哀願人形

 オーディションの前、霞は央太の爪を切る。
 この習慣がいつからだっただろうか。少なくともつきあい始めてからだったことは確かだ。
 学園にいた頃はわざわざ央太の部屋にまで来て爪を切るその異様な姿に見ていた鈴や椿、蓮にその様を見られて顔をしかめられたものだ。
 それでも、この習慣がなくなることはなかった。
 むしろ、卒業し、二人で暮らすようになってからはますます酷くなったといってもいい。
 それでも央太は霞がこの程度で心が落ち着くならいいと思っている。
 この姿を見た誰かから「まるで人形になったみたい」と央太を馬鹿にしたが、別にそれでもかまわなかった。
 どこか遠く、また見えないところに霞に行かれるくらいなら、愛玩人形でも別にかまわないのだ。
 走り回ってる方が大好きだが、別に央太は物事を考える事が嫌いなわけじゃない。ようは集中できるかどうかの違いでしかないのだ。
 ぱちんと左の小指まで切った音が聞こえた。


「かすみくん」

 名前を呼んで両腕を広げれば霞が自分に抱きつき、そのまま押し倒してくる。
 ベッドに寝ころび、そのまま央太の胸に顔を埋めた。
 央太としては本音を言えばそのまま事に及んで貰いたいところだが、それは明日の霞のオーディションが終わるまでの我慢だろう。
 霞の髪の毛をなでながら、つまらない白い天井を見上げる。

「まったく、かすみくんにはオレがいないと駄目だなぁ」

 他人が聞いたらきっと「どっちがだよ」って言われるだろう。
 だって、他の人は知らない。霞がこんなに酷く臆病で、自分に甘えてくる姿なんて。
 もっともっと自分におぼれたらいいのにと想いながら、央太は霞の背中に腕を回した。






「かすみくんのものって言われてるみたい」
 くすくすと笑う央太の声に顔が熱くなるのを感じた。
 もうとっくに両手で数えられないほどの夜を共に過ごした時だった。
「かすみくん、なんで照れてるの?」
 両足を遊ばせて、枕に顔を埋めながら無邪気に聞いてくる。
 もう学生じゃないというのに子供っぽさがまだ残っていて、なのに、どこか色気がある事が霞を誘う。
「照れてないし…」
「顔真っ赤だよ~?」
「人をからかうな」
 そう言えばまたくすくすと笑う声が聞こえる。
 宝石ヶ丘に入学したばかりの自分が知ったらきっと『なんでよりにもよって央太と』と蔑んだ目で見られる事は間違えないだろう。
 趣味が悪いとかそういう理由ではなく、自分にとって庇護の対象であり、同時に裏切った相手でもある人間なのに、と。
 それでも、自分に手を伸ばし、全身で好きだと言ってくれる相手を愛さずにはいられなかった。
 こうして無体を働いて、体中に鬱血痕が出来てもそれを愛しそうに笑う相手を誰が嫌いになれるだろうか。
「俺のものじゃないの」
「あっ、そうだった。オレ、かすみくんのだ」
「……」
「だから、どうして照れるの?」
「て、照れてないし!」
「かすみくん、変なの~」
「ほら、もう午後から仕事なんだろ、寝ろ」
「う~、かすみくんが好き勝手したくせに~」
「お前が煽るからだろ!」
「あおってないもん~」
 ぷくぅと頬を膨らませる央太に「ほら、寝る」と言えば「…かすみくん、お母さんみたいな事言う」と口にする。
「誰がお母さんだ」
「そうだよね、お母さんはこんなことしないもん」
「……」
「ねぇ、そこで黙らないでよ」
「否、今、自分でもそうだよなって思った」
「何それ」
 そう言うと人の腕に抱きついてきてオレンジ色の猫毛を央太は霞に擦り付ける。
「かすみくんは、オレの旦那さんでしょ」
「……」
「ねぇ、だから黙らないでよ」
「……いや、その」
「なんでだから照れてるの」
「……否、今のはちょっと……うん」
「……」
 照れてないってば、と言われるかと思ったらどうやら本気で照れてるらしくて口元を霞が覆ってた。
 央太はその姿を見て口元を緩める。
「かすみくん」
「うん?」
「かすみくんのこと、オレ、大好きだからね」
「……うん」
 それだけいうと、央太はなんだか満足して目を閉じた。
 その後すぐにすやすやと寝息が聞こえる。


「……」


 そっと左を向くと嬉しそうに微笑んで眠る央太の顔。
 額にかかった前髪にそっと触れた。
 切りそろえられた爪。
 整えられた髪の毛。
 きめ細やかな肌。
 そして、それを穢すかのように体中に散らばった鬱血痕。  


 全部全部、霞が央太にしたこと。
 かつてのユニットメンバーに人形扱いしてるみたい、と言われた事もある。
 央太を霞が甘やかしてる、と言うけれど、実際は霞が央太に甘やかされてる自覚はある。
 央太だってもう子供じゃないから自分で全部出来る。
 でもこうすることで、自分を落ち着かせてる、自分から離れないで欲しいと願ってしまう。
 その度に手をそっととって『オレはかすみくんのだよ』と笑うのだ。
「ごめんな」


 離してやれない。
 でも、それでいいと央太は笑ってくれるから。
 自分でもどうしてこんな歪になったのか解らない。
 そんな霞を央太は好きだと言ってくれる。
 霞が央太に与えられるものなんて霞自身しかないのにきっと、央太はそれがいいと言ってくれる。


 額に唇を落とすと、ふにゃりと口元が緩んで、今度はまた唇にキスをした。  
 





 

 霞君は絶対にどこか病んでると思うんですけど、そんな霞君を掬いあげられるのは央太しかいないと割と本気で思ってて、
 こんな太陽みたいな子がずっと傍にいてくれたら帳尻あっていいんじゃないか…って真剣に思ってるんですが、霞央は少なくて毎日私は泣いている。
 誰に頼まれるわけでもなく、自分から率先して面倒みてくれる相手を好きにならないわけないし、同時に面倒見てる時点で好きに決まってるんだよなぁ、と私は思っているので私は霞央が大好きです。