一目惚れだったんだ、と言ったら笑われるだろうか。
若草色の髪の毛が、空色に溶けて、綺麗だと思った。
両親を知らない。
本当の親なんてどうでもよかった。
自分にはおじいちゃんとおばあちゃんがいて、血のつながりがなくてもいつも抱きしめてくれる存在がいた。
「あいつ、ドラックの売人やってたらしいぜ」
「えぇ、俺の聞いた話だと、売春婦の斡旋してたとか」
「元ギャングの一員だって聞いたけど…」
「あんなヤツがヒーローになれるのか」
聞かされても、そんな世界もあるのか、と思ったくらいだった。
本当の親が子供を酷いように扱うとか、そんな世界はディノは知らなかった。
でも、考えてみたら自分の本当の親も死んだのか、あるいは自分を棄てたのかなんて知らない。
どうでもよかった。
そう、どうでもよかったのだ。
だって、人を好きになることは――――きっと理屈じゃない。
だって、初めて見た時、考えるよりも先に、心が囁いた。
―――――綺麗だ、と。
―――――好きだ、と。
運命みたいに、自分と同じ授業を選択していればどうしても目で追ってしまう。
恋人になりたい、とは思わない。
ただ、友だちになりたかった。
「キース♪」
「!?」
「ハイ、キース!なかなか遅い登校だな?午前の授業はもう終わったけど、腹でも壊したか?」
「またお前かよ…」
「おいおい、どこ行くんだよ。次は同じ授業だし、せっかくだから一緒に教室へ行こう」
「お前、どうしてオレに話しかけるんだ? 目を合わせる度に捕まって、正直鬱陶しいんだけど……」
「あっ、もしかしてそれで最近目を合わせてくれなくなったのか?なるほど、そうだったのか……」
誰に言われようと、誰にからかわれようとどうでもよかったんだ。
「まっ、目が合わなくたって話しかけるけどな♪」
「だから……なんでだって聞いてんだよ。鬱陶しいって意味、わからねーのか?」
「知ってるけど、そう言われて心折れてたらキースとは友だちになれないだろ?」
半分だけ嘘。
友だちになりたいのは本当だけれども、ディノの心に芽吹いた「すき」の気持ちは色が少しだけ違った。
「……ハァ?友だち?」
「そう!知ってたか?俺たち、ほとんどの授業で一緒なんだぞ。そんなのもう友だちになるしかないだろ」
「お前……オレの噂、聞いてないワケじゃねーだろ?」
「噂?あぁ、ヤバい薬を売ってたとかやってたのか、そういう感じの?」
初恋だった。
一般的な初恋よりも遅い恋だった。
「聞いたけど、キース本人がそうだって言わない限り信じないよ」
「は?」
「俺はキースの言葉を信じる」
だから、本当は多分キースが本当に売人をしてようが、ギャングの一員だろうがどうでもよかったのだ。
「……お前、絶対に騙されやすいタイプだろ」
「酷いなぁ、根も葉もない噂話には流されないよ」
だって、好きな人の傍にいたいと思うことは、友だちになりたいと思う事は何もおかしいことじゃない。
「俺と友だちになってよ、キース……!」
あの頃の自分は無邪気に永遠があると思っていた。
ただ、隣にいたいと思っていた。
色んな人を傷つけて、知らない間に多くを裏切って、それでも、手を伸ばしてくれた。
キースは傍にいていいと言ってくれた。
それだけで、それだけで十分だったのに。
「もう無理だ!俺、こんなの耐えられない!」
「ディノさん…?」
「俺もみんなと同じ気持ちだ!このまま待ってるだけなんて……無理!絶対無理!」
フェイスやジュニアよりも長い時間、一緒に過ごしていたというのに。
我が儘だと解っていても、ディノは数ヶ月、自分との記憶をキースが忘れたというだけで耐えられなかった。
「じっとして待ってるなんて嫌だ。だから何かする。出来ることはなんだってやってやる……!」
「な、何をするつもりだ?」
「殴る!!」
「なっ……」
「それが駄目なら階段から突き落とす。それも駄目なら御姫様のキスだ。それでも駄目なら他の策を考える。馬鹿馬鹿しく思えたとしても、やってみないとわからない!出来ることは、全部やってみよう!」
「ディノさん……」
「……嫌な予感がする」
「それでこそ……ラブ!!!アンド!!!ピースだろ!!!」
恋人になりたいだなんて思わない。
家族になりたいとも思わない。
それは、裏切った自分にとっては余りにも過ぎた願いだから。
だけど、それでも――――――
一分でも、キースが自分との思い出を忘れている事は耐えられなかった。
現金だとは思う。
自分は、キースのことを忘れていたというのに。
「……」
「あ、ディノ……おか……えり…?」
「ねぇ、ディノ、それなに?」
「フェイス、ジュニア……」
でも、それでも――――
「ねぇ、なんでバール持ってるの…?」
「キースの事も戻す」
「は?」
キースとの思い出はずっと、大事に共有したいんだ…!
