共達

 お金を稼ぐ為になんでもした。
 正直言えば、体を売った方が手っ取り早いだろうなと思った事だってある。
 けれど、幼い頃、”そういう目的”で寄ってきた男を見て父親が血相を変えた姿を覚えていた。


「ビリー、大丈夫だったかい?」
「うん。オレ、全然大丈夫だよ?」
「そうかい」
「ねぇねぇ、さっきの人、お金くれるって言ってたよ?言う通りにしたら父さん、今日のごは
「ビリー!!」
「……お父さん?」
「いいかい、お願いだから。何をしてあげると言われてもああいう人に付いていってはいけないよ」
「……」
「わかったかい?」
「……うん」


 父親についてマジックショーに、サーカス。色んな場所を歩いた。
 みんな優しかったけれども、でもサーカスやマジックショーというのはどうしてもアンダーグラウンドな側面を持ち合わせる。
 例えば、売春を斡旋する人だとか。
 例えば、慰み者にされる異国人だとか。
 例えば、幼女趣味の人間だとか。


「お父さんから離れたらいけないよ」
「うん!」


 同じ年齢の子がするようなスカートやアクセサリーはつけたことがなかった。
 お金がないのもあるが、解りやすく女の格好したら最後、攫われるからだ。
 ニューミリオン州は富裕層と貧民層の差がはっきりとしている。
 ストリートチルドレンを捕まえて売りさばくなんて事は多々あることだ。


 父親と一緒に回ったサーカス団はむしろそういった子供達を保護していたけれど、そうではないサーカス団なんて幾らでもある。
 悪い噂を聞く事も多々あった。
 安い賃金で、その日の食事を買う。
 けれど、ビリーは自分がどれだけ幸福な女だったのか解る。


 体を売る事がけして悪い事だとは思わない。
 けれど、それを行けないと、駄目だと言ってくれた父親がいることはどれだけ幸せだっただろうか。
 世の中には自分の妻も娘も平気で殴ったり売る人間もいる。
 そんな汚い事実をビリーは嫌でも目にした。
 大好きな父親が必死で隠そうとしてくれた現実は余りにも無残だった。  


 父親が病気を患い、入院することとなった。
 どうにか大金が欲しくて、手っ取り早い方法がアカデミーに入ってヒーローになることだった。
 ヒーローになれば色んな情報を手に入るし、裏社会に売りさばく事だって出来る。  


 正義だとか、愛だとか適当な事を人は言う。
 けれど、結局のところ――――――金がなければ生活は持続出来ないのだ。


 金が欲しい。
 金があれば、父の病気を治して、安定した暮らしをさせてあげられる。


   フェイスとビリーが出会ったのはそんな頃だった。
 端整な顔立ちをしている、世の中をつまらなそうにしている人間。
 アカデミーというのはどんなに独りでいようにも団体行動を伴うものだ。
 そういう意味でもフェイスとビリーは都合が良かった。
 『オトモダチ』としては最適だったのだ。
 お互いに深入りしない、興味も持たない。金払いのいい客と金を求めた情報屋。
 幸か不幸か、余り育たなかった絶壁とも言える胸のせいで女と一目でわかる人はいなかった。
 更には父親の教育故にビリーは女らしい服装も落ち着かなかった事も理由の一つだった。
 女の格好をして情報を得る事もあったが、下手に女だとバレると逆にカモにされそうになることも多い為面倒ごとが多いのだ。  



 誰かに心を動かされる事なんて無かった。
 富裕層のお坊ちゃん達なんて手玉に取るのは簡単だと思っていた。  


 無事、トライアウトをクリアして、同室は年上の男性。
 おどおどとした頼りなさげな様子に、ビリーは特に何も思わなかった。


 友だち、と言っただけでまるで子犬が尻尾を振るように嬉しそうな顔をする、騙しやすそうな人物。
 そうとしか思ってなかった。
 白いオーナメントを渡しただけで喜ぶような、こっちが心配くらい純粋な人。


「そ、それに……僕にとっては、初めての友だち……だから……、っ、だから!助けるのは当然なんだ……!」


 ただ、それだけだったのだ。
 なのに、


「ビリーくん……も、もうやめて……。そんなの僕、聞きたくないよ……」



 今までだってこんなことは沢山あった。
 人を馬鹿にしやがってとか、人の不幸をなんだと思ってると言われ続けた。
 殴られそうになったことも、殺されそうになったことも。
 多くの人の幸せを踏みにじって自分は生きていた。
 だけど、
 グレイの涙だけは見たくなかった。
 痛々しいその表情だけがビリーの心を抉った。


「嘘……だよね?今の全部……。あのとき僕にメッセージを送ってきたのが、ビリーくんだなんて……っ、嘘だよね……?」


 嘘だといえばいい。
 調べて解った冗談だと。
 でも、もうビリーはグレイにだけは嘘をつけなかった。


「……嘘じゃないよ」
「っ!」
「今までずっと騙してて……本当のことを言わずにいてごめんね、グレイ」


 もう二度と会うこともない。さよならだ。
 グレイを守るのも、隣にいるのも自分じゃない。
 泣いているグレイをビリーから守るようにバディが吠える。
 ああ、やっぱり無理だったんだ、と思った。


