泪雨

 一度だけ、本当に一度だけ我慢できなくて衝動的に央太の首を絞めた事がある。
 付き合い始めたあとも、どこまでも央太は自由だった。
 真っ青な空の下太陽に照らされてどこへでもいける。
 霞が好きになった相手はそんな魅力的で可愛らしい年下の後輩だった。
 眩しいほどのその笑顔を見ると嬉しくて、同時にこの子の恋人が自分だというのが誇らしかった。


 でも、徐々に気づき始めた。
 今はいい。
 でも、いつか央太は大人になる。  子供っぽくても何でも自分で自分のことはして、いつか霞の手などいらないとはねのけるようになったら?
 今は「かすみくんだいすき」と笑って愛を囁いてくれるけれども、いつか男同士の恋なんて不毛だと気付いてしまったら?
 情緒が不安定だから、お腹が減れば機嫌が悪くなるがそれもコントロールできなくなったら?
 そうなったら、霞の元からきっと央太は去ってしまう。
 自分は央太なしでは生きていけないのに?
 ベッドに押し倒して、触れる唇の甘さも、ふれあった肌のぬくもりも、囁かれた甘美な言葉もなにもかも自分だけのものなのに、それが誰かに奪われると思っただけで正直狂いそうになる。
 いっそ、透明な箱に閉じこめて、誰にも触れられず、誰もみないで、自分だけのものにできたらいいのに。
 子供じみた、というよりももはや子供そのもののような願い。

 何度も、霞は央太を殺そうとしたことがある。
 追いつめられた、といえば聞こえがいいが、自分以外のものになるくらいならいっそ自分だけのもののまま死んでくれたら。
 殺さなくても手足を切り落とせば自分だけのものになるんじゃないかとかそんな危険な気持ちにすらなる。
 自分だけを見て、自分だけに話しかけて、自分だけに笑いかけてくれたらやっと霞は安心できるのだろうか。
 そう思った瞬間、
「かすみくん、それでね」
 霞は央太の首に手をかけた。
「……っ」
 このまま殺せば自分のものになる、と誰かが囁く。
 このまま力を込めれば、このまま自分だけのものにできるぞ、と思った瞬間だった。
 目が、央太の苦しそうな顔を捉えた。その瞬間、理性が邪魔して手を緩めた。
 つき合ってる相手に自分はなにをしてるんだとか、央太はこんなに自分を好きでいてくれてるのに、とか色々想いながらけほけほと息を吸い込む央太を見ながら自分で自分が恐ろしくなった。
「……かすみくん」
 スパイ騒ぎなんて目じゃないほどの蛮行。  霞はきっと央太にこのことを言われたらこの学園には二度といられないだろう。でもそんなことはどうでもよかった、霞にとって怖いのは央太に嫌われること、ただそれだけだった。
 顔をあげたら、霞に嫌悪を向けていたら?もしも、もう別れようだなんて言われたら、と思っていた。
 でも、



「かすみくんは、オレが死んだら幸せになれるの?」
「……え」
「かすみくんは、オレが死んだ後、幸せになれるの?」



 顔をあげたら、そこには綺麗な笑顔を浮かべた央太がそこにいた。
「…………俺は……」
「かすみくんが幸せになれるなら、オレ、それでいいよ」
「っ……」
「でも」
 そう言って、央太はそっと膝をついて、霞の両頬を包んでただ笑った。
「かすみくん、オレがいないとだめだから、幸せになれないよね」
「……っ」
「オレね、かすみくんに殺されても、別にいいよ。だってそしたら今度はずっと、かすみくんと一緒だもん」
「……おーた……」
「かすみくんにおいて行かれるのが一番やだ。ずっと一緒にいたい。だから、かすみくんがオレを殺したいならそれでいいよ、でも」
 それで、かすみくんは幸せになれるの?
 はっきりとした目と口が霞の心を抉った。
「殺したら、もうオレと話せないし、もうお出かけも、演技も、お散歩も、馬鹿やることも、えっちだってできないんだよ?」
「……そんなの、解ってるよ」
「うん、かすみくん、オレより頭いいもんね」
「平均並に何でもできるだけだし、数学はおまえの方が頭いいだろ」
「うん、そうだね。でも、オレ、そんなかすみくんがすき」
「……」
「だから、かすみくんがオレを殺しても幸せになれるって思うまで殺さないで」
 なんだそれはと思った。
 央太は馬鹿じゃない。
 数学だって、実際は学年一できると言われているあの青柳帝と同じくらいにできるし、現代文や古典はやや苦手だがけして赤点ではなかったはずだ。
 中等部からの持ち上がり組であることと、天才的な感性で演技だって人並み以上だし、何より華があるから誰もを惹きつける魅力がある。
「央太」
「うん」
「俺はさ、おまえに好かれるほど立派なやつじゃないよ」
「そうかな?」
「俺くらいのやつ、いっぱいいるし……」
「うん」
「って、否定しろよ!」
「だって、かすみくんよりオレのほうが上手いのは事実だし?」
「そりゃ……まぁ、そうだけど……」
「まぁ、顔は普通だよね、モブ・オブ・キングだし」
「……」
「でも」
 そこまで言って緑にキャッツアイが霞を射抜いた。


