プリムラ

「あ、オレ、台本忘れちゃった!!」
「はぁ、何してんの?プロ失格でしょ」
「おいおい、何やってんの、お前…」
 帰り道、蓮がバイトに途中で抜けた為に4人で帰ってる最中に何かを思い出したかのように央太が言った。
「えへへ、ゴメンゴメンゴ★っていっても、仕事の台本じゃなくて、プライベート用なんだけどね★」
「プライベート用の台本とは一体…?」
「ん~っとね、ちょっと人に読んであげる為の台本!!仕事用じゃないから困りはしないから大丈夫です!!」
 そういうと「まぁ、央太でも仕事の台本は大事にしてるか」と椿は安心したかのように口にする。
「まぁ、仕事じゃないならいいんだけど、練習室に忘れたなら使う人の邪魔になるんじゃない…?」
「そうなんだよね~そっちの方が大変!だから悪いんだけど、ちょっと取りに行ってくるね~!!」
 そう言って走り出す央太に、「ちょっと待て、央太!俺も行く!!」とお母さんよろしく霞が追いかけていく。
「かすみくん?」
「なんか心配だから一緒に行くわ」
「え~、大丈夫だよ??」
「またなんか機材とか壊したら心配だろうが」
「そんなことしないよ!でも、一緒に行けるの嬉しいから、行こうか!」
「ああ……というわけで、ちょっとミヤ、鈴、行ってくるな」
「あ…ちょ…」
 ほら行くぞ、と言って走り出す二人の背中を二人で見送った。
「……大丈夫でござろうか」
「大丈夫でしょ、子供じゃないんだから」
「…しかし…」
「霞がいるから大丈夫でしょ、なんてたって『おかあさん』だし?」
「……」
 そうか、なら大丈夫か。と思おうと想ったのだが、なんだか心配でしょうがなかった。
「…あの、ミオヤどの」
「鈴?どうかした?」
 もうすぐ寮に着く、という時、どうしても後ろから二人が来る気配がなくて、鈴は心配になって踵を返した。
「申し訳ないでござるが、某、やっぱり二人の事、見てこようとおもうでござる」
「はぁ?いやいや、心配しすぎでしょ?」
「しかし……」
 そう言って浮かない顔をする鈴の様子にもとより鈴には甘い椿は「仕方ない」と口にした。
「え」
「俺も行くよ」
「…えっと…?」
「ついて行くっていってるの」
 そう言えば鈴は嬉しそうに微笑んだ。
「…っ!!かたじけない!!」
「あ、でも荷物は置かせてよね」
「御意!」
 そう言ってくれた椿の言葉に感動して鈴は笑顔を浮かべた。
 部屋に荷物を置いて、そのまま再度学校へと戻る。
 その間も二人の姿はなく、練習室に荷物を取りにいくだけなのに何をしているんだろう、と鈴だけじゃなく、椿も正直心配になってきた。
 何かあるのだろうかと想って、練習室へと向かうとしっかりと電気が灯されていて大丈夫だった。
 けれど、違う人がいたら困る、と想って2人とも中の様子をのぞいた。
 思えばどうしてそんなことをしたんだろうかと後悔せずにはいられない。