 可哀相なグレイ。
 優しくて、愚かな人。
 でも、ビリーはそんなグレイが羨ましかった。
 家族に囲まれて、幸せそうにしている。


 でも、何故か、グレイに対しては、妬ましいとは思わなかった。
 グレイだけが、ビリーにとっては特別だった。


 グレイとの出会いが、ビリーを変えてしまった。
 平気で嘘をつく、昔の自分じゃなくしてしまった。


 馬鹿げている。
 もう、グレイにあえないのに。
 そう思っていたのに、



「ビリーくん、大丈夫…!?」
「グ……グレイ……?」
「ど、どこをやられたの……?どうしよう……どうしよう……っビリーくん……」

 ビリーが傷つくだけでこんなにも悲しそうな顔をグレイはする。


「どうしてグレイが、ここに来たの……。あんなにヒドいことをしたのに……」
「……。確かに……本当のことを知って、僕はすごく驚いた……。ビリーくんはずっと僕を騙してたんだって知って……凄く胸が苦しかった…」
「だけど……僕にとって、やっぱりビリーくんは『初めての友だち』に変わりないんだ」
「え……」
「えっと……。前に言ったの……もう、忘れちゃったかな……?」


 損得勘定を考えずに、騙されてるのにいつだってグレイは手を伸ばしてくれた。
 可哀相なグレイ。
 薬を売りつけたのも、友だちだなんて嘘を信じ続けて。
 でも、この関係も全部終わりだと思っていた。
 なのに、


「ビリーくんは、僕にとって初めての友だち……。だから……助けるのは当然……」
「なんで……?よくわかんないよ、グレイ……。オイラ、嘘ばっかり吐いて、グレイのこと傷つけたのに……」


 助けてたわけじゃない。
 円滑にするためのただの処世術だった。
 グレイのことを特別に思ってたわけじゃない。
 なのに、どうして、この人は笑ってくれるだろう。
 キラキラととした涙も、笑った顔も、全部好きだと思った。


 こんなの、『お父さん』以外どうでもよかった筈なのに。
 ここにきて、グレイにあって、自分は変わってしまった。
 見ないフリしてきた片隅のものに全部、全部、気付いてしまった。


 グレイと一緒にいたい。
 本当の友だち。


 なんて幸せなんだろう。
 ずっと、ずっと一番の友だちなんだ、って思ってた。

 グレイがそう思ってくれるならずっと友だちでいたいと思った。


 それが変わったのはグレイが何故かジュニアとフェイスとバンドを組んだという話を聞いた時だった。
 なんで?どうして?しかも自分には何も教えてくれない。
 わけがわからなくて聞いて見るけれどもはぐらかされるだけ。


 今まで、自分を一番に考えてくれていたグレイの世界がどんどん変わっていく。
 でも、友だちなんてそんなものかもしれない。
 ずっと一緒にいるのが当たり前じゃない。
 そんなことはビリーだって理解してた。


 でも、納得は出来なかった。
 バディと一緒に散歩に行くのも、ゲームに付き合うのも、一緒にお菓子を食べるのも、いつだって自分だった。
 ビリーにとって、ジュニアは年下の、からかいのある女の子でしかない。
 けれど、解ってしまっている。
 眩しくて、真っ直ぐで前向きで、強い。
 そんな人間に、『自分達』のような人間は弱いのだ。


 そして、ジュニアがグレイととてもよく似ている、ということも。
 光を照らされる人間は、やはり光に照らされる人間を好きになるんだろうか。
 そう思ってしまう。


 でも、これは単なる、一番の友だちを盗られちゃったからだと思ってた。
 そうだったらよかった。


 でも、全然違った。


「グレイを危険な目に遭わせたくないから」
「っ……それは……!それは僕だって一緒だよ……!」
「えっ……」


 グレイが、自分の父親に電話までして、そしてサーカスで危ない演目をしようとしている事実を知った。
 でも、グレイは止めるんじゃなく、一緒にやろうとしてくれた。

 

「本当は、ビリーくんに向かってナイフを投げたくなんかない……。だけど、ビリーくんは『信じて』って言ってくれた……」
 それだけじゃない、


「だから……ビリーくんも、僕を信じて……!」


 そして、グレイが信じてと言ってくれた
 それがビリーには嬉しかった。


「お願い、ビリーくん……。僕に命を預けるのは、不安かもしれないけど……。僕は、ビリーくんの力になりたい……。ビリーくんが僕を助けてくれるように、僕もビリーくんを助けたい……!」
「……グレイ」


 どうしてだろう。
 どうして、こんなに優しくしてくれるんだろう。
 どうして、こんなにいつも助けてくれるんだろう。
 友だちだから?
 その言葉が嬉しいはずなのに、痛んでしょうがなかった。


「グレイくん。危険なマジックをビリーと一緒にやってくれて、本当にありがとう。これからも、ビリーをよろしく頼むよ」
「!?こちらこそ、末永く……!」


 積もる話もあるだろうし、先に帰るねと言ったグレイを見送りビリーは父親のベッドの隣に座る。
 フライ・オア・ダイをやり遂げたのだ。
 難易度は下がったとはいえ誇らしい気持ちでいっぱいだ。何よりもグレイとの共同作業であることが嬉しくてたまらない。
 父親もグレイの事が気にいったようだった。
「良い子だったな、グレイくん」
「うん!凄く優しくていつも助けて貰ってるんだ~」
「あんな優しい子なら、ビリーが好きに解っちゃうな」
「……え?」
「友だちだって言ってたけど、恋人じゃないのかい?」
「ちょ、ちょっと、お父さん!何言ってるの!?」


 父親に言われてつい慌ててしまう。  


「だって、ビリーはグレイくんが好きなんだろう?」
「……は?」


 オイラが、グレイを、すき?


