ベッドにのりあがって、脚の隙間に挟まっているジュニアが自分のことを見下ろす。
「おチビちゃん……」
 曇天と蒼天の双眸から溢れる涙にどうすればいいのか解らなかった。
 もし、断れば他の男に抱かれに行くんだろうか。
「……嫌か?」
 嫌なわけがなかった。
 フェイスにとってジュニアは特別だった。
 この片思いはもうすぐ一年になる。
 たった一夜でも自分のモノになってほしい。
 そう思ったことはある。
 けれど、
「……本当にいいの?」
「……いい」
「……」
「……」
「……わかった」
 ジュニアがふるえてるのが解った。
「おチビちゃん」
「……なんだよ」
「……どこまでしていいの?」
「……え?」
「キスしてもいいの?」
 瞳がたゆたう。
 好きでもない男とそういう事をするのに抵抗があるのだろう。
 けれど、少しだけ考えて、ジュニアはこくりと頷いた。
「……いい」
「……」
「お前の好きにしろ」
 それでも、はっきりとした声音はフェイスの好きな芯のこもった声だった。
「……おチビちゃん……」
「……」
 ぷるぷると震えながら、ジュニアの肩においてある手に力がこもる。
 ファーストキスなんだろうなぁ、と思うのは想像にたやすい。
 どうせ手に入らないのなら、最初くらい、と。
 忘れられない夜にしてしまえば、彼女は自分に振り向いてくれるんじゃないか、とか。
 ずっと彼女の思い出に根付く事ができるんじゃないかとか色々考える。
 かつての自分ならばそれで良かった。


 けれど、
『……一緒に頑張ろうぜ、これからも』
 あの日、ジュニアはくれた。
 『これから』を。
 隣にいて、ヒーローとして成長しようと。
 当たり前のように未来をくれた。
 逃げるのは簡単だ。
 楽なほう、楽なほうへと流れていくのは簡単で、ずっとそうしていた。
 それが駄目だと、間違っていると教えてくれたのは間違えなく目の前の女の子なのだ。