「オレはかすみくんのことが好き」


 ふわりと綺麗な笑み。
 央太のそんな笑顔を見たことがある人は他にいるのだろうか。


「かすみくんが望むなら、手足全部斬ってもいいよ」
「……」
「まぁ、歩けなくなってターザンごっことかできなくなるのか悲しいけどね!」 「……馬鹿」 「むむっ、かすみくんだって馬鹿じゃん」
「本当、どうしてここまでした相手の事好きだって言えるんだよ……」
「えー、かすみくん、好きになった理由とかいちいち言える?まぁ、ちゃんとオレはかすみくんが好きな理由言えるけどね!」
「言えるんかい!」
 こんな会話をしていて、とても殺人未遂した男と、被害者とは想えないな、と内心霞はどっと疲れを覚えながら話してた。
「かすみくんが望むなら一日あったこと全部かすみくんに言うよ」 「……うん」
「かすみくんがするなっていうなら、ミヤくんやりんくんとかれんくんとか、ななおとかミーちゃんとからんまは無理だけど、なるべくほかの人と話さない」
「……うん」
「かすみくんが怖いなら、オレ、夜きて毎日一緒に寝てあげる」
「……それは……ミヤに馬鹿にされそうだな……」
「あはは、確かに!」


 そう笑う央太を見ながら少しだけ胸が軽くなった気がする。
 最もこれからも、多分これとは付き合っていくんだろうなとは思う。
 いっそ心臓を捨ててしまえば、記憶を全部棄ててしまえば、自分は彼を手放せるのだろうか。



「かすみくん」



 いいや、きっと無理だ。
 例え心臓を棄てて、人工にしても。
 記憶を失って、すべて央太のすべてを忘れても。
 きっと、このとろける笑顔に、緑の瞳に、全て奪われるに違いない。


「さぁ、そろそろ行こうよ。今日はね?かすみくんが大好きな、チーズ入りハンバーグなんだよ!」
 そっと手をのばし、霞の手を握る。
 霞の脳裏に降り続いていた雨が一度やみ、晴れの日へと導いてくれる。  


 涙の雨が今、やんだ。



「それでね、かすみくん!」
「ん?どうした、央太」
「あのね、今日千紘先輩に顔が綺麗って言われちゃった!」
「…………へぇ」
「千紘先輩格好良いのにほめてくれて凄い嬉しい!」
「……」


 にこにこと笑って今日あった出来事を報告する姿のなんと愛らしいことか。
 この様子を傍から見た人間とはまた、橘は鳥羽にいちいち今日会ったこと教えてるのか」「鳥羽も大変だな?」「さすが親子コンビ」など好き勝手言われているが実際は違う事を誰よりも霞が知っている。
 実際は霞が央太にこうやって逐一報告させている、と知ったらどう思うだろうか。
 そもそも恋人だと知られたらどう思うだろうか。
 


「それでね、ななおとあおやぎせんぱいと、いろんな人に声かけて部活環境したんだ?」
「部活勧誘、だろ」
「そうそう、それ!」



 否、全て報告すると言い出したのは央太だが、霞は正直DVをしている男となんら変わりない。
 自分でも異常だと思う。
 それでも、



「……かすみくん?」
「ん?」
「……えいっ」
「痛っ!」
 そんな事を考えていると霞の額に央太が細い指がデコピンしてきた。
「かすみくん、また変なこと考えてる」
 ぷくぅと頬を膨らませて、不機嫌そうに央太が怒りを露わにする。もっともまるで子供に親が言い聞かせるようなポーズとしてのものだが。
「変なことって……」
「かすみくんが幸せなら、オレはそれでも別にいいけどね?」
「……っ」
「ほら、チーズハンバーグ、かすみくんの好物なんだからさめないうちに食べようよ」
 えへへ、と笑う央太を見て、霞は目を見開き、それから適わないなと笑った。
 子供っぽい、と誰がいったんだったか。
 多分、央太はーー少なくともHotーBloodの中での精神年齢はかなり高い。
 それに甘えてる自覚はあるし、何度も央太の隣にふさわしい人物はもっっといると知っている。
 それでももう手放せない。
 例え、霞が泣いたとしても、その涙の雨を隠さないでいいと目の前の恋人が教えてくれたから、強く揺るがない気持ちで彼を思い続けるのだろう。
 恥ずかしくてなかなか自分から好きだと言うことはできないけれど。


 


 

 央太のSSRカードでない記念。
 カードのタイトル意識してます。私の目がまぶしさの余り壊れたら困るから遠慮してるんだね…央太…★