 確かに霞と央太は、そこにいた。
 大方、霞が央太に困ったような顔をして説教してるのだろうな、と椿も鈴も思っていた。
 そうであったらどんなに良かっただろうか。
「……え」
 その声が誰のものだったのかは解らない。
 自分だったか、あるいは椿だったか。そんなことは、どうでもよかった。
 壁越しまで追い詰められた央太。それに霞が覆い被さるようにしていた。
 脚と脚の間に霞の脚が入れられて、央太が床に落ちないようにされているのだ、と動揺する脳内のどこかで冷めた自分が判断していた。
 無理矢理なんだろうか、とか助けなければならない、と思うのにその姿に三人とも動けない。
 やがて二人の口が離れていくものの、舌と舌の間に銀色の糸が見えて、口づけがアニメや映画、ドラマで行われる軽いものではない事が解った。
 頬を赤らめて、微笑む央太の顔が、自分達の知っているものではなかった。
 太陽の下でこれでもかというほどに無邪気に、まるで子猫のように気まぐれで、子供っぽく見える顔ではなかった。
 妖艶でいつもの央太とは違う、大人な顔つきをしていた。霞の頬を撫でる手はその先の行為を知っているようで、実に性的だ。その証拠に続きを促すかのように央太の手は滑らかに霞の背中に回される。それが合図のようにお互いに見つめ合って、二人はもう一度唇を重ねた。
「……」
 その様子に耐えきれなくて鈴は走り出した。
「…り、りん!?」
「っ…」
 走れば相手にバレるかもしれないのに、鈴は余裕などなく、そのまま学校の外へと走って行く。
 椿が鈴を追いかけて走ってくるのが解った。
「ちょっと、鈴…!」
「……」
 何を言えばいいのか解らなくて鈴は唇を噛んだ。何を言えばいいのだろうか。
「…あんな…」
 悪いのは二人だろうか?
「…ミヤどのも、見たでござる、か?」
 否、違う。のぞき見た自分達だ。
 それでも感情が追いつかない。
 見たのが自分だけなら、幻覚なら、と願った。
 でも、それは裏切られる事となる。
「…見たよ」
「……」
「見た」
「……そうで…ござる、よな」
「うん」
「キス、でござろうか」
「そう…だね」
「……」
 そう言って何故か落ち込む。
「……」
「……」
「鈴」
「…」
「帰ろうか」
 そう椿が言ってくれて内心ほっとした。
 二人が後から来たらどうしようかと思った。時間にしてたった30秒ほどの沈黙。
「了解した」
「ほら、行こう」
 でも、それが気まずくてどうしようもなかった。
 帰路につき、自分の部屋へ入り、ああ、央太が帰ってきたら、自分は何を言えばいいのだろうか。
 そんな事を思いながらとりあえず帰路へと着いた。
 どうしたらいいだろう、どんな顔をしたら、と思っていても同室である以上、避けることなんて出来ない。
 鈴は気持ちの整理がついていないまま、
「たっだいま~!!鈴君、遅くなってごめんね~!台本探してたら遅くなっちゃった…」
「……っ」
 どう返事したらいいのか解らなくて、ドアノブが動く音とともにベッドへと入る。
「あれ~?もう寝てる??」
「……」
「鈴くん、疲れてたのかな?」  いつもと変わらない、何もなかったかのような声。
 もしかしたらあれは自分が見た幻だったのかもしれない。そう思いたかった。目を強く瞑り、央太の顔を見えないように鈴はする。
 椿はどうしてるだろうか。
 彼も霞と同じ部屋だ。自分と違って椿なら上手くやっているだろうけれど、自分は上手く接する事が出来ない。


「…おやすみ、鈴くん」
 そう笑う、央太の声はいつも通りで、優しくて、鈴は傷む胸をどうしたらいいのか解らなかった。  


「ただいま~」
「…霞」
「って、ミヤ!なんで不機嫌そうな顔してんだよ!?」
「…別に…」
 鼻歌交じりで楽しそうに帰ってきた霞を椿はじっと見つめる。
「……え、何?なんなの?」
「……霞さ…」
「うん」
「……何か、隠し事してない?」
「隠し事?例えば?」
「例えば…って……」
「……」
 そう言われると困った。実家のことはお互い触れないようにしているし、ここでいきなり央太と付き合ってるのかと聞くのはおかしい。
「……好きな相手がいる、とか」
「え、何、ミヤ、好きな相手でも出来たの!?」
「って、何でそうなるの!?」
 突然過ぎておかしかったかなと思いつつ椿が言うと、今度は霞に驚かれてしまう。
「いや、だって……普通そういう事聞かれたら、恋愛相談かと思うじゃん?」
「ないし!絶対ないし!!」
「別に照れなくてもいいって、相手は?ってこの学園だと特待生ちゃんしかいないか」
「はぁ???特待生とかあり得ないし!!」
「……え、でも女の子、特待生ちゃんしかいないじゃん、ってことは外?同業者?俺の知ってる人?」
「もう、だから違うってば!!」
 楽しそうに笑う霞にだんだん椿はアレが白昼夢だったのではないかと思えてきた。
 しかし、確実に三人揃って見えていたのだ。
 だから幻でも見間違いでもない。
「……ま、いいけどさ。ミヤ、ご飯食べてないんじゃない?一緒に行こうぜ」
「……」
 ご飯、と聞いて、食堂に央太がいたらどういう顔をしたらいいだろうかと思った。
「……いらない」
「駄目だって、何か少しでも食べないと」
「……」
「公演前なのに体壊したらどうすんの」
「……そうだね」
 そもそも、どうしてこんなにショックなんだろう。
 役者失格だとか、声優失格だとか言えばいいのだろうか。否、それなら自分は言えばいいことだ。
 二人を叱り、真相を突き止めて、そして、それから…
「……まぁ」
「…うん?」
「この業界、恋人なんて作れないよな、ファン裏切ってることになるし」
「……」
「スキャンダルにでもなったら困るし、そうおいそれと恋愛もできないからな~」
 どこか他人事のように言う霞の言葉に嘘は感じられない。だとしたら、本当に央太とは何もないのだろうか。
 だとしたらどうしてキスしてたんだろうか。
 椿はそればかり考えていて、今日の夜は眠れない気がした。
「とりあえず、ご飯食べに行こうぜ」
「……うん」
 食堂に、央太が現れなくて、椿は心底ほっとした。


