妖精猫

※我丘幻想
 騒動後、屋上は結局領地争いの場所となり、幸弥の望む昼寝が出来なくなってしまった。
 どうしたものか、と思っていると旧校舎の片隅の使っていない保険室があると聞いてそちらに向かった。
「ここですか…」
 誰もいない、と思いガラリと扉を開くと幸弥は驚いた。
 宝石我丘は喧嘩が頻繁でお互い怪我する事も多々あるが、目の前であるような事は一度も見た事がなかったからだ。
 それが生徒にとっての暗黙のルールであり、誇りだと思っていた。
「……」
 白濁した液体、脱ぎ散らかされた制服、体に浮き彫りになった出血痕、倒れている主は目を閉じ倒れているように見えた。
「……んんっ」
 志朗や宙と同じく幼いその顔つきに、幸弥は血液が逆流して沸騰しそうになるのを感じた。
 精液の独特の匂いに顔を顰めていると、ゆっくりと倒れている目の前の主が起き上がった。
「ううん~?誰~?」
「……あ」
 置かれている状況とは違い暢気なその声に、幸弥は理性を取り戻し笑みを作った。
「……こんにちは」
「……」
 寝ぼけているのかぼーっとしている緑色の瞳が幸弥を捉え、そして、
「…あまはしせんぱい?」
 と幸弥の名前を呼んだ。
「……おや、私の名前をご存じなんですか」
「うんっすごいつよいって教えて貰ったから!」
 ニコニコと笑って幸弥の顔を見て笑った。
「……よいしょっと」
「……」
 それは誰かから強姦されたとは思えないような態度で、幸弥は自分が思い描いていた構図とは違うのか思った。しかし、目の前の人間からはそういった相手を誘ったり、性的欲求が強い相手には見えなかった。
「……うん?」
「いえ……その」
 気にせず服を着替え出す目の前の人物になんて言ったらいいのだろうかと思っていると「あ」と少年は理解したようだった。
「あ、あぁ~あまはしせんぱい、ごかいしてる?」
「え」
「オレ、これでもそこそこつよいから、誰かにこういうこと無理矢理されたわけじゃないよ?」
「……そうですか」
 それが心配だったので、そうじゃないとわかり内心、幸弥は安心した。  何も知らない相手だとしても無理矢理性的暴力を受けたとあっては正直胸糞悪い。
「……えっとね、本当はオレが動けるまで傍にいるって言ってたんだけど、おしごとが忙しそうだから、無理矢理行かせたんだぁ」
「……恋人が相手でしたか」
「そうそう」
 だからだいじょうぶなのです!と笑う相手に幸弥は安心した。
「……あまはしせんぱい、ここつかう?」
「……いいえ」
 使おうと思っていたが、性行為をした場所とあってはなんとなくその気も失せる。
「ならいっか~」
 そう言って、少年は立ち上がってシーツだけ剥ぎ取って鞄に詰めた。
 結局後始末もせずにそのまま「それじゃあね」とスキップを踏むように少年は歩いて行く。
 大丈夫なのか、と思ったが全てを終わった後幸弥が此処にいたからか、と理解して申し訳なくなった。
 今度会えたら謝罪しよう、と思い幸弥もその場を去った。



「それは、 妖精猫 ケットシー だな」
「ケットシーですか?」
「ああ、ネズミの一人だよ」
「……」
 ネズミ、と聞いて幸弥はあのしつこい情報屋を思い出す。 侵入者 レイダー の二つ名を持つ人物はそれなりの強さを持つ人間だったが、それでもネズミはチームに入ってる人間達と比べて弱いのが普通だと聞いていたのだが。
「……ミーと同じ学年でそこそこの――、否、かなり強い」
「…そうでしょうね」
 佐和に聞いて、彼が本当に合意の上で性行為したという事は理解した。
 ならば、特に気にすることもないか、と幸弥は考えた。
「まぁ、頂点狙いたいってタイプじゃないし、紅蓮や輝崎兄弟なんかはほしがってたみたいだけどね」
「そこまで強いのにチームに入らないんですか」
「まぁ、理由なんかは知らないけどね……まぁ、 妖精猫 ケットシー についての情報が聞きたいなら、レイダーに聞くのが一番だよ」
「彼ですか」
 はぁ、とため息を吐くと同時に「呼びました?」と神出鬼没に呼んでもいないのにレイダーと呼ばれる男がそこに立っていた。
「……」
「いやだなぁ、そんな嫌そうな顔しないで下さいよ」
 佐和と和やかに挨拶して、霞はにこりと幸弥に微笑んだ。
「で、情報が欲しいって聞きましたけど何です?」
「いいえ、別に―――」
「天橋が 妖精猫 ケットシー の情報を知りたいんだってさ」
「……けっとしー?」
「お前なら知ってるだろ?」
 そう当たり前のように佐和は言うが幸弥は彼の表情が少しだけ動いたのに気づいた。
「……どうして 妖精猫 ケットシー を?」
「……昨日の夕方、旧校舎の保健室で会ったモノで」
「……」
 それで気になったと言うとピクリと眉を動かした。
 飄々と表情を余り変えなかったレイダーが何故か今酷く表情がくるくると動いている。それは佐和も不思議に思ったらしく「どうかしたのか?」と訝しげに尋ねていた。