「ちょ、ちょっと、待て、ディノ!」
「ん……んん………はぁ?!」
「ああ、キース、目が覚めたのか」
「ちょ、ちょっと待て!」
「じっとしてて、なるべく痛くしないようにするから」
「……いや、まて」
「2人は危ないから下がってて、ほら、キース……」
「いや、っ……!」
「待てってば、キーーーースーーーーーー!!」
「……」
「……」
医務室から2人が飛び出していく。
その姿を呆然と見ながら、フェイスとジュニアは顔を見合わせた。
結局、ブラッドに止められて殴る事は止められて、直接精神に呼びかける方法でなんとか記憶は取り戻した。
けれど、大きく自分の心にしこりが残る。
ずっと、一緒にいられたら、と思っていた。
けれど、キースと自分はどこまで一緒にいられるんだろうか。
ずっと一緒だと思っていた。
でも、道は離ればなれになって、それでもキースが手を伸ばし続けてくれたから今のディノはここにいる。
キースが信じてくれたからだ。
―――じゃあ、これからは?
楽しくて、毎日が楽しくて忘れそうになる。
キースがいて、フェイスがいて、ジュニアがいる、この空間はたった三年だけの期間限定の時間。
そんなの解っている。
でも、一年が経過して、あと二年。
二年経ったら、ルーキーは独り立ちして、それから、それから自分達は?
「……また、キースと離ればなれになるのかな」
煌びやかなパーティ会場の中、ぽつりと決まっている二年後を思い浮かべた。
着せられたドレスが重い。
ピザを食べても気持ちは全然上がらなくて、笑ってみるけどどうしても上手くいかない。
折角、大事なメンティーのお祝い事なのに、などと思ってると
「ディノ?」
「ジュニア」
心配そうな顔をしてジュニアが見ていた。
「……」
どうかしたのかと言いかけようとしたのだろう、けれど口を閉ざす。
それから一度、ジュニアは床に目を向けてもう一度顔を上げた。
「あのさ、ディノ」
「どうかした?」
「前、プロムでキースと踊ったって教えてくれただろ」
「あぁ、うん」
「ずるい」
「え」
「おれも、ディノと踊りたい」
自分を慰めようとしてくれているのだろう、と解る。
ジュニアはいつでもそうだった。
フェイスに煙たがられてる時も、帰ってきて、他のメンターやメンティーとどう付き合えばいいのか、自分の立ち位置が解らない時もこの子には関係なかった。
当たり前に慕ってくれて、全身で大好きだと言ってくれる。
キースが『オレと違って、ディノには素直に懐いてるよな』とちょっとだけ拗ねていたことは内緒だ。
「ジュニアはプロムもしたことないんだっけ」
「……だから、うまく踊れるか解らないけど」
「ブラッドに昔聞いたんだけど、はじめてダンスする時をデビュタントって言うんだって」
「そうなのか?」
「あれ、もしかしたら違ったかな…?でも、キースと踊った時にエスコートしてやれ、ってキースがブラッドに言われてたよ」
「それは言いそう」
そう言うとジュニアがふふっと声を出して笑う。
自分が17歳の頃、自分はこんな風に生きると思っていただろうか。
この子が10年経った時、どんな風に生きているんだろう。
その時、自分はどうしてるんだろう。
キースと、どうなってるんだろう。
「だから、ジュニア」
16歳という若さでヒーローになったエリート。
でも、その若さが、強さが、真っ直ぐさが、自分達にとっては眩しかった。
ガキだ、チビだ、とみんなからかうけれど、でも、本当は助けられてるのはこっちの方だ。
HELIOSにいる人間達は何かを抱えていて、暗い過去だったり、隠したい悩みや、立ち向かいたくないものを抱えてる。