 あれからなるべく考えないようにしているのに、二人が一緒にいるとどうしても椿も鈴も動揺してしまう。
 例えば、央太の唇の近くについているご飯粒を拭って霞が食べていたり、二人がペットボトルを回しのみする様子にすらドキドキした。
 蓮に「二人とも何やってるんだ?」とさえ言われるくらいだ。
「……」
 けれど言えるわけがない。
 蓮にまさか「二人が付き合ってるかもしれないから動揺してます」などと。



 そんな様子に問題の二人が気づいていない筈がなかった。
 央太と霞はどちらともなく、Iineの個人トークを送る。
『かすみくん、はなししたい』
『いいよ、いつものとこでいい?』
『うん。夜抜けていく』
 そう書き込む。
 央太は微笑んだ。
 なんだか二人を気まずくするのもアレなので、その日、央太は七緒と嵐真と、霞は蛍と食事をすることにした。
 夕食中、どうやら他のメンバーのギスギスしているのは気づいているらしく気を遣われた。
「…え」
 その途中、
「……いや、まさか」
 二人は友人に言われてしまう。
 七緒と嵐真、そして蛍は霞と央太が付き合っている事を実は知っている。
 なにせ、七緒は央太が霞のことをずっと好きだった事を知っている人間だ。
 そして、同じように蛍と七緒が付き合ってる事も同じように央太は知ってる。
 そうなると、中等部の頃から仲良かった嵐真に黙っているのも…と想い、二人はそれぞれの恋人に隠れているのも嫌で、はっきりと伝えたいと話した。
 嵐真は驚いていたものの、笑って祝福してくれた。
 巴にも伝えるかどうかは悩んだのだが、彼に伝えるのはともかくとして後ろにいる二人にバレないように教えるのは難しく保留になっている。
 けれど、何かの機会があったら伝えたい、とは思っていた。  


 二人に話を聞いて貰って、部屋に戻ろうかと思ったけれども、鈴の顔を見る気になれなくて央太は待つために廃地下鉄へと向かった。
「…かすみくん」
 もしも、別れようと言われたらどうしようかと思った。
 やっと好きだと言えて、好きだといってくれて、体まで繋げられたのに。
 でも、それでも霞がいなくなるくらいなら、恋心をまた沈めるくらい出来る。
「央太」
 月を見上げて、かすみくんをどうか奪わないでください、と泣きそうなくらいお願いしていたら、後ろから抱きしめるぬくもりが感じられた。
「かすみくん!」 
「悪い、遅くなった…」
「……ううん、全然待ってないよ!」
 そう笑うと安心したように笑う霞が好きだ。
「あのさ」
「……ミヤと、鈴のことなんだけど」
「……かすみくんも気にしてたんだ」
「……ああ」
 そう言うとそりゃそうだよな、と央太は思う。
「蛍に言われたんだけどさ…」
「うん…」
「……俺とお前が付き合ってる事、バレたんじゃないかって」
「……」
 その言葉に央太は驚く事はなかった。
「かすみくんも言われたんだ~」
「ってお前も?」
「ななおとらんまに言われた!」
 無理矢理そう言って笑うものの、霞は顔を顰めた。そして、「無理するな」と央太の頭をそっと撫でてくれる。そして、そのまま二人はその場で腰を下ろした。
 使われていない路線は人気がないせいか、天上の隙間から月明かりが差し込まれている。
 とはいえ、雲のせいで今は隠れて霞の顔もうっすらとしか見えない。
「……なぁ、央太」
「うん?」
「……もしも」
「うん」
「バレてたとして」
「うん」
 ああ、きたきた。
 あー、とうとう言われるのか。短い恋人生活だったな、と央太は思ってしまう。
 でも、それでもいい。
 傍に、いてくれるなら。
 霞が、ただの先輩でユニットメンバーになっても、それでも、もう、どこかに――――――
「お前、Hot-Blood辞められる?」
「…………」
 別れよう、と言われると思っていた央太は驚いて顔をあげた。
「ミヤと鈴に嫌われて、ユニット辞めてって言われてもいいか?」
「かすみくん?」
 何を言ってるのだろうと目を見開いて、霞の顔を慌てて見ると、傷ついたような、でもどこか覚悟した顔が雲間から刺した、月明かりに照らされて、央太をただ見ていた。
「……ごめん」
「……かすみくん、なにいって…」
「俺、考えたんだ。別れた方がいいんだろうなとか、どうにかごまかそうとか、でも無理だった」
「……」
「……俺、お前のこと、手放してやれないよ」
「……っ」
「お前無しじゃ、生きられない」
「……あ」
 そう言われて、抱きしめられてこれが夢じゃないんだと思った。