「いえ、そうですね… 妖精猫 ケットシー ですか…」


 だがすぐに情報屋としての顔に変化し、彼はにこやかに笑った。
 しかし、次の言葉で耳を疑った。
「すいません、 妖精猫 ケットシー に関して『売る』情報はないんですよ」
 その言葉に、今度はこっちが眉を顰める番だった。



『  妖精猫 ケットシー  』
。  橘央太は特別な子だった。
 レイダー、ネズミの中でも特別な位置にいる鳥羽霞は求められれば自分以外の情報はなんでも提供する人間だった。
 だから、自分に求められるのは情報だけで、ほかは何も求められなかった。
 しかし、
「かすみくーーーーん!!」
 気まぐれでお腹をすかせている央太におにぎりを一つ恵んでやったことがきっかけだった。
 ただそれだけ。
 なのに、央太は霞になついてしまった。
 何か裏があるのかと思い「何の情報が欲しいわけ?」と尋ねると央太はぽかんと鳩が鉄砲食らったような顔をして、それから考えて、
「かすみくんのすきなごはんがしりたいです!」
 といわれた。
 自分の情報を誰かに教えない、を信条にしている霞は「悪いけど教えないから」と言ったが、央太はめげなかった。
 それから一週間後、お弁当を二つ作ってきて、「かすみくん!おべんとうです!」と渡してきた。
 薬でも入ってるのかと思ったが、なぜか霞の好きなチーズ入りハンバーグを入れてきてどこで情報を知ったのかと思うと「なんかね~かすみくんからにおいがしたんだ~」とこちらが驚くようなことを言ってくるものだから、今度は霞が驚いた。
 何が欲しいんだと聞けば「かすみくんといっしょにごはんがたべたいです!」と笑うものだから、なんだか霞も毒気が抜かれてしまった。



 それから、霞は人前では仲良くしてはいけないことを伝えた。自分と仲良くしてたら誰かに狙われるから、と。
 仕事の邪魔になるから、と思って言ったが、後から央太に何かあっても放っておけばいいのに、と考え、そこから自分は央太が人質にされたら助けに行くと考えていた時点でほだされていることに気付いた。
 一方、央太は特に霞の邪魔にならないようにする!と決意し、「かすみくんがねずみ?だから、オレもそうする!」と特に理由もなく、チームに属さなかった。
 チームに入らないことを珍しがって、各チームの下っ端が央太にちょっかいかけてきたが、返り討ちにした。
 ちなみに、央太に危害を与えた事実が許せなくて、裏で霞が病院送りに何人かしたが特に気にすることでもなかった。
 週に二、三回、時間が合えばご飯を食べる。
 それだけの関係。
 けれど、情報ではなく自分自身を求められている事実に霞は安らぎを覚えた。
 央太は特に情報を求めるわけでもないのに、霞はぽつりぽつりと手に入れた情報を世間話のように央太に告げた。それに「すごいね」というだけで央太はやはりどのチームにつくわけでもなく、ただ霞と一緒にいるのが楽しいというようだった。
 そんな央太に惹かれ、恋仲になるのは時間がかからなかった。
 先ほど誰もいない場所で待つように言っていたため、そこへ向かうと一人でぽつんと座っていた。