 自分をよく知る父親が言った言葉を何度も反復する。
 自分がグレイを好き。
 勿論好きだ。
 けれど、父親が言ったのはそういうことじゃない。


 恋愛的な意味で、家族になりたいという意味の好きだ。
 キスして、セックスして、結婚して、子を産み育む。
 それをグレイとしたいと自分が思ってる…??


 誰にも、グレイを奪われたくないと、隣にいたいと思っている?
 鋭い父親の言葉にビリーは固まる。
「……」
「グレイくんなら、ビリーのことを任せられるなぁ」
「も、もう、そういう冗談はやめてよね!」
 縁起でも無い、と言いながらも心臓は高鳴る。


   そんなわけがない。
 だって、恋愛とか、結婚とか考えてない。


 そう思ったのに、ビリーに『それ』を突きつけたのは、ベスティ―――よりにもよってフェイスだった。


 フェイスが結婚するだなんて、馬鹿げた噂がたってる時は面白いと思った。
 でも、さすがにジェイがくれた雑誌には動揺した。
 その月々にヒーローがした仕事をHELIOSの広報部が一つにしてまとめてくれたものをジェイが渡してくれたのだ。
 その時に、「ウエストセクターも仕事をしたらしいぞ」と教えて貰ったのだ。


「ビリーくん、見て見て」
「ワオ!うまくオイラたち綺麗に映ってる!」


 ピエロ衣装の自分に並ぶグレイ。  グレイは自分の容姿に自信がないようだが、やはり格好良いと素直にビリーは思った。
 隣に座りながら、何故か心臓が早くなるのを感じながらも気のせいだとなんとか言い聞かす。

「ねぇねぇ、それでDJと稲妻ガールのお仕事は?」
「えっと……このページかな?」
「……」


 綺麗な金髪に、蒼天の瞳と、曇天の瞳のオッドアイ。
 美しい白い花嫁衣装とベールに身を包んだその人物をビリーは知っていても一瞬、誰なのか解らなかった。
 だけど、それ以上に解らなかったのはその隣にいる男だった。
 ビリーとアカデミー時代からつるんでいた悪友が、甘くて宝物を見つめるような瞳をビリーは知らなかった。
 少し前までなら、「DJ、稲妻ガールのこともしかして好きなの?」と揶揄えただろうが、今のビリーはそれどころじゃなかった。


   恋愛。
 恋人。
 結婚。
 夫婦。


 かつて、自分と同じように適当に生きていた悪友が前に進んでいる。
 自分も、多分。
 けれど、ビリーは知らなかった。
 彼が誰かをこんな風に誰かに慈しむ笑みを浮かべていることを。
 誰かを好きになれることを。


「……」
「わぁ……なんだか、本当の結婚式みたいだね……」
「そ、そうだね…」
「……ヒーローになることで今までいっぱいで考えた事なかったけど……」
「……」
「ジェイさんやリリー教官みたいに、いつか結婚して家庭を持って、子供を持つこともあるんだよね……」
「……そうだね…」


 心の中で言わないでと念じたけれど、当たり前だけれどグレイには届かない。
 そうだ。
 今はこうやって隣にいれるけど、いつかはそれだって終わる。
 ミラクルコンビになろうとか、『B&G』とか、そんなことを2人でやってるけれど、でもそんなのいつか終わる。
 ルーキー研修はあと二年と少しだ。


 グレイとビリーが一緒にいられる未来はそこまで。
 いつかグレイの隣には、自分以外の女の子が立つかもしれない。


「……」
「ビリーくん…?」


 嫌だ。
 そんなの嫌だ。
 絶対に嫌。
 グレイの隣にいるのは自分がいい。
 グレイに甘やかされるのも、
 優しくされるのも、
 手を握って貰うのも、
 一番の友だちも、
 バディパイセンと一緒に散歩をするのも、
 グレイの温かな家に迎えられるのも、
 毎日、一番最初におはようといって、最後におやすみを言うのも、

 全部全部、渡したくない。


 溶けるような、そのぬくもりを、誰にも渡したくない。
 自分だけのものがいい。
 ちゃんと、確かめたい、
 ――――――――特別なひとに、なりたい。


   グレイの、恋人になりたい。


 心から思った。
 心が囁いた。
 

 どうしたらいい?
 どうしたら、グレイの一番になれる?