 唇と唇が触れ合いそうになった瞬間
「……無理」
「……」
 駄目だと思った。
「……」
 ジュニアをこんな気持ちで抱けるわけがない。
 それに、ジュニアに誰かを想っているのも嫌だ。
 フェイスが顔を離して、頭をジュニアの肩に乗せる。
 その様子に、やっぱり無理かと思った。
 自分ではそういう対象にならないのだ、と。
「……ごめん、無理。イヤだよ、おチビちゃん」
「……そ、そうだよな、……わる、
「そうじゃないよ」
 ジュニアの背中にフェイスの腕が伸びる。そしてそのまま抱きしめられる。
「……ねぇ、おチビちゃん」
 甘くとけるようなマゼンタの色がジュニアの瞳に映る。
「そんな男辞めて、俺を好きになってよ」
「え……」
「処女が面倒くさいとか言わないし」
「……」
「それに、おチビちゃん言ってくれたでしょ」
 左手でずっと触れたかった髪の毛に触れた。
 安物の黒いリボン。
 でも、ジュニアにあげたかった。この金色の美しい髪の毛に自分のあげたものを飾ってほしかった。
「ーーー結婚してくれるって」
「……あ、あれは……」
「好きだよ、レオナルドお姉ちゃん」
「~~~っ!」
「おチビちゃんのことが好き」
 ずるいことは解ってる。
 約束のことを言えば義理堅いジュニアが揺れることも解っていた。
 でも、自分はジュニアが恋慕を抱いている相手と渡り歩くにはこれしか方法がない。
「……」
「おチビちゃん」
 その言葉にただでさえ大きな瞳が更に開いていく。
 ぽろぽろと涙が流れていく。
 その涙が自分を思ってのものだと思うと嬉しかった。
「なんで……」
「……」
「嘘だろ……」
「……嘘じゃないよ」
「……だって」
 ジュニアが唇をかみしめ、それから何か言おうと口を開く。
 けれど、言葉にならずにフェイスの胸に頭を押しつけ、そのままベッドのシーツを見つめていた。
「……だって、こんな、」
「おチビちゃん……?」
「お前に」
「……俺に?」
「…………抱いて貰って」
「…………」
「もう、あきらめようって……っておもってたのに」
「……」
「……」
「……え?」
 諦めようとした。
 誰を?
 どうやって?
「……」
 いつもならうるさいウエストセクターは、キースの声も、ディノの声も聞こえない。
 あるのは、ただ自分の心臓と、呼吸の声と、目の前の少女の嗚咽だけ。
「……おチビちゃん」
「……」
「俺のこと、好きなの……?」
 信じられないことだが、もしかして、と思ってしまう。
 諦められなくて、必死ですがりついた初恋が今芽吹こうとしている。
「……」
「……」
 自分の今までの人生でおそらく一番長く感じた数秒だった。
 ごくりと唾が喉を落ちていく。
「……うん」
「……い、いつから……?」
「……ルーキー・リーグのとき……」
「……」
「お前の傷だらけのお前をみて」
「!」
「……綺麗だなって思った」
「……」
 うっすらと頬紅が散らされる。瞳に浮かんだ涙が美しい瞳を彩りながら自分だけが映っていた。
「ぼろぼろなのに?」
「ボロボロだとか、そんなの関係ねえだろ」
「……」
「格好良かった」
「……」
 いつだって、本当にほしいものは目の前の子がくれた。
 助けてほしい時には当たり前に手を伸ばしてくれた。
 どうしたらいいのか迷った時には背中を見せて前を歩いてくれた。
「ああ、でも」
「……」 
「……顔」
「……」
「傷ついてなくて良かった」 「……傷のある顔はいや?」 「いやじゃねえけど、ご飯食べるときに痛いのは辛いだろ」
「……」
 求められているのは、ビスクドールとしての自分だと思っていた。
 ただ綺麗で、そこにいるだけで中身は求められない人形。
 でも、この子はボロボロでみっともない自分を一番格好良いと言ってくれる。
「……そっか」
「……おう」
 照れたようにジュニアが頷く。
「……それで?」
「え?」
「……おチビちゃんは、俺と結婚してくれるの?」
「ぴぎゃ!け、けっこん……?」
「小さい俺に言ってたでしょ?」
「……言ったけど……、でも、つきあってすらいねえだろ!」
「うん、おチビちゃんと恋人になりたい、でも、俺はおチビちゃんとずっといたいんだよね」
「……」
 自覚した、否、自覚する前から、フェイスにとってジュニアは特別だった。
 自分をここまで振り回すのはジュニアだけだった。
 振り回されて、キースにディノ、他の同期、そして気まずかった兄との関係が変わった。
 自分が変われば、世界が変わるのだと教えてくれた。


「ねぇ、おチビちゃん」


 勝利を確信していた今、自分でも歪んでいるとは思うがジュニアが自分の事で頭がいっぱいになるのは気分がいい。
 他の男じゃなく、自分のことをずっと思っていてくれたのだ。
 もっと早く気付いていたらジュニアともっと早く結ばれていたと思うと残念だが。
「……言ってくれないの?」
「……」
「おチビちゃん?」
「…………なったら!」
「え?」
「6年後、メジャーヒーローになったら!」
「……えぇ……」
「別にいいだろ、一緒にいるんだから」
 勿論、すぐに結婚しようと思ったわけじゃない。
 けれど、少しは甘い言葉をくれてもよかったのにと考えてしまう。
 でも、当たり前のように『一緒にいる』とジュニアが言ってくれた。
「……一緒にいてくれるんだ?」
「当たり前だろ」
「……」
「言っただろ、一緒に頑張ろうって」
「……アハ、そうだったね」
「……おう」
「……わかったよ」
「?」
「……6年後、ね」  そして、ジュニアは当たり前にメジャーヒーローになれるのだと信じてくれている。それが嬉しい。
「それじゃあ、それまでは恋人ってことでいい?」
「ぴ!こ、恋人……?」
「恋人になるのもだめ?」
「…………だめ、じゃない」
 かわいい。
 抱きしめたいな、抱きしめていいよね、恋人なんだし、と誰に言っているのか解らないいいわけをして思い切り抱きしめる。
「ぴ!」
「おチビちゃん、キスしていい?」
「ぴ、ぴぎゃ……」
「してもいいよね、するよ」
「ちょ、ちょーーー」
 柔らかな頬に触れて、うっすらと開かれた唇に自分のもので触れた。
「……っ」
「……おチビちゃん」
「……」
「大好きだよ」
 そういって、抱きしめると日溜まりの香りがした。
 おずおずと、背中に回された腕と、小さく答えられた声。
 いとけなくて可愛くて、愛しくてたまらない。
 