「央太」
「かすみくん!」


   名前を呼べば嬉しそうに自分に抱きついてくる恋人はなんとかわいらしいことか。
 けれど霞の内心は穏やかではなかった。
「央太」
「かすみくん?」
 妖精、といわれるほど整った顔をしたあどけない顔が霞を見つめていた。
「昨日、天橋先輩にあった?」
「あまはしせんぱい?うん!」
 それがどうしたの?ときらきらとした瞳で央太は霞を見ていた。
 その様子に、やはり一人にすべきじゃなかったと思った。生徒会の仕事を請け負ったとはいえ、央太を一人にする気はなかった。
 最近時間がとれなくて久しぶりに会ってついその場で押し倒して体を好き勝手してしまった。
 それでも、あんな状態の央太を放っておくつもりはなかったのだ、言い訳にはなるけれど。
 だが、生徒会から頼まれていたチームに動きがあったから、どうするかと考えていると「かすみくん、いって」とふにゃっとした顔でほほ笑みながら央太が言うから。
 行ってもいい、ではなく、自分よりも仕事を優先しろと言われたらどうすることもできない。
 とりあえず毛布だけかけてその場を後にした。
 速攻で仕事を終わらせて帰ってきたら央太がいなかったのと、私用の携帯に『かえるね!』と書いてあったので気にしなかったのだが……。
「……まさか、裸見られた?」
「え?あー、うん、そうだったかも?」
 その質問にどうでもよさげにこたえる央太に舌打ちする。
「え、なになに、かすみくん、オレ何かした~?」
「……いや、俺以外に裸見せたらダメだろ」
「ええ~」
 理不尽とはいえ、央太に対して独占欲の強い霞はついそう言わざるをえない。
 猫のようなしなやかさと、妖精が宙を舞うかのような美しい喧嘩をする央太の様子を見るのは好きだが、それでも自分以外に傷つけられるのはいやだし、ほかの人間が央太を好きになるのも嫌でたまらない。
 央太の情報なんて自分だけが知っていればいい。何もかもほかの人間に教えてたまるものか。
 本当ならば自分のものだとそばにおいていけばいいのだが、レイダーとしては央太をそばにおいておくと逆に危ないので普段は遠ざけるしかできない。
 それでも、自分のものにしておきたいのは我儘でしかないのだが。
「……うーん、でも、そっか、かすみくんが嫌なら気をつけるね…」
「ああ」
「じゃあ、そのかわりきょうはどれくらいいっしょにいられる?」
「今日はもう仕事が片付いたから一緒にいられる」
「なら、昨日の続きしたい!」
 そう言ってすりすりと頭を自分にすりつけてくる様子がかわいくて霞は央太の髪の毛をなでた。 どこかで格下同士のファイトの始まる音が聞こえたが、どうでもいいと央太の唇に自分のものを重ねてそのまま冷たい床へと押し倒した。


  「……」
「おや」
「……あまはし、せんぱい?」
 中庭のベンチですやすやと眠る妖精猫に足をとめた。
「ええ、あなたは… 妖精猫 ケットシー
「……オレ、そんな名前じゃないよ?」
 きょとんと眼を丸くして央太は口にする。
「すいません、あなたのお名前を知らないもので」
「あ、そうだったね、オレはね~橘央太でっすっ!」
 にこりと笑う彼の様子は我丘にはひどく不釣り合いな気がした。
「央太、とおよびしても?」
「うんっ」
 ほかの人間ならばチームに入れとすぐ言うが、央太はチームに属していないというのは本当なのだろう。
 にこにこと笑うだけで、何も幸弥には言ってこなかった。
「そういえば、あまはしせんぱい、かすみくんと戦ったって本当?」
「かすみくん?」
 誰の名前だったか、と思ってると「あ、えーっと…」と央太は考えて、それから、「嫌いな名前だから忘れちゃった…」と言った。
 嫌いな名前、というのはなんだろうか。と思ったが、彼は自分が 妖精猫 ケットシー と呼ばれた時も嫌そうな顔をしていたので二つ名が嫌いなのかもしれない。
「嫌いな名前、ですか」
「うん、ほかの人はかすみくんのことそう呼ぶけど、オレは嫌いだからかすみくんのことはかすみくんって呼ぶの」
「……その人が、あなたの恋人で?」
「……っ」
 そこまで言ってハッとしたように彼は口を手で閉ざした。
「……オレ、言ってた?」
「いいえ、ただなんとなく」
「……うぅ…」
 かすみくんに怒られちゃう、と言って央太はしょぼくれた顔をした。
「大丈夫です、言いませんから」
「……」
「どうかしましたか?」
「ううん、あまはしせんぱい優しいね!」
「そうですか?」
 その言葉に幸弥は遠いところにいるかわいい後輩を思い出した。
 彼らもよく「コスモさんは優しい」と言っていたものだ。懐かしいと幸弥は目を細めた。