でも、ジュニアはいつも笑ってるから。
その強さが羨ましくて、眩しくて、みんな助けられてる。
「俺にエスコートさせて」
きっと、みんな言わないだろうけど。
「―――おうっ!」
何だ何だ、と周囲が見ている中、楽しそうにワルツを踊る金平糖の精が見えた。
キラキラと黄色いドレスがシャンデリアに照らされてスパンコールが輝く。
なんだ、なんだと思っていると、何故かディノがジュニアを持ち上げていて踊っている。
「……なんだありゃ」
近くにいたブラッドに聞くと、少しだけ困惑したように口にした。
「ワルツ―――のつもりらしい」
「基本はそうなんだろうけど、どうみてもちげえだろうが」
「ああ、やたらとリフトを取り入れているからな」
「……」
けれど、ディノとジュニアは楽しそうだった。
曲もない中、ニコニコと笑って。
「そういや、あいつ、プロムに出た事ないらしからな。ダンスがどういうものなのか知らねえのかもな」
「…プロムか」
「そうそう、お前が無理矢理参加させたヤツな」
思い出すだけで恥ずかしい過去だ。
『おばあちゃんに送って貰った!』とディノが嬉しそうにドレスを見せてくれた以上はばっくれることも出来なくなってしまったのだが。
「……お前たちはまったく変わらないな」
「あ?」
「――――――」
「……おい、今、なんて……」
何を言ったのか聞こえなくて、聞き返そうとすると、
「キース!」
ジュニアが名前を呼ぶ声がした。
「……ジュニア」
「ディノとのダンス見せてくれよ!」
「は?」
「なんか、思ったよりうまく踊れなかった!」
「なら練習すればいいだろうが」
「だから手本見せろよ」
「……」
去って行くブラッドの背中を追うのを防ぐようにジュニアがキースの腕を握った。
「……でもなぁ」
注目されている。
HELIOSの職員と関係者しかいないとはいえそもそも、なんでダンスなんてやらなければならないのか。
大体、ダンスなんてプログラムはないのに、何故ジュニアがディノとやりたかったのかもよくわからない。
けれど、
「キース、やってくれるのか?」
ディノの、懇願するような、期待するような瞳を見てしまえばもう駄目だった。
「ああ、もう、しょうがねえな」
「やった!」
そう言って左手が掲げられた。
ディノは知らない。
自分の人生は、暗闇だらけで、色なんてなかった。
けれど、目の前の女性が、少女だった頃に手を伸ばしてくれた日から自分の世界に『色』が生まれた。
振るわれていた手は、殴られる事ではなく、手を繋ぐことに。
かけられる罵声が、優しい挨拶に。
幸せだと思っていた日々が、突然壊れる事なんて知っていたのに、それでも、たった1人いなくなっただけで自分の世界が崩れる事を知ってしまった。
伝える事が恐いのに、でも手放す事も、離れていく事も恐い。
目の前の女性の隣に、自分以外の誰かが立つ事が恐い。
なにもかも恐いのに、一歩踏み出す事も出来ない。
でも、今日、知ってしまった。
お互いに。
このままでいい、だなんて思っていても、この世界は――――――何もしていなくても誰かに壊されることを。
知っていた筈だったのに。
でも、また忘れてた。
幸せすぎて。
この日々が一日でも続けば良いと思った。
だけれど、もう、それは今日で終わりだ。
もう、きっと帰れない。
一秒前の、傷つく事を脅えていた幼い自分達に。
また奪われるくらいなら、いっそ壊してしまった方が、綺麗に直せるんじゃないかと思った。
悲しいほどに、9年ぶりのワルツは、波長が合っていた。
「考えたんだけど、俺、キースに告白しようと思うんだ!」