 何度も何度も月に願った。
 霞に帰ってきて欲しいと。
 何度も何度も月に祈った。
 霞をもう奪わないでくださいと。
 何度も、何度も、月に叫んだ。
 霞の傍にいさせてほしいと。
 ずっとは無理でも、それでも、傍にいたかった。
「お前から別れたいって言われたならともかく、他のやつが理由で別れるなんて絶対に嫌だ」
「……かすみくん」
「ミヤと、鈴からはさ、嫌われるかもしれないけど……Hot-Blood辞める事になるかもしれないけど、それでもいいか?」
「……っ……馬鹿!!」
「あはは、そうだよな」
「そんなの、かすみくんが一番に決まってるじゃん……っ!!」
 もしかしたらそうなったら、凄い悩むだろうし、苦しむと思う。
 央太は、否、霞だって、椿と鈴が大好きだ。友達だし、苦行を乗り越えてきた大切な仲間だ。ユニットメンバーは他の友人と違ってまた別の意味合いで特別だ。
 でも、それでも、きっと霞も決意したように央太も、目の前の人を失うのが一番恐い。
 もう、どこにも行って欲しくない。
「央太……」
「……かすみくん、だいすき」
 そう言えば、霞が央太のことを抱きしめる手に力を入れるのが解った。
「俺も、好きだ」
「……っ」
「お前の事、絶対に手放してやれない」
「てばなさなくて、いいよ…っ」
「うん」
「ずっと、一緒にいて」
「……ああ、約束する」
 そう言うと二人はどちらともなく唇を合わせた。
「……っ」
 やがて霞の舌が差し込まれてぴちゃぴちゃと水音が聞こえた。
「……かすみくん、あの…」
「いや?」
「嫌じゃないけど、その、」
「外だから?」
「そ、それもあるけど!でも、さすがに、瓦礫だらけのところは、まずいと思うんです!!」
 押し倒されそうになって、びしりと言うと「……それもそうか」と残念そうに言われる。
「じゃあ、立ったままならいいか?」
「……うぅ、かすみくん、そういってこの前も練習室でキスしてきた……」
「だって、久しぶりに二人きりだから嬉しかったんだよ」
「……オレは、そういうつもりで一緒に来てくれたとは思いませんでした!」
「普通恋人と二人きりになったら考えるだろうが!」
「うぅ、かすみくん……えっちだ…」
「そういう俺は嫌?嫌い?」
「……うぅ、意地悪な事言う……」
「はは、で、どう?」
「……」
 そう意地悪く尋ねると、「……すき」とぽつりと呟く声が聞こえて、霞はくすりと笑った。
「……央太が悪いんだぞ」
「なんで?」
「だって、俺に全部渡したりするから」
「えぇ?だって、あのときはかすみくんにオレの全部あげていいって思ったんだもん!!」
「今は?」
「うぅ、意地悪!!」
「嫌?」
「……好きだけど!!」
 でも、いじわる!と頬膨らます恋人が面白くて、霞はつんつんと頬を突いていた。
「……鈴とミヤに言ったらさ」
「うん?」
「改めてシテもいい?」
「……うん」
 そう言われると頬を赤らめて霞に央太は頷いた。
 それから何度目のかのキスをした。
 キスが好きだ。
 もう多分付き合い始めてそんなに月日がたってないのに、数え切れないほどの口づけをした。
 その度に、胸は高鳴って、互いにこれ以上ほどないくらいすでに好きなのに更に好きになっていく。
 きっと、央太なしじゃ息の仕方も忘れてしまうと霞は理解していた。
 自分でも自分のことが嫌いで好きになれないのに、それでも愛して欲しいと願い続ける自分にここまで愛してくれる人物なんてもう、きっと、彼以外に会えない。
 自分の子供なんて欲しくないのに、央太を孕ませて自分だけのものに出来たらいいと、矛盾した、叶わない願いを抱くくらいには屈折している。
 自分で歪んでいると解っている。
 それでも、その歪みを理解しながらも霞を央太は受け入れてくれた。
 好きだと、傍にいたいと言ってくれた愛しい子。
 央太に触れられる度に、汚い自分が少しだけ綺麗になっていく気すらするのだ。前を見て、太陽の光を浴びて、未来へ向かっていいのだと思わせてくれる。
 だから、それを誰かが奪うというのなら、もう逃げたりできない。