「?」
 そう思っていると、目の前で何かがざわついてるのが見えた。
「…あれは」
「あー!ななおにちひろせんぱいにほたるせんぱいと、ミヤくんとれんくんにりんくんだ~」
 立ち上がって央太は紅蓮と輝崎兄弟というこの学園でも5本の指に入るであろうチームが争ってる中に平気で入っていく。
 幸弥はどうしたものか、と思いながら央太がとりあえず怪我しないようにするかと着いていくことにした。


「央太、お前何やってるんだよ!」
 七緒と呼ばれた少年に央太は首をかしげて「みんなこそ何してるの?」と尋ねる。
「中庭は今のところ誰の陣地でもないからな、奪いに来ただけだ」
「そういうこと、央太、邪魔するなら怪我させるよ」
 千紘と椿がそう言うと、央太は「え~」と不満そうな声をあげた。
「そんなのダメだよ!」
「え」
 そう言って、央太の両手が椿と千紘の腕を握った。
「そしたら中庭で会えなくなっちゃう」
「っ…」
「っ…」
 ただ握っただけなのに、それでも骨が軋む音がした。
 脅しのつもりはおそらく本人にはない。だが、
「…蛍」
「っ、千紘!?」
「…蓮」
「……ミヤ」
 それは周囲からしてみれば脅威でしかなかった。悪意なく、まるで妖精のように無邪気に彼は人に接していた。
「……っ…わかった」
「ああ」
「本当!?」
「その代わり、お前が紅蓮に入るならね」
「え?」
「いいや、うちのチームに入れよ、橘。ナナもいるしいいだろ?」
「え?」
 だからこそ欲しがる人間は多数いるのだろう。
 央太はなんでそんな話になったのかわけがわからず首をただかしげるだけ。
「え~やだ、だって、オレ、ねずみ?がいいんだもん!」
「いや、意味わかんないし!
」 「お前、それなりに強いとはいえチームに属した方がそろそろいいだろ」
 入れよ、と勧誘する様子に幸弥はどうしてだろうかと思った
。  自分のようにチームに入らないと決意がある人間と違い、央太はそうではないように見えた。
 ましてやのらりくらりと、あのレイダーのようにその立場を生かして何かをしているわけでもないようだった。
 そこまで考えて幸弥は思い出す。


 『かすみくん』


 確か、レイダーの名前は……
「その辺にしておいたほうがいいんじゃないの」
「…レイダー」
「レイダー」
「っ!」
 嬉しそうに目を輝かせる央太だったが、手を伸ばそうとしてその手を止めたのがその場で幸弥だけは理解した。
「生徒会がこっちに向かってる。輝崎兄弟も紅蓮も生徒会相手にするのは大変なんじゃないの」
 その言葉に各チームがざわめくのがわかった。
 だが数分もせずに生徒会長と副生徒会長の声が聞こえる。
 ざわめく数十人の中、幸弥だけはレイダーが、妖精猫の手を握ったのがわかった。


「っ…撤収だ!」
「撤収するよ!」


 その声が聞こえる時にはすでに二人の姿は、中庭にはなかった。




「……弱み握られたなぁ」
 しまった、と思いながらも、こっちもあっちの弱みは握ってるからまぁいいか、と霞は考える。
「かすみくん」
「ん?」
「ごめんね、邪魔しちゃったんでしょ」
「……央太のせいじゃないって」
「でも……」
「お前、ちゃんと抱きつこうとしたの我慢したし、ちゃんと出来てたよ」
「…本当?」
「ああ」
 そういうと、今度は霞から抱きしめてくれるので央太は「そうなんだ!」と嬉しそうに抱きつき返した。
 それに、紅蓮や輝崎兄弟、否、ほかのチームに央太が属されたら霞としても困る。
 おそらくそのチームに肩入れしてしまうし、何より央太が自分だけのものではなくなってしまう。それだけは勘弁だった。
「なかにわ、かすみくんと初めて会ったところだから…つい、嫌だなって思っちゃった」
「……うん」
「ごめんね、かすみくん」
「いいよ」
「……」
「その代わり、明日チーズ入りハンバーグ持ってきてくれるなら」
「!……えへへ、あのねかすみくん」
「央太?」
「かすみくん、だいすき」
 そう、他の人間は呼ばない、本当の名前で呼ぶ央太の声を聞きながら、鳥羽霞は「俺もだよ」と優しく返した。