 考えて、考えた末、ビリーがしたのは……


「ねぇ、グレイ」
「ビリーくん?」  


 自分を一つも意識していないグレイにとにかく女として見て貰うこと、それしかなかった。
 絶壁と言われる胸を押しつけたり、抱きついたり……。
 でも、勿論、色仕掛けするにはお粗末すぎるその体はなんの反応もグレイから得られない。


「……あのさ、ビリー」
「なに、DJ」
「無い胸押しつけても、なんのアピールになってないんじゃないの?」
「ひどい!」
 

 グレイとビリーが最近夢中になってる『スプラシーカラーズ』の話を聞いて、じゃあ教えて貰おうかなと2人の部屋に来たフェイスに突っ込まれた。
 プレイしている途中でグレイがジェイに呼ばれた時につい突っ込んでしまう。


「DJ、それが女の子に言うこと~?」
「ビリーは女の子っていう感じじゃないでしょ」
「……」
「大体、なんのアピールにもそれなってないからね」
「……」
「見苦しいから辞めたら?グレイも可哀相だし」
「……DJ」
「なに?」
「……稲妻ガールの胸はオイラより小さいけど?」
「……はぁ?」
「オレっちより小ぶりだけど、DJは好きでしょ?」
「ちょっと、なんでビリーがおチビちゃんの胸のサイズ知ってるわけ?」
「だって、オイラ、お風呂一緒に入ったし!」
「は?」
「ついでに、女の子同士だからって揉ませてもらったし!」
「ちょっと、何。今すぐ記憶から抹消してくれない?」
「なんでなんで?小さいなら別にいいんでしょ?」
「ビリーのとおチビちゃんのを一緒にしないでくれる?っていうか、なんでお風呂なんて入って、揉んでるわけ?」
「えぇ、だって、稲妻ガール、ディノパイセンとも週に二、三回入ってるって言ってたよ?別に気にしないって。それはいいわけ?」
「ディノとビリーを一緒にしないでくれる?」
「えぇー、だって女の子だからっていう理由でアキラっちも一緒に入りにいったんだよ?レンレンには断られたけど」
「なんでアキラまで一緒に入ってるわけ?今すぐおチビちゃんとディノの裸の記憶を抹消して。今すぐ」
「なんでDJに言われて消さなきゃいけないのさ」
「ごめん、2人とも……待たせてご……ああーーーーなんで、フェイスくんがビリーくんの頭掴んでるの?」
「……グレイ!うぅ、DJがいじめる~」
「違うよ、グレイ。ビリーが……」
 ビリーが自分の好きな女の子の裸を見て、ましてや揉みましたなんてグレイに言うわけにもいかずフェイスは口を噤む。
 好きなことがバレるのもはずかしいし、何より「え…女の子同士だからいいんじゃないの…?」と正論を言われたらその通りだからだ。
 しかし、そこはさすがのグレイ。
「え……喧嘩したら、駄目だよ…?」
 弟と妹がいる兄である彼は可愛らしい笑顔を浮かべて2人に注意をする。
「ハーイ」
「……うん、そうだね…」
 元より2人ともグレイには甘いのだ。
 不思議とグレイには優しくしたくなる。
 けれど、2人は知らない。
 この楽しげな2人の様子も、ささくれのようにグレイにはしっかりと刺さっていたということも。





 それから数週間後。
 ルーキーリーグの事件があって、グレイはジュニアに想いを話した。
 ビリーが好きなこと。
 そして、同じようにジュニアもグレイに言った。
 フェイスが好きだということ。  


 元々仲が良かった2人は、片思い同士としてこうして時折、二人きりで会って、互いの思いの丈を吐き出すようになった。  


「そういえば、言い忘れてたんだけどビリーくんのお父さんに会ったんだよ」
「そうなのか」
「うん……友だちって言って貰えてすごく嬉しかった……」


 グレイにとってジュニアとこうしている時間は幸せだった。
 自分の気持ちを隠さなくていい。
 まるで懺悔室で自分の罪を全て告白しているようで、それを許されているということが嬉しかった。
 ビリーを好きだという事を言えた。


  「……でも、最近、その、男だと意識してもらえないのか、ビリーくんのむ、胸が、その、腕に当たって……うぅ…」
「胸があたると辛いのか?」
「好きな女の子に抱きつかれたり、腕を絡まれたりしたら辛いんだよ……」
「そうなのか…」
 そう言うとシュン…とジュニアが項垂れる。
「ジュニアくん…?」
「おれ、クソDJにその……トイレに連れて行って貰ってる時に腕を絡ませたり、映画のとき、つい抱きついたりするけど……グレイみたいに全然動揺して貰えない…」
「あ、え、えっと…」
「やっぱり、そういう目で見られてねえんだな……」
「そそそそ、そんなことないよ、ジュニアくんは可愛いよ…?」
「そう言ってくれるのは兄ちゃんとディノとグレイだけだ……」
「本当だよ!ほら、この間のホテルの宣伝の写真見たけど、凄く綺麗だったよ?」
「……本当か?」
「うん!……あれを見て、僕もビリーくんとこんな風に結婚出来たら……って、そうじゃないよね…」
 ごめん…と言うと、ジュニアは首をぶんぶんと横に振った。
「グレイの結婚式か……」
「あわわ、気持ち悪いよね……告白もしてないのにこんな妄想するだなんて……」
 恥ずかしい……と顔を真っ赤にさせてジュニアよりも9歳年上の男は口にする。
「別にいいんじゃねえの?好きなんだからしょうがないだろ」
「そうかな……」
「あーでも、グレイは犬も参加できる結婚式がいいんじゃないのか?」
「そ、そうだね、バディも一緒だったらいいなぁ…」
「……」