 あのとき、全部棄てて逃げ出した自分とは違う。
 もう、央太をおいていく事なんて自分は出来ない。もしも、どうしても逃げなければならないその時が来たら――――――
「……」
 例え世界から恨まれたとしても、自分はこの手を引いて、央太を連れて行こう。
 それ以上、何も望んだりしないから。
 

「……二人同時に話す?」
「そうだな……いや、別々の方がいいか」
「じゃあ、かすみくんがミヤくんで、オレが鈴くんが、いいのかな」
「そうだな…」
 そこまで言って、否、それで今上手くいってないのだと思い出す。それどころか避けられてるような気すら感じる。
 だとしたら、
「…なぁ、央太」
「うん?」
「お前――――――






 気分転換に、とプリムラの花を花瓶に生けた頃、軽快なノックが部屋に響いた。
 誰だろうかと思って開けると、「ミヤくん」と声が響いた。
 椿は、ああ、どうしよう、と思いながらも央太は、馴染みの部屋へと入った。
「央太?」
「ミヤくん」
「どうかしたの、霞なら―――」
「ミヤくんに、オレ、話があってきたんだ~」
 明るく、いつも通り。
 央太は自分で大丈夫、演じられると言い聞かせて顔をあげて椿を見つめた。
「……何?」
「……ミヤくんに謝りたくて」
「何を?」
 鋭い声。
 まるで針のむしろみたいだと思った。
 でも、央太はそれ以上に辛い事を知ってる。


 あの日、霞がいなくなって、ずっとずっと待ってた。
 毎日毎日毎日毎日、毎日―――帰ってきて欲しいと机に座って、名前を書いて、ここにいるよと唄って、町中でいないかと影を探して、心を叫び続けた。
 おいて行かれるのは嫌だ。
 でも、霞は言ってくれた。
 もう、置いていったりしないと。もしも次逃げるとしたら、手を引いて連れて行くと約束してくれた。
 だから、もう央太は恐くない。
 心臓は針金のように打ち付けるが、それでも央太のキャッツアイはきらびやかに輝いた。


「…オレ、かすみくんと付き合ってるんだ」



「…俺、央太と付き合ってる」
 居場所を作ってくれると言った人を裏切ってる。
 霞はずっと裏切り続けている、鈴を、そして椿を。
 スパイなんて続けたせいで、多くの人を傷つけた。だから、自分がどれだけ傷つけられてもそれは自業自得でしかない。央太が言った事があった。
 傷ついているからといって傷つけていい理由にはならない。
 あのとき、椿に言われた言葉はある意味正しかった。自分は本気になれない。だから悔しがれないし、どこか適当だった。
 それでも欲しかった。
 頑張ったと誰かに褒めて欲しかった。
 そのままでいいのだと誰かに言って欲しかった。
 その場所を一度棄てた。



 いなくならないでと言った央太を振り払い、ここにいろと言ってくれた蓮をすり抜けて、目の前の鈴に居場所を作ると言って貰っても自分は逃げた。
 なのに、結局実家から居づらくなったら、都合良く此処に逃げた。
 


