フェイスにとって一番は結局ブラッドで、恋愛的な意味ではディノ。助け船を出すのはキース。
 自分はただの同僚でないと解っていても、感情は止められない。
 そんな時、グレイと一緒に恋愛話をするようになって、少しだけ気持ちが落ち着くようになった。  


「あ、ディノさんとジュニアちゃんだ!」
「ディノさん、ジュニアちゃん~!」
 イエローウエストでパトロールをしていると、以前なら「レオナルド・ライトの娘」だったジュニアにも何にかファンが出来る。
 特にディノと一緒にパトロールしていれば尚更だ。
 老若男女問わず人気があるディノと、その妹分のように可愛がられているメンティーの組み合わせなど周囲から見れば眼福でしかない。
「あ、あの、サインお願いしてもいいですか?」
「写真撮ってもいいですか?」
 ヒーローに成り立ての頃はなんでこんなこと、と正直思わなくもなかったが、フェイスはともかくディノを見ているうちに自分の笑顔一つで周囲が幸せになれるならいいかと思うようになった。
 それに「レオお姉ちゃん」「ジュニアちゃん」「ジュニアくん」と呼んでくれるちびっこ達の事は素直に可愛い。
 かつて自分がマリオンに憧れたように自分やディノ、キースやフェイスに憧れてヒーローを目指す子がいたら素直に嬉しい。
「もちろん!」
「ジュニアちゃん、もうFXXKIN' JOCKSの方のライブはやらないの?」
「ジュニアちゃんとフェイスくんも良かったけど、グレイくんの歌も凄い良かったから、また聞きたいな~」
「本当か?グレイにも伝えておくな!だけど、ライブ出来るかどうかはわからねえ!」
「そっか……しょうがないよね、本業じゃないもんね」
「……」
「あ、いいの!ZZZZも好きだし、私、フェイスくんのクラブでDJも聞いてるけどやっぱりFXXKIN' JOCKSの曲、すっごい良かったなぁって思い出しちゃうだけで……。それに、ヒーローしてるジュニアちゃんが一番好きだから!」
 そう真っ赤に顔を染める自分よりも年上だろうファンに言われると心から嬉しいと思う。
「君もそう思う?」
「ディノさんもサックスやるんですっけ?部屋に置いてあるってエリチャンでありましたけど…」
「ディノはやらないのに、でも何故かドラムセットも買おうとしてたぞ…」
「そうそう、いつかやりたいな~って思って!その時はジュニアとフェイスと一緒に楽器をやろうかな?」
「凄くいいですね!」
「楽しみ!」
 キャッキャ笑う女の子達は凄く可愛いと思う。
 フェイス関連の女性は正直、恋愛関係だと思っていたジュニアだったが、FXXKIN' JOCKSを通してそうではなく素直に音楽を好きだという子も多いのだと知った。
 ジャクリーンに頼まれてマリオンも含めて行ったコンサートの生中継を見て「今度はマリオンも一緒にライブするの?」と聞かれたり、「グレイくんと仲良しだからビリーくんも一緒にやったりする?」なんて予定のない次のライブを聞かれたりする。
 他にもさっきの女の子達のようにZZZZのライブまで追いかけてくれたりと、ちゃんとしたファンも多かった。
「ジュニア!この前のエリチャン見たよ!新曲滅茶苦茶良かった!」
「サンキューな!」
 フェイスやディノ、キースほどファンはいないけれども、それでもジュニア自身を見て応援してくれる人がいる。
 それだけで幸せだと思う。
 大事にしていこう。
 レオナルド・ライトの娘としてだけ見ている人じゃない、それを自分は知っている。
 パトロールももうすぐ終わる。
 キースとフェイスとの待ち合わせの場所へと向かうと黄色い歓声と、毎日手入れをして可愛くなろうと努力しているだろう女の子達。


「キース!」
「ディノ、ジュニア……ったく凄いよな」
 すぐにキースの元に走って行くディノの背中を見ながら、少しだけ歩みが止まる。
 フェイスを好きだと自覚して気付いた。
 自分の傷だらけの体。
 サブスタンスのお陰でヒーローになってからの傷はないけれど、小さい頃からお転婆で男の子にまざって喧嘩をしたり、アカデミーでもヤンチャをしていたジュニアの体は他の女性よりも傷らだけだった。
 指先だって、ギターをやっているのもあって皮膚は硬いし、髪の毛だって、最近ではちゃんと手入れをしているが、絹の糸のような髪の毛とはほど遠い。


 女から人気があるのとは正反対にフェイスは男人気は低い。
 様子を見ていたであろう男がその様子を見て嫌気をさすように何気ない言葉を話す。


「はぁ~、相変わらず、フェイス・ビームスはすげえな」
「顔がいいと得だよなぁ」


「……」
 あいつは顔だけじゃねえ!と言いたくなるが、けれどさすがに一々そんな悪口に反応していたら自分どころか他のヒーローの評判も悪くなるのはわかりきってるので我慢をする。