 全て、全て、単なる夢。
 叶わないと解ってる。


「そういえばさ、グレイに聞きたいんだけど……」
「うん、なにかな……」
「その、あの…」


 それでも、少しでも可能性があるなら諦めたくない。
 ヒーローになることを諦められなかったように。


「……あの」
「うん」
「……っ」


 好きだという気持ちを、グレイは棄てられなかった。


「男って、処女だと面倒くさいのか…?」


 そう聞けばグレイは慌てふためいていた。
 けれど、少しだけ考えた後、覚悟を決めたように口をおずおずと開いた。


「あの、だけど、ね……」
「グレイ?」
「これは、あくまで僕の気持ちなんだけど……」
「うん…」


 自分達は叶わない未来をいつも話している。


「……好きな女の子相手なら、多分、どっちでもいいんだと思う」
「好きな……」
「もしも、好きな相手の、はじめてだったら、すごい嬉しいし、もしも違っても……それでも僕を選んでくれたんだと思うと……それも嬉しいんだ……」
「……うん」


 好きな人に好きになって貰えるなんて、アニメやゲームでは当たり前のようなこと。
 でも、それがどれだけ難しいのか知っている。


 ずっと憧れてたヒーローになれて、はじめての友だちが出来た。
 ジュニアにフェイス、アキラ、ガスト―――自分の話を聞いてくれる友だちが出来た。
 それだけで十分幸せなのに。
 部屋に籠もって、テレビの向こう側の世界を楽しんでいたひとりぼっちの自分はもういないのに。
 なのに、どうして、もっともっとって欲張りになるんだろうか。


 当たり前に、手を伸ばせば届くだなんて思ってない。
 きっと、誰1人思ってない。
 諦めれば楽なのに、それでも諦められない。  


   辛くて、胸がはちきれそうで苦しいけれど、その痛みも切なさも、誰にも理解出来ない、自分だけのものなんだとグレイは解ってしまった。
 でも、それで良かった。
 これ以上望まないと決めていたのに。
『グレイも、ゴーグルに告白しろよ』
「え、えぇ、そ、そんな無理だよ……っ」
『だから、グレイも頑張れよ!』
 記憶喪失騒動の後、同じ片思いの仲間から背を押された。
 告白なんて出来るはずがない。
 だって、今のままで幸せだ。
 時折、耐えきれない事もあるけれど、それでも今のままでいい。壊れるくらいなら、それでいいんだ。  


 そう思ってたのに―――――



「いや、告白しなよ」
「……」
 何故、今、僕はフェイスくんに突っ込まれているんでしょうか…。
 そう自分で自分にグレイは突っ込んだ。
『そりゃあ、お前がうじうじとビリーくん、ビリーくんって言ってるからだろうが』
(そ、そんなに言ってるかなぁ…)
『二言目にはあのゴーグルの名前が出てくるんだから余程鈍いやつじゃねえかぎり、普通は気付くだろうが。誰だってお前があのゴーグルでマスかいてるんだろうなって思ってるぜ』
「ジェット!」
「……え、今、ジェットに何か言われたの?」
「はわわわ、なんでもないよ……というか、なんでフェイスくんがいるの?」
「本当になんでお前ついてきてるんだよ!」
「なんでっておチビちゃんがグレイと会う約束があるって言ってたからでしょ?」
「そうだけど、なんでお前がついてくるんだよ!」
「そりゃあ、普通、例えグレイが相手だとしても、他の男と恋人が会ってたら普通嫌でしょ」
「ぴぎゃ!こ、こここ……」
「え……」
「俺たち、恋人になったんじゃないの?」
「……そ、そうなんだ……」
「ぐ、グレイ…」
 その言葉に、心の底から良かったと思った。
 だって、グレイは知っている。
 辛そうな横顔も、一緒に吐露した気持ちも。
 だから、素直に祝福できた。
「……ありがとう、グレイ」
「……」
「ちなみに、報告したのはグレイが最初」
「え」
「……キースもディノもまだ帰ってきてねえからな」
「……」
 どうして、と思ってると、フェイスがグレイの髪の毛に触れる。
「わっ」
「あのさぁ」
「はわわわ……フェイスくん!?」
「俺もおチビちゃんも、グレイのこと大事な友だちだって思ってるんだけど」
「……え」
「……伝わらない?」
「……」
 友だち。
 ずっと欲しかったもの。
 だから、そう言って貰えるのは嬉しいが、正直納得できなかった。
 なぜなら、グレイにとってフェイスは……
「僕、ずっと、フェイスくんのことが羨ましかった」
「俺を?」
「だって、ビリーくんにベスティって言われてて、話もうまくて、人付き合いも上手で……僕なんかと全然違って……」
 遠い存在だった。
 地べたを必死で這いずり回ってる自分に比べて、フェイスはそれこそアッシュのようになんでもそつなくこなしている上流階級の人間だった。
 カースト下位のグレイからしてみれば上位のグレイは別世界の人間だった。
 その上、アッシュのように横暴でもなく、そっと自分に寄り添ってくれる。
 こんないい人相手に自分が適うわけがないと思っていた。