 罪悪感なんてあるに決まってる。
 鈴と椿には恨まれてもいいのに、それでも友人だと言ってくれた。傍にいてくれた。平然な振りをして自分は此処にいる。
 そして、もう一つ、鈴と椿に恨まれても仕方ない事をしようとしている。
 またお前だけいなくなればいいと周囲に言われるべきだ。それでも、霞は何度も何度も何度も考えた。
 どうしたらいいのか考えた。



「…霞どの…」
「ごめんな、鈴」
「霞どのが謝ることなんて、何も―――」
「なんで知られたのか解らないし、黙ってようとか別に央太と示し合わせたわけじゃないけど、Hot-Bloodのメンバーに教えなかったのは本当にだましてたことだから」
「……っ」
「俺は、こんなんだし、隠し事なんて本当はもうしたらいけないやつなのに」
「霞どの!!」
 そう霞の名前を呼んで、それ以上言うなと鈴は言いたかった。けれど、霞はひるむことはなかった。
 その目を見た時、何かの覚悟をした時の顔というのはこういうものなのかもしれないと思った。
「ごめん、鈴。ミヤにも謝っても謝りきれない」
「それ以上は…」
「男同士だなんて気持ち悪いよな、あはは」
「……そんなこと、」
「だから謝るよ」
 そんなことない、と言おうとした時、遮られて鈴はやっと理解した。
 霞が何に謝っていたのか。



   隠していたことでもなく、付き合っていたことではなく、霞は、


「もしも、ミヤと鈴が嫌だっていうなら、気持ち悪いっていうなら、俺はユニットを抜けるよ」
「そんな、何を」
「それは仕方ない事だし、そもそも俺はユニットにいさせて貰える事自体が本来ならおかしいんだからさ」
「…っ」
 その言葉に血が沸騰しそうになった。
 またいなくなるのか、逃げるのかと、でも、それ以上に、鈴が驚いたのは、
「だけど」
 霞が言い出したことだった。
「ごめん、央太のこと離してやれない」
「……え」
「だから、二人が嫌なら、俺は抜けるよ。でも、その時は―――央太のことも連れて行く」
「……」
 逃げるのかと言いたかった。また、同じように。
 でも、違った。
 霞は、戦いに来たのだとやっと解った。
「…央太どのを?」
「本人にもちゃんと聞いた。Hot-Bloodに最悪いられなくても大丈夫かって。勿論、鈴とミヤが赦してくれるならいたい、と思う――――だけど、それが駄目なら、央太は連れて行く」
「……っ」
「ごめん、ずっと友達なのに言えなかった。俺はずっと鈴とミヤには悪いってずっと思ってた。だから二人の願いとか我が儘はなるべく叶えてやりたいと思ってるし、それで罪滅ぼしになるならって思ってた」
「…そんなこと、いらないでござるよ」
「ああ、鈴は優しいからそういうの解ってた。でもさ、きっと俺は無意識にそう思ってたし、他の人間にとって俺はずっと加害者なんだなって思ってた。ユニットに入って、こうやって華々しく声優兼役者やってられるのがおかしいくらい、みんな優しくて、だからいつかバチがあたってもおかしくない、そう思ってた」
「……」
 その言葉に、やっと鈴は霞から本音で話されている気がした。


 ユニットの『お母さん』だなんて誰からも言われていた。
 面倒見がいいと思っていた。
 でも、それは、無意識の罪悪感からで、17歳の少年が背負うには霞は様々な事をしてしまった。その贖罪のために必死で何かを失っても笑っていたのかもしれない。
 椿の我が儘も、「実力がなければ山に棄てる」だなんて言ってたけれども、ある程度受け入れて、鈴が何か失敗しても笑ってフォローしてくれたのも、友情ではなくその罪悪感のせいかと思うと途端に寂しく思えた。
「でも、言うんだよな、あの馬鹿は」
「え?」
「俺のこと好きだって、笑って「かすみくんだいすき」って。本当の俺は自分勝手で、人に愛されたくて、でも誰かを愛するのが恐くて、でも独占欲が凄く強くて、自分だけ見て欲しくて、自分だけのものになればいいっていつも思って、すぐ拗ねるし、必要とされないと嫌になるし、態度や言葉にして貰わないと不安になるし、凄い我が儘なやつなんだなって最近解った」
「……」
 そんなことない。
 霞は優しい人だ、と鈴は思う。
 けれど、鈴にとって霞は何なんだろうか。
 友達、ですらないのではないかと思えてきてしまう。
 笑う顔はいつもの穏やかで優しい顔ではなく、どこかいたずらっぽくて、無邪気に笑う子供のようだった。
 本当の霞はこうなのかもしれない。そう思う程にその笑顔が似合っていた。
「そう言ってくれる相手を手放したくない」
「……っ」
「ごめんな、鈴」
「霞どの」
「……」
 そう見つめる瞳に、やっと鈴は解った。
 何故こんなにショックだったのか。
 隠し事をされていたから?否、違う。
 それもあるけれども、鈴は、きっと――――――





