう思ってしまう表情。
 そっと千尾さんの指が僕の髪の毛を遊ばせる。
「かすみくん?」
「うん?」
「……ううん、なんでもない」
「そっか」
「あのね」
「うん」
「だいすき」
「……うん」
 そっけない返事だけど優しく微笑むその顔は嫌いじゃなかった。
 そして、ゆっくりと顔が近づいて――――――


「……っ!」
 そこで、自分は目を覚ました。


「……ゆ、め」
 そりゃそうだ。
 千尾さんがあんなことするわけがない。
 だというのに、やけにリアルで心臓が高鳴って仕方ない。

「……かすみくん」


 ぽつりと呟いた。
 夢の中のかすみくんはいつでも優しい。
 現実の千尾さんが、少しでも優しかったら、自分は好きになれるのに。


 央太と呼ばれる自分が、ほんの少しだけ羨ましかった。