パーティの翌日。
全員そろいもそろって休日をとるよう言われていたものの、昨日の騒動もあったので一応メジャーヒーロー達は医務室に呼ばれた。
ディノはキースのいないウエストセクターのリビングでフェイスとジュニアを呼び出し、高らかに宣言をする。
正直言えば、2人はやっとくっつくのか…と思ってはいたものの、その次の言葉に目を見開いた。
「多分振られると思うんだけど、気まずくなったらごめんな」
「「……え」」
「……ん?どうかしたのか?」
空色の瞳が2人を心配そうに見つめた。
「いや……」
「だって……」
フェイスとジュニアが顔を見合わせて、それからもう一度ディノを見る。
「あのさ、ディノ。それはないと思うんだけど」
「おれもそう思う」
「そうかな……キースは優しいから気を遣ってくれるだろうけど、俺が気にしちゃうかも」
「……」
「……」
否、振られる事がないんだって!と2人は思ったがさすがにそれを突っ込むのは野暮だということは解っている。
「まぁ、別にいいとして、どうやって告白しようと思ってるの?」
「え」
フェイスに尋ねられてディノは少し考える。
「そうだな……告白といえばやっぱりラブアンドピースじゃないといけないよな…」
「ラブアンドピースな告白ってどんなのだよ…」
「ラブアンドピースといえばピザ……」
「おチビちゃん、多分ディノ、聞いてないよ」
「なんかやべえ方向に行ってるけどいいのか?」
「別に相手がキースだからいいんじゃないの」
「まぁ、確かに……キースだったらいいのか…?」
そんな2人のぼやきも聞こえず、ディノははじめての告白のシチュエーションを考える。
そして――――――
「そうだ、『好きです』ってピザに書いて贈るのはどうかな?なづけて、ラブアンドピザレターだ!」
「……没だな」
「ありえないでしょ」
思いついた告白のシチュエーションはかわいいメンティー2人に却下されてしまったのだった。
「えぇえええええ」
結局、ああでもない、こうでもない、ピザだ、ビールだ、ラブソングだ、クラブだ、ライブだ、海だ、山だ、と多くのプランが出された結果、
決定したのはシンプルなデートだった。
2人で普通に出かけて、ご飯を食べて、飲みに行って、いいタイミングで告白すればいい、とプランも何もない作戦に決定した。
「持ってる服、全部出して」
フェイスに言われて、無駄に多い部屋の中で少ないものの、最近ジュニアとお揃いにしたくて増えた女性らしい洋服を引っ張り出してくる。
薄桜色のパフスリーブのトップスと、若草色のチュールスカート。若木色のヘアピン。
派手ではないかと思うものの、元より整った顔立ちのディノが着ると似合うのが不思議だ。
「か、かわいすぎないか…?」
「全然」
「すげえ似合ってる!」
自分には似合わないのではないかと思いながらも、可愛いメンティーふたりに言われるとそうなのかも、と思うから不思議だ。
ジェイがお前達は幾つになっても可愛いと言っていたが、その通りだと思う。
10期の時、ディノは面倒をみたいと思いながらも最後までアッシュとオスカーのメンターでいることが出来なかった。自分にとっては2人は今でも可愛い教え子だが、自分のメンティーだと自信を持って言えるかどうかは別だ。
だからこそ、フェイスとジュニアのことは最後まで面倒を見たいと心から思う。
それは、キースとどうなっても同じだ。
「それからさ」
「うん」
「キースに『帰りたくない』って最後は言うんだよ」
「え」
「まぁ、駄目だったらいいけど、とにかく今日はここに帰ってきたら駄目」
「なにそれ」