「女食いまくってるって話だけど、同じセクターの女も食ってるのかなぁ」
「それはねえだろ」
「なんでだよ」
「あいつのクラブに通ってる女に聞いたんだけどよ、」


 殴りたくなるものの、ジュニアは自分に自分を見てくれるファンがいるように、フェイスにもちゃんとフェイスを見てくれるファンがいるはずだ、と言い聞かせる。


「あいつって処女には手を出さないっていう話だぜ」
「……」
 その言葉に足を止めた。
「え、なんで」
「そりゃ、処女なんて厄介だろ。下手に手を出したら結婚してとか言い出すやつもいるだろうし」
「あー確かに」
「……」



 処女は面倒くさい。
 当たり前だけれど、ジュニアは17年間ずっとヒーローになるために生きてきた。
 初恋だってこれが初めてだった。
 だから、安易に誰かと口づけを交わしたり、誰かと体を重ね合わせた事は一度としてない。
 でも、フェイスはそうじゃなかった。


 解っている。
 彼のファンの女の子達は、元彼女の女性達はキラキラしていて、みんな可愛かった。
 鏡を見ても、どれだけ逆立ちしたって自分が叶わない事くらい解っている。
 自分のことを褒めてくれるのは、可愛いと言ってくれるのは兄と、メンティーのディノと、同僚であるグレイくらいだ。
「……」
 頬がそっとリボンに触れた。
 忘れないで、と言われているようで、もう1人だけいたな、と思い出す。
 本来ならば遭わない筈だった人物。


 タイムスリップに乗ってきたリトル・フェイス。
 たった数日だけだけど、自分を慕ってくれた初恋の小さな姿。
『大きくなったら、お姉ちゃんとけっこんしたい!』
『レオナルドお姉ちゃん、かわいい』
 今のフェイスは忘れているであろう、そもそも絶対に自分を可愛いとか、好きだとか思っていないのくらい理解している。
 それでも、ジュニアにとってあの言葉は忘れられない、何故かリボンを棄てられない思い出でもあった。


「ジュニア?」
「っ、今行く!」


 でも、もう棄てなきゃいけないのかもしれない。
 だって、
『うん!あのねあのね、おれがちゃんとすきって言うまで、ちゃんとそれ結んでて!』
『おチビちゃんのこと、女として見てないから安心して』
 ジュニアは知ってる。
 フェイスの中で、自分が『女』ですらないことを。


 初めから、約束なんて果たされる筈がないと解っていたのだから。
 それでも、リトルフェイスに頷いたことは後悔していない。
 きっと、泣いている顔を見てしまった方が、自分は後悔していただろうから。


「……ジュニア」
「なんだよ」
「お前、怪我でもしたのか?」
「え?」
「本当だ……でも、さっきまで血なんて流れてなかったよな?」
「え…なんだろう」
「……もしかして…」
 ディノが何か思いついたのと同時に、ファンに囲まれていたフェイスが近づいてくる。  


 ぽとりと脚を伝って血が流れた。
「……おチビちゃん」
「ぴ!?」
 どこも痛くないのにどうしてだろう、と思っていると体がふわりと持ち上げられた。
「な、ななな……」
「タワーに帰るから静かにしてて」
「え……今日、みんなでハンバーグ食べるって―――ぴっ!」
「いいから」
「……」
 そんな事言われても、好きな相手にたとえ、よくて妹、たとえ小動物のようにしか思われていなくてもこれはさすがに恥ずかしい。
 心臓は高鳴り、バクバクと音を立てる。
 お姫様抱っこなんて今まで、兄にもされたことがなかった。
 それを初恋の相手にされているということだけでも余りにもハードルが高すぎる。


 タワーまでの短い距離、エレベーターに乗ってる最中も離してくれない想い人の顔を見ながら、「こいつ本当に顔が綺麗だなぁ」とどうでもいいことを考えていた。
 自分じゃ釣り合わない、と言われるのも無理もない。