「…馬鹿」
「うぅ~ごめんね、ミヤ君」
 部屋に入ってくるなり、付き合ってる事、隠し事をしていたこと、そしてどれだけ霞の事が好きだったのか語られて、椿は何にこんなにイライラしていたのかやっと理解した。
 認めたくないけれども、自分は―――きっと寂しかったのだ。
「……違うよ、お前のことじゃない」
「えぇ??」
「…こんな単純なことに気づかなかったんだなぁって思って」
「…え?」
「……ったく、会った頃はもっと小さかったのになって思っただけ!」
「んん?」
 椿はそう言って思い出す。
 三年前の春。
 七緒にくっついて中等部二年生の教室にやってきた央太を。
 ミヤくんと懐いて自分にくっついていた小さな子供。悔しいけれど才能というだけならば自分以上に輝かしいものを感じたその後輩を椿は周囲からそうは見えなくても椿なりに可愛がっていた。
 尊敬してると笑って言う後輩。
 けれど、その後輩はいつのまにか手を離れて、まったく別の人を好きになってその人物は自分の同室生だった。
 隠し事をされたことが悲しかったわけではない。
 自分は、寂しかったのだ。
 おいて行かれるような、ずっと一緒にいた二人が遠くに行ったような、そんな感覚を。
「……で?」
「え?」
「スキャンダルとか起きたらどうするつもり?」
「…起こさないよう気をつける!」
「……」
「ミヤくんと鈴くんでバレたのが最後!!これ以上は絶対に誰にもバレないようにする!!」
 そう言う央太の真剣さに椿は数日ぶりに笑った気がした。
「なら、そうしなよ」
「……え?」
「だから、赦すって言ってるの」
「……」
「まぁ、霞と央太ならお似合いじゃないの?霞が一方的に大変な気がするけどでも自分が選んだんなら別に俺が言うことじゃないしね」
「……い、いいの?」
「だから別にいいって!でも、何かあったら許さないし、万が一別れる事になってもちゃんとそのあとも私情持ち込まずにしなよ?」
「うん、だいじょうぶ!絶対別れないから!」
「……なにそれ」
 はぁとため息を吐く椿に、央太は笑ってぎゅっと抱きついてきた。
「…って、ちょっと央太!苦しいんだけど…」
「ミヤくん」
「なに」
「ありがとう」
「……」
「オレ、かすみくんの次に、ミヤくんとりんくんとれんくんがだいすきだよ」
「……」
「先輩だと一番大好き」
「そ。それは光栄だね」
 そう素っ気なく言いながらも、内心少しだけ嬉しかった。
「……だって、ミやくんはオレの一番最初の先輩だもん」
「俺にとっても、お前は最初の後輩だよ」
「えへへ」
 そう笑う後輩に椿は目を細めて微笑んだ。
「…だから、霞にいじめられたら気が向いたら助けてあげる」
「うん!頼りにしてるね!」
 笑う央太の顔は変わって無くてそれだけで椿は良かったと思えた。
「ほら」
「うん?」
「どーせ鈴のとこは、霞がいってるんでしょ」
「う、うん」
「なら行くよ」
「え?」
「もう、終わってるだろうからさ」
「……あ、ミヤくん待って!!」