「……俺は割とグレイのことすごく気に入ってるんだけど」
「え、えぇ!」
「っていうか、男としてならグレイのほうが断然いい男じゃね?一途だし真面目だし」
「それ、彼氏の前で言う?……まぁ、俺もグレイはいい男だと思うし事実だけどね」
「え、えぇ!」
「ぴ!い、一々、そういう事言うなよな……」
「……まぁ、確かにグレイはビリー一筋だし、牽制する必要ないよね」
 ごめん、と何故か謝られて、グレイは首を傾げながらも「きにしないで…?」と言ったが、それよりも気になる言葉があった。
「……え」
「どうかしたの?」
「あ、あの……フェイスくん」
「うん?」
「ど、どうして、僕がビリーくんのこと好きだって知ってるの……?」
 ジュニアが話したのか?とも思ったが、ジュニアがそういう子ではないことをグレイは知っている。
 ならば――――


「え、それ、本気で聞いてる?」
「……え、だって、僕、ジュニアくん以外に話してない……」
『だーかーらー、言っただろ?』
 ジェットはだまってて!と叫びたいのにその隙もない。


「……だって、グレイ、二言目にはビリービリーって言ってるでしょ、あれで好きじゃない方がおかしいよ」
「……」
「……でも、ビリーのことで俺に嫉妬する必要なんてないのに。ビリーだって二言目にはグレイグレイだし……って…」
「は、はわわわわわ……」
「ぐ、グレイ、大丈夫か!?」
「……もしかしなくても、グレイってバレてないと思ってた…?」
「お前は一言余計なんだよ!!」
『周囲から気持ちなんてバレバレなんだよ!』
 そう突っ込むジェットの声を聞きながら、グレイは意識を手放しかけた。
「グレイ!帰ってこい!」
「……う、うん……ありがとう、ジュニアくん……」
 意識をなんとか取り戻し、2人を見る。
「あ、あの……」
「うん?」
「その……」
「どうかしたの?」
「……みんなにビリーくんが好きって……バレてるんでしょうか…?」
「……なんで敬語?」
 ジェットが言ってるようにバレバレだったらどうしよう、
 そんなわけがない。
 だって、それだったら、ビリーくんにバレてる事になってしまう。
 どうしよう、どうしようと何度も脳内でリフレインする。
 普通なら答えなどない。
『そんなに、愛しのビリーくんの事考えてマスかいたのがバレんのが恐いのかよ』
「ジェットは黙ってて!!!!!!!!」
『別に好きな女のこと考えて自慰行為したことがバレるくらい誰も気にしねえだろうがよ、健全で何よりじゃねえかよ』
「……グレイ、大丈夫か?」
「今日のジェットはなんだか絶好調みたいだね…」
『ビリーくんにメイド服着てほしいとか、セーラー服着てヤりたいとかバレる事の何がこええんだよ』
「ぼ、僕は、ビリーくんにそんな…」
『本当か?』
「……」
『何度も言ってるだろ、俺が思ってることはグレイ、お前が思ってることなんだよ』
「……それは…」
『まぁ、これはお前がコスプレ衣装通販ページを見た時に思ったことで、俺の考えじゃねえけどな』
「もう、ジェットは黙ってて!」
 そんなやりとりを2人はじっと見守っていた。
 とはいえ、はたからみるとどう見ても漫才にしか見えないのだが。
「……見てる分には面白いけど大変そうだね」
「ジェットってグレイのこと大切に思ってるっぽいけどちげえのか?」
「違わないだろうけど、一番二人の事応援してるからさっさとくっついてほしいんじゃないの?」
「……」
 大声を出してはぁはぁ、と息切れしているグレイの背中を優しく擦る。
「グレイ、大丈夫か?」
「……大丈夫…」
 辛そうなグレイを見ながら、昨日までの自分を考える。


「……まぁ、告白できないって気持ちもわかるよ」
「……」
「そのくせ、好きな子の隣にいることは諦められないんだよね」
「……」
 関係を壊すのは恐い。
 でも、隣にいられない自分は考えたくない。