フェイスなりのうまくいったらいいね、という事なんだろうなとディノは笑う。
2人が選んでくれた服を部屋に戻って脱いでハンガーにかける。
医務室からキースが戻って着て、4人でご飯を食べたら、行こう。大丈夫だ、2人が応援してくれてるのだから。
「ただいま~」
「お、おかえり!……ど、どうだった?」
「ああ、なんでもなかったぜ。ブラッドもジェイもヴィクターも異常なしって言ってたな……」
「そ、そっか、それならよかった!」
「……」
リビングにいて、すぐにキースに言えるように、と思っていたが、戻ってくるとどうしても緊張してしまう。
「……ディノ?どうかしたのか?」
「え、なにが?」
「だって、お前、なんか変じゃないぞ。変なピザでも食ったか?」
「ひどいな、キース。ピザに変なものなんてないぞ」
「いや、つっこむところそこじゃねえし……っていうか、フェイスとジュニアは?部屋か?」
「うん、2人も心配してたよ」
「なら、2人も呼ぶか」
「……あ、あの」
「あ?」
がんばれ、と2人が言ってくれたことを思い出し、ディノは決意を新たにキースを見つめた。
「あのさ、キースさえ良かったら、なんだけど……」
「なんだよ、改まって」
「俺と――今日、一緒にで……飲みに行かないか?」
デートというのは恥ずかしくて言えなかった。
「それは構わねえけど、2人でか?」
「そう!」
「ジェイもブラッドもリリーも呼ばないで?」
「そ、そう!」
「……」
「……」
だ、だめかもしれない……。
ごめん、と心の中で謝るが、
「別にいいけどよ」
「っ」
キースが助け船を出してくれる。
「本当?」
「別に飲みに行くだけだろ、別にかまわねえよ」
なんだよ、それくらい。と言いたげにキースが笑う。
その笑顔がもう少しで見られなくなるかもしれない。
それでも、もう引き返せない。
告げると決めた。
だって、もしかしたら、またいつ壊されるか解らないのだから。
だったら、誰かに壊されるより、自分で壊してしまったほうがいい。
修復不可能になるくらいコナゴナに散って、そして恋心も全部消えてしまえば良い。
「……」
ずるい自分は、最後には友情だけは残ると信じてしまっているけれど。
「……」
出るタイミングを見計らっていたのか、フェイスとジュニアがリビングへと出てくる。
「おかえり、キース」
「帰ってたのかよ」
「よう、なんでもなかったぞ」
「そっか、良かったな」
「本当、本当。おチビちゃん、心配してたもんね」
「はぁ?心配なんてしてねえよ」
「そう?大丈夫か大丈夫かってさっきまで部屋で……」
「ふあああっく!それは言うなよ!大体それはキースのことじゃなくて……」
「あ?」
「な、なんでもねえ!まぁ、とにかく良かったな!」
「おお、まぁ、昨日の時点でもう大した事じゃなかったしな」
この生活が好きだ。
ずっと続けば良い。
「……よっし、みんなでキースの快気祝いにピザパーティーだ!」
「アハ、それはいつもでしょ」
「いつも通りだな」
どうか、それだけは願いますようにと祈りを込めた。
いつも通りピザを食べて、ハンバーグとショコラを食べて、そして、ジュニアと一緒にお風呂に入って、ふたりと選んだ服を着て、
「よし、キース、行こう!」
「……」
「キース?」
「いや、なんでもねえ」
「そっか、それじゃあふたりとも行ってくるな!」
そう言って、2人は駆け出す。
その背中をふたりは見送った。
「……」
「……」
「おまえ、これで良かったのかよ」
「なにが?」
「だって、おまえ、ディノのこと、好きだったんだろ?」
「……は?」
だから、ふたりはこの後の話は知らない。