「……そういえば、おチビちゃん」
「なんだよ」
「なんで処女が面倒だなんて話が出たの?」
「ーーーお前が処女には手を出してないって話聞いた」
「それは単にはじめてなのに俺なんかが最初なのが申し訳ないのと、そもそも俺にアプローチかけてくる子に処女がいなかっただけで……」
「……」
「……普通に好きな女の子が別の男としてるとかいやでしょ」
「しらねえ」
「ええ……」
「だって、お前がおれのこと好きだとか知らなかったし」
「……まぁそうだけどさ……」
「なんだよ」
「おれとしては、約一年ちかく好きだったんだけど?」
「……はぁ?嘘つけ」
「嘘じゃないよ」
「だって、お前、俺のこと女としてみれねえとか言ってたじゃん」
「……言ったけどさぁ……」
「ほら、みろ!」
「でも、それは最初で……」
「最初で?」
「……キースの事を探しにおチビちゃんが飛び出していったのをみたときから、好きだったんだよね」
「……は?」
「キースのことばっかり心配してるのも、ディノが帰ってきて懐くのも正直気に入らなかったし……」
「へ?」
「それに、グレイの相談乗ってあげたりとか、A班と遊んだりとか、アッシュと出かけたりとか……毎回、こっちは嫉妬してるのに気付かないんだもんなぁ」
「……し、知らなかったし……」
「そうだね、知らなかったよね」
「……」
 元々、まだ言うつもりもなかったのだ。
 それこそ、彼女が言うようにメジャーヒーロー……までは長いけれど、それでももう少し成長してから言うつもりだった。
 だけど、もうまつ必要もない。
 これからは、毎日好きな時に愛を囁けるし、自分がどれだけ好きなのか思い知らせることが出きるのだから。
「……クソDJ?」
「……今日はこのまま一緒に寝ようよ」
「……」
 本当はこのまま襲うことだってきっと許されるだろうが、それをしようとは思わなかった。
「しないのか……?」
「うん……」
「……」
 というか、するならちゃんと用意してしたいと思った。
 ホテルを予約して、おしゃれな服を着て、デートして、一生の思い出になるような夜にしたかった。
「しない」
「……」
「……誤解しないでほしいんだけど、おチビちゃんを抱きたくないわけじゃないから」
「……」
「ーーー大事にしたいんだよ」 「大事に?」 「うん」 「……」 「前にも言ったでしょ、そんな生き急ぐ必要ないんだって」 「……生き急ぐ?」 「ちょっと違うかもしれないけどさ……おチビちゃんとの関係はそんな好きだからって理由ですぐに抱いたらもったいないって思うんだよね」 「……」
「ーーー一生の、忘れられない思い出にしたいから」
 そう言うと、言いたいことを解ってくれたのか、ジュニアは小さく頷いた。
「……抱きしめて寝てもいい?」
「……うん」
 そうだ。
 生き急ぐ理由なんてひとつもない。
 だって、自分たちはずっと一緒にいるんだから。


「……好きだぞ、フェイス」
「……え」
「お、おやすみ!」
「ちょ、ちょっと、待って!おチビちゃん」
「……」

「ああもう………」
 
 そして、きっと未来の果てでも、お互いを好きなのだと言えたらいい。