「寂しかったんでござるな」
「え……」
「某にとって、ミヤどのと霞どのはこの学園で初めての友達で……」
「……」
「央太どのは初めてのルームメイトで、凄く凄く大切で……でも、」
「…でも?」
「二人がどこか遠くに行ってしまったようで寂しかったでござる」
「……ごめん」
 そう言う霞に鈴は首を振った。
「でも、今日だけで本当の霞どののことしれて、凄い嬉しかったでござるよ」
「……え」
「多分、こんなことなければ知らなかった」
「……鈴」
 そう言って、鈴は立ち上がる。
「…霞どの」
「え?」
 そう言って差し出された手。
「改めて、某と、友達になってはござらんか」
「……鈴…?」
「某、霞どのと本当の意味で友達になりたい。罪悪感とか贖罪なんかじゃなく、ただ、純粋に好きだから話をしたいし、友達になりたいし、力になりたい」
「……」
「それでは、いけないでござろうか?」
 悪いのは霞だというのにあたかも自分が悪いかのように泣きそうな顔で見つめてくる鈴の表情に霞はくすりと笑った。
 そして、そっと霞は鈴の手に自分の手を重ねた。
「…俺でよければ」
「!」
「ううん、俺こそ、友達になりたい。鈴の、本当の意味で」
「……なら、某、友達の恋路を反対する理由は一つもござらんよ」
「……」
 あっけをとられたような霞の顔に、鈴は笑った。
 そういえば、央太はよく「霞の新しい顔」と言っていた。これがそういう意味なのだろう、と鈴はやっと理解した。
「お似合いでござるよ」
 自分が邪魔者になるかもしれないと、寂しいと思っていた。
 でも、そうじゃない。
 新しい何かに自分達はきっとなれる。本当の意味で友になりたい。そう心から願った。
「…ありがとう」
 照れくさそうに笑う霞に笑みを浮かべた。
 それと同時にドアが勢いよく開かれる。
「ミヤどの、央太どの!」
「かすみくん、りんくん!」
「……話、終わった?」
「…ミヤ…」
 椿にはまだ申し訳なさがあるのか、少しだけ霞の表情は陰りを見せる。
 けれど、椿はそんなこと気にしないと言いたげに微笑んだ。



「…認めるよ」
「…え?」
「だから、ユニットリーダーとして許可するって言ってるの!!」
「……本当に?」
「ま?こっちとしては個人のことだし、絶対にこれ以上バレないっていうし、それに抜けられたらこっちが困るしね!!」
 そう勢いよく言うけれども、それが椿の優しさなんだと霞はよく知っている。
「ありがとう、ミヤくん!」
「暑苦しい……で、鈴は?」
 そう言うと、央太と椿の視線が鈴に向けられる。
「…某も…」
「……」
「勿論、二人の事、応援するでござる」
「!!」
「央太どの、なんだか変な態度をとってここ数日すまなっ」
「ううん!!こっちこそ、ずっと黙っててごめんね!!」
 その言葉を聞いて、央太は鈴に思い切り抱きついた。
「……央太」
「……」
 なんだか嫉妬したかのように冷たい目線を央太を睨む霞に鈴は苦笑した。
「…あのね、りんくん」
「なんでござろうか」
「ミヤくんにも言ったけど、オレ、いちばんすきなのはかすみくんだけど、でも、その次にりんくんがだいすきだよ!」
「……」
「りんくんと、ミヤくんと、れんくんが一番大好きな先輩で、世界で二番目に大好きだよ」
「……うん。某も」
「……えへへ」
 一番目に誰がくるのかなんて解らない。
 でも、みんな二番目に好きな人がきっといっぱいいるのだ。
 それは家族だったり、友達だったり、―――こうして大事なユニットメンバーだったり。
「……某も央太どのと、霞どのが大好きでござるよ」
「うん!!」
「…あっ、ミヤどのも!」
「いや、今はいいし…」
「っていうか、これ皆言わなきゃいけないのか?」
 苦笑する霞の腕を抱きしめて、央太は笑った。
 その笑顔を見ながら霞は以前の自分だったらこうして戦おうだなんて思わなかった。逃げてそれで無かったことにして終わりだった。
 それでも、そうしなかったのは――――――
「そうだよ!ほら、かすみくんも!」
「あーはいはい、俺もみんなのことが大好きだよ」
「むむ、愛情が籠もってない!!」
「本当だよ」
「信じられない~」
 本当に大切な人ができたから。


「…本当だって」
「…むぅ」


 失いたくない、この場所を。
 また一つ大切で、大好きになった。
 だから、前を向ける。この場所にいるためなら、喜んで泥を被るのも、罵声を浴びられても構わない。
 だって、隣に君が笑ってくれてるから。



「本当に、みんなのことが大切で、大好きだよ」