 ヒーローになれば、弱い自分から変われると思ってたのに、自分はずっと弱いままだ。


「……でも、僕は―――」


 やっぱり、このままでいい、と言おうと思ったら、
「グ~レ~イ~、だ~れだ?」
「……」
「グレイ?」
「はわわわわ、ビリーくん!?どうしてここに……」
「グレイを探してたら、DJと稲妻ガールと一緒にいるな~って思ったんだけど…」
 突然の声と目隠し――は特に気にならないが、ビリーの事を相談していて、ビリーが突然現れるとさすがに驚く。
「え、オイラ、お邪魔だった?」
「そ、そんなことないよ!ビリーくんが邪魔なことなんて一生ないよ…」
「本当?じゃあ、ずーっと、グレイの隣に一生いようかな」
「え……一生?」
「……いや?」
「……ずっといてください…」
「……」
「……」
 当たり前に隣にちょこんと座るビリーと天を仰ぎ見るグレイを見てフェイスは何か言いたげに2人を見る。
「にしても、3人で何話してたの?」
「……え、えっと…」
「それは…」
 ビリーの事を話してたんだよ、と言うわけにもいかずにどうしたらいいのかと思っていると、
「おチビちゃんと俺が付き合い始めたからグレイに報告しに来たんだよ」
「そ、そう!グレイには相談に乗って貰ってたから!」
 フェイスは当たり前のように隣にいるジュニアの手を握ってそのまま掲げた。
「う、うん!よかったね…って話してて……」
「へぇ………って、なんでDJ!俺っちには話してくれなかったの?」
「うるさ……ビリーに話す必要なんてあった?」
「俺たちベスティでしょ~!」
「……俺はどっちかというとグレイと距離を縮めたいんだけど」
「へっ!?僕と?」
「グレイとはバンドも組んだし、甘いモノ好きで気が合いそうだし…」
「はわわわ……」
「ちょっとDJ!グレイを誘惑しないで!」
「はわわわ……」
「別にグレイはビリーのもとじゃないんだからいいでしょ」
「……そ、そうだけど…」
「……」
「稲妻ガールはいいの?グレイにDJをとられて!」
「いいわけねえだろ」
 どうにかグレイを奪われたくなくて、ジュニアに目を向けるとバッサリと彼女はそう言う。
 それに「おチビちゃん…」と感動しているフェイスの気持ちも知らず、
「おれもグレイと遊びたいし!もっと仲良くなりてえ!」
「え、そっち?」
「ワオ……」
「はわわわ…ジュニアくん……」
「だけど……クソDJもお、おれの恋人だし、グレイにでもやれない……」
「……おチビちゃん」
 解りにくいが少しだけ落ち込んでいたフェイスの気持ちが高揚するのがビリーには解った。
 少し前まで自分と同じ立場だったのに羨ましい、と少しだけ嫉妬してしまう。
「だけど、クソDJとグレイが仲良くなるのは嬉しいし……ん~~~、あ」
「なになに?稲妻ガール、何か思いついちゃった?」
「来月のシフト、みんなでオフの日合わせて遊びにいこうぜ!」
「み、みんなで?」
 その言葉にグレイの顔が緩む。
 けしてこの4人で遊びにいったことがないわけではないし、A班のメンバーとでかけたこともある。
 けれど、25歳まで友だちがいなかったグレイはいつまで経っても友だちと出かけるという事は嬉しくて溜まらない一大イベントだった。
「嫌か?」
「ううん、楽しみ……」
 ふわりと微笑むグレイは26歳とは思えないあどけなさだった。
「……ワオ、つまり、Wデートだね!」
「で…!?そんなんじゃねえし!」
「…だ、だぶるでーと!?」
 だぶるでーと、ダブルデート、Wデート。
 その言葉が何度も脳内で反復してしまう。
 ジェットが呆れて何も言えない状態な事をグレイは考えず、その言葉の意味を思い出す。
 Wデートということは、つまり好意を持ってる男女が一緒にでかけるということで、フェイスとジュニアは付き合ってるわけで……。
 もしかして、ビリーも少しだけ、ほんの少しだけ、自分を意識してくれてるんだろうか…?と少しだけ期待してしまう。
「…グレイ?」
「び、ビリーくん…」
 ついでに、腕に胸があたっているのもドキドキしてしまう。
 ビリーは普通にしているだけなのに、とグレイは思いながら、早まる心臓の音をどうにかしたいと思った。
 ちなみにそんなビリーに「ご愁傷様」とフェイスが言った事は誰の耳にも届かなかった内緒である。


 その後、わいのわいのと話しながら、夕暮れ時になるのを見て、バディの散歩に行くのだと腰を上げた。
「俺っちもバディパイセンと散歩したいな♪」とバディと仲の良いビリーも言ってくれる。
 その様子を見て、「アハ、デートじゃん」と突っ込まれて頬が赤くなるのを感じる。
「で、デートじゃないよ…」
 ビリーの為に否定するが、そうだったらいいなと、内心ははしゃいでいた。




「……バディパイセン~」
「クゥン?」
「俺っち、恋愛対象として見られてないのかなぁ……」
「クゥン……」
 いつものようにグレイと一緒にバディの散歩に来て、思い切りフリスビーを投げてしまった。
 慌ててバディと一緒にフリスビーを探しに来たのだが、ふと弱音を漏らしたくてバディに質問してみる。
 誰よりもグレイのことを知っているバディ。
 バディなら、なんでも解るような気がした。
「…DJに、デートだねって言われたけど、否定されちゃった…」
「クゥン…」
「内心、グレイと一緒にいる時はいつもデートだなって喜んでたんだけど、俺だけだったんだよね…」
 あはは、と乾いた笑いを浮かべるビリーを慰めているのか、あるいは何か言うようにバディは訴える。
「ワン!ワン!」
「――――なんて、バディパイセンに言ってもわからないよね~」
「ワン!」
 わかるよ、と言いたげにバディは吠える。
「えぇ~本当?」
「クゥン……」
「なんて言ってもしょうがないよね、バディパイセン、グレイのところに…」
「ワン!」
「え?」
 もう夕暮れ時だ。
 オフの時のように朝から一緒というわけではない。
 バディの散歩が終われば帰るだけなのだから、と拾ったフリスビーを手に持って立ち上がるとバディが「ここで待っていて」と言いたげに吠える。
 そして、ビリーに尻尾を向けて走り出す。
「……」
 その様子にかつてバディに吠えられて嫌われていた頃を思い出す。
 バディはグレイの事が大好きだった。
 グレイを傷つけるものを許さなかった。そして、その中にビリーもいた。
「……」
 置いて行かれて、ビリーはまだ熱さの残る砂浜に足を踏み出す。
 海に行こうと、グレイと約束した。
 ハロウィンにはお互い衣装を着て。
 冬になったら雪を見ようと。
 春になったら次のイースター。
 そして、それがもう一度体験して、自分達のルーキー研修は終わる。