「……ディノのこと、好きだったんじゃねえの?」
「……そりゃあ、ディノの事は好きだけど……」
その意味が、恋愛的な意味で、というのは解っていた。
「……そういう目で見たことは一度もないよ」
「……嘘」
「嘘じゃないよ。そういうおチビちゃんのほうこそ、キースのこと好きだったんじゃないの?」
「……は?」
「……違わないの?」
「はぁあああああああああ?おれがキースを?あっりえねえ!」
「……嘘」
「嘘じゃねえよ!大体、おれが好きなのは――」
「……好きなのは……?」
そう言って、ジュニアが手で口を塞いだ。
「……ねぇ、好きなのは誰?」
尋ねるも、ジュニアは答えない。
じゃあ、やっぱりグレイなのだろうか、と思いながらフェイスは選ばれない自分のことをどう思えばいいのか解らない。
キースならまだしも、グレイならばきっと勝ち目はない。
あるとすればグレイの好きな人がビリーだったら、という仮定だけだろうか。
しかし、ビリーの言葉を信じるなら、ジュニアとグレイはいい関係になっているという。
だったらもう勝ち目はひとつもないではないか。
そう思ったら、
「……夜に言う」
「え」
「ご飯、食べ終わった後に言う」
「……」
そう言って、ジュニアもまた、扉の向こうへ出て行ってしまう。
数十分くらいしてから、いつものジュースを買って戻ってきたジュニアはいつも通りだった。
リビングで映画を見て、ご飯を食べて、風呂に入って、
このまま終わるのかと思った。
さっきの言葉を忘れているのかもしれない、でもそれはフェイスにとって救いでもあったし、真実をしれないショックでもあった。
「……クソDJ」
ギターを弾くこともなく、ベッドにいたジュニアがフェイスのスペースへと入ってくる。
なんだろうか、と思っていると軋む音でベッドに上がったのだと解った。
「おれの好きなヤツ、知りたいのか?」
「……」
知りたくない。
でも、同じくらい知りたい。
わからない。
けれど、誰の名前が出ても自分はきっと諦められないだろうなと思っていた。
誰を彼女が思っていてもいいから、自分の隣にいてほしかった。
キースとディノのようにうまくいくわけないけれど、それでも10年後、20年後、100年先も彼女の隣にいるのは自分がいい。
これが恋なのだと知ってしまったから。
「……うん」
素直に言えば、「そっか」とジュニアが呟いた。
「……教えるかわりに頼みがあるんだけど」
「……頼み」
「ああ」
そう言ったジュニアの顔を見た。
今にも泣き出しそうなその表情に、誰がそんな顔をさせているのか、と思った。
「おれのすきなヤツさ、はじめてだと、面倒くさいんだって」
「……」
「だから、一度きりの火遊びでいいから、」
自分が散々してきたことだ。
多くの人を、自分も傷つけて、数え切れない夜を越えた。
今なら、どれだけ酷い事をしてきたのか解る。
「おれのこと、抱いて」
震える手と、零れる涙だけが、今まで自分のしてきた報いだった。
4年という長い月日は人を狂わせるのには十分だった。
この悪夢から目覚めて欲しいと何度願ったことか。
キースにとって、ディノのいない世界は何の意味のない世界だった。
父親から逃げられたらそれで良かった、少しでも真っ当に生きられたらいいとおもっていた。
ディノ・アルバーニという存在に全て変えられてしまった。
彼女の隣にいたい、彼女を幸せにしたい、願わくば隣で、だなんて許されるわけがないと思っていた。
何を棄てても彼女を守りたかった。
かつては気絶するために飲んでいた酒は、今は嗜む為のモノに変わった。
バーを出て、もう帰るかと思っていると