 グレイは弱い自分を変えたくてヒーローになったと言っていた。
 自分にはそんな目標はなかった。
 けれど、当たり前だけれど、ヒーローは憧れだけでなれる甘い世界じゃない。
 フェイスは自分なりのヒーローを見つけようとしていて、
 ジュニアは父親を越えると言っていた。
 アキラは憧れの人に近づくために。
 レンは復讐。
 ウィルは弱い人を守れる自分になるために。
 じゃあ、自分は?
 お金儲けが目的だった。
 でも、今は、グレイの隣に立つのに見合う自分になりたかった。
 ミラクルコンビと呼ばれたいと言ったのは嘘じゃない。
 でも、それは、ヒーローになるのに相応しい理由なんだろうか?
 暴力的だったアッシュも、かつての憧れを取り戻し変わっていっている。
 自分だけが取り残されている、そんな気がする。
 自分は何を目指して歩いているのか?歩いた先に自分には何があるんだろうか。
 上を見れば歪んだ空。
 自分自身に過去を問うけれど、答えなんて返ってこない。
 自分は、きっと他のルーキーに比べて空っぽなのだ。


「…バディ!ちょっと待って!バディ!」
「ワン!ワン!」


 静かに夕焼けに染まる中、聞こえる声。
「……」
 ああ、いつもそうだ。
 父親以外どうでもよかった。
 でも、そんな世界で、ビリーの世界をたった1人の男の子が変えてしまった。
 どうしただろう。
 こんなに懸命に生きるグレイの姿が愛しくて恋しいのは。


「わっ!」


 ビリーの前でバディが立ち止まる。
 その反動で、グレイがバランスを崩す。
 いつもならずれる筈のない軸だったが砂浜という不慣れな場所のせいかそのまま砂浜へと倒れてしまう。
 ――――――ビリーを巻き込んで。
「……っ、ビリーくん!ごごご、ごめ――――」
 慌てるグレイに対して、後ろからバディが甘えるようにのしかかる。
 その衝撃で、
「……っ」
 触れた。
 唇と唇が。
「……っ…ば、バディ!あ、あわわわわ、ビリーくん、ごめんね……い、嫌だったよね…」
「……き」
 バディの方を見ると「やりました」と言いたげに誇るように微笑んでいる。
 バディからしてみれば、大好きなご主人様の大好きなビリーの役に立てたことが嬉しいようだった。
 言葉を発しようとするが、言葉は夕凪に飲み込まれていく。
 けれど、
「ワン!」
 バディが頑張れ、と言ってくれる。
 バディはグレイの一番の友だちだった。
 そして、ビリーにとっても同じように大事な友だちだった。
 ビリーの役に立ちたい。
 笑って欲しい。
 泣き顔は見たくない。
 もしも、願う事ならば、


「……グレイのことが、すき」
「……」


 大好きな、ご主人様の傍で。


「ごめんね、グレイ。友だちって言ってくれたのに。でも、でも…」
「……クゥン?」
「グレイとずっと一緒にいたい」
「……ビリーくん…」
「――――――特別な、人になりたい」
「クゥン??」
 どうして、嬉しい筈なのに、泣くの?とバディは不思議そうに泣く。
 バディにとって、グレイとビリーは好き同士だ。
 そして、バディにとって好きな人と唇を合わせるというのはだいすきの証だ。
「…ごめんね、グレイ」
 なのに、ビリーは泣いていた。
「好きになって」
 もしかしてご主人様のことが好きじゃないんだろうかとオロオロとしだす。
 けれど、バディの大好きなご主人様はそんな友だちの様子を見て、
「僕は、」
 否、大切な様子を見て何もしないような男ではなかった。
 何故なら、バディの自慢の、大好きなご主人様なのだから。
 そっとビリーを体を抱きしめてそのまま抱き起こし、2人の双眸がかち合う。  


「僕だって、ずっと、ずっとビリーくんのことが好きだった」


 人気の無い砂浜にいる2人。
 映画やドラマで見るような、けれどそれ以上に美しいシーンがバディの目の前で繰り広げられている。  


「……勝手にビリーくんのことをその、第二の家族みたいだなって思ってて……ずっとずっと一緒にいたくて、それで…その……」
 もう、バディの後押しはいらない。
「ビリーくんさえ、よければ―――――」  


  夕焼けと、海と、バディと、


「僕と…家族になって下さい」
「……っ」


 ―――――恋人だけがその世界の全てだった。
 そっとビリーの腕がグレイの首に回された。
 グレイの問いにビリーが何と答えたのは、バディにさえ聞こえない。
 けれど、バディがした行動が間違えじゃないと示すように、


「…っ」


2人が『だいすきの証』をするワンシーンがバディの瞳にだけ映っていた。