「……キース、あのさ」
もじもじとしてどうかしたのかと振り返る。
何があったのかと思っていると、何故かいつもよりも洒落た格好をしていたディノの様子に戸惑う。
一体どうかしたというのだろうか。
昨日、記憶を失ったことを責められるかもしれない、と等と思っていると。
裾をそっと握られて、
「……今日、帰りたくない」
「っ」
とんでもない爆弾が投下された。
「き、キース?」
「…おまえなぁ!……そういう事は言うもんじゃねえよ」
「…なんで?」
「なんでって……」
何がいけないのだろう?とディノは首を傾げる。
「そういうこと言うと、ホテルに連れ込まれるだろうが」
相変わらず無邪気なヤツだ、目の前にいる男が何度想像上で抱いたか知らないで、と思っていると、
「解ってて言ってるって言ったら?」
「……」
狼が牙を狩るように、薄らと空色の瞳が微笑んだ。
「キースに忘れられて寂しかった」
「……あれは…」
「ごめん、4年間放ったらしだった自分が言えないって事も解ってる。だけど、俺はもうキースのこと忘れたくない」
「ディノ…」
「キースにも、俺のこと、忘れて欲しくない」
「……」
寂しげな瞳は見覚えがある。
ルーキー・リーグの少し前、喧嘩した時の事だ。
フェイスに止められて真意は聞けなかったが、あの時も縋るような瞳をディノはしていた。
「ただ、キースとずっと一緒にいたいんだ」
「……」
「だから、その、キースさえその、よければ…」
「…ディノ」
「俺と、恋人になろう!」
顔を真っ赤にさせて、けれど、あの時のように彼女は言う。
友だちになろうと言ったように。
恋人になろう、と。
「…ずっと」
「……キース?」
「お前が生きていればいいって思ってた」
「……」
「それだけで良かった筈なのになぁ…」
「……」
自分はろくでなしだと思っている。
でも、ディノも、ジュニアも、フェイスもそんなことないと言ってくれる。
ジェイやリリーには、大切なものが増えれば増えるほど身動きが出来なくなる人間と言われたことがある。
そんなことはない、と思うが、キース・マックスは情に厚すぎる男だった。
大切になってしまったら最後、もう切り棄てられない。
それは本人が幼い頃に亡くしたと思っていた優しさだ。
それを、ディノは見破って掘り起こした。
「……本当なら、お前には俺なんかよりいい男がいるって言うべきなんだろうなぁ」
「……キース以上にいい男なんていないぞ?」
「そんなことねえだろ、ブラッドとか、ジェイとか」
「……ブラッドは友だちだし、ジェイは大事な恩師だし」
「……」
「キースにはどうなのか解らないけどさ、俺にとって男はキースだけなんだよ」
「……」
「初めて見たときに、好きだって思ったんだ」
「……」
自分もそうだ。
友だちになった日、あの日からディノがいるから世界が色付いた。
「色々あって、俺といると迷惑かけるかもしれないけど……」
「そんなの、俺の方が一緒だろ」
イプリクスの問題で未だにディノを疑念の目で見る人間は多い。
キースもメジャーヒーローなのにやる気がないと懸念の目で見られる事もある。
だけど、それでいいのではないだろうか。
2人一緒にいられるならば。
幸い、2人の大事な存在はみんなそんなことを気にしたりしない。
「……ったく、しょうがねえな」
桜色の髪の毛を撫でた。
「お前の悪癖に付き合えるのなんて俺くらいだからな」
「……キースのサボり癖ねぼすけに付き合えるのも俺くらいだもんな」
「ああ、そうだな」
誰かに虐げられていた自分が誰かを愛せるかなんて知らなかった。
何もかも、ディノが教えてくれたのだ。