 部屋につくと「ジュニア、こっち」とディノにバスルームに連れられて、あれやこれやと服を脱がされた。
 なんなんだろう、と思ってると、
「……ぴっ!」
 自分のショーツが血でにじんでるのが解った。
「な、ななななな、なんだこれ――――っ」
「あれ、ジュニア、初めて?」
「はじめてって……」
「生理」
「せ…っ!?」
 勿論、知識としては知っている。
 母親にも心配されて一度病院に連れて行かれたことがあったが、男社会に生きている自分にとって気にするものでもないと思っていた。
「にひ、それじゃあ、初潮だな!」
「……な…」
 初潮、月経、生理。
 知識としてはあった。
 母親になるために女にとって必要だということも。
 でも―――
「……」
 下腹部を撫でても違和感しかなかった。
 それとは真逆に股から血は流れて脚に伝う。
「とりあえず、シャワー浴びておいで。ナプキンは俺のを使えばいいけど、初潮だったら生理用のショーツを買ってこないと……」
 そう思ってると、バスルームのドアがノックされる。
「フェイス?キース?」
「ディノ、これ買ってきたんだけど」
 そう言って、見えないように何かを渡してくれるフェイスの声が聞こえた。
 ディノの言う通りまずは汚れを落とそうと上衣も脱いだところだったので驚くも、ちゃんと見えないように手だけ入れてくれていた。
 差し出されたビニール袋はなんだろうと思っていると、
「わぁ、ありがとうフェイス!丁度今買いに行こうと思ってたところだったんだ♪」
 フェイスが丁度ディノが買おうとしていた生理用ショーツを持ってきてくれた。
「……」
「よかったな、ジュニア!」
「……あいつ、男なのに女用下着買ってきたのか……」
「本当に優しいよな」
「……うん」
 本当なら変態とか、なんでサイズを知ってるだとか思うのかもしれないけど、あいつ面倒見いいし、優しいもんな、と思った。
「ナプキンの付け方はわかる?」
「昔、保険体育で教わって母さんにも教えてもらった……」
「じゃあ、大丈夫だな!」
「……うん」
 脱衣室からバスルームに入り、血を流すためにコックをひねる。
「……」
 女になったことを表すようにタイルに流れる水と一緒に血が流れていく。
 制服もヒーロースーツもない自分はただの女でしかないと言われているようだった。
「……」
 自分では気づかなかったけれど、フェイスはジュニアが初潮だと気づいて抱き上げて連れて帰ってくれたのだと気づいた。
 知ってる。
 ちょっと前までクソ野郎でさぼり癖のある女に対して最低の男である。
 でも、本当は優しいし、面倒見がいいし、人のことをちゃんと見てる。
 フェイスのダメなところは100個あげられるけど、いいところはきっとその3倍はあげられる。
 本人は顔だけしか見てないと言っていたけれど、きっとそういう中身を好きな子だってたくさんいただろう。
 自分と、あるいはそれ以上に優しくしてもらった女の子だって沢山いたはずだ。
 だって、女として見れないような自分に、同僚だという理由だけでここまで優しいのだから。
「……アイツは、別に好きじゃなくても、優しいからきっと、色々するんだろうなぁ」
 そうでなければ、険悪だった頃の自分の病室に見舞いに来たり、キースを追いかけた自分を助けに来たりしない。
 ジュニアは知ってる。
 面倒くさいとかいいつつも、なんだかんだあの男は人が好きなのだということを。
 ついつい、目の前に困った人がいたら助けてしまうくらいにはお人よしなのだと本人は気づいているのだろうか。


 その日、結局ハンバーグを食べにいく約束はなくなってしまったけれど、お祝いだとキースがハンバーグを作ってくれた。
 勿論ピザと。
「ブラッドがこういう時には赤飯を食べるんだって言ってたんだ」
 それから、何故かディノがそう言って、リトルトーキョーから赤飯を買ってきてくれた。
 意味は解らないがおいしかった。


「……クソDJ」
「うん?」
「あ、あのさ……その、ありがとう」
「……」
「あと……金払う」
 恥ずかしそうに「幾らだった?」と聞けば、「別にいいよ」と答えた。
「……でも」
「別に大した金額じゃないし。俺からのお祝いってことで」
 相変わらず金に執着がなく彼はそう言う。
「でも……」
「本当に気にしなくていいよ」
「……」
 そのやり取りに、きっとこの男は色んな女に優しくしてきたんだろうなぁというのは解る。
「…でも、おチビちゃん、17歳なのに月経まだだったんだね」
「……別に、気にしたことなかったし…」
「……お腹冷えやすくなったり、お腹痛くなったりするらしいから」
「そうなのか?」
「なんかそういうものって聞くよ、俺は知らないけど」
「ふーん…」
「だから、具合悪くなったら遠慮なく頼っていいからね」
「……別に、お前の世話になんかならないし……」
「えぇ、今日、お世話してあげたのに?」
「……それは感謝してるけど」
 優しくされるたびに、自分が目の前の相手にとって大した相手でないことを知ってしまう。
 その他大勢の一人になりたくない。
 でも、二年経過したら、きっと思い出の中にいた一人にしかならない。
 同期の絆は特別だ、とディノが言ったけれど、マリオンなどは同期のメンバーに思い入れがあるようには思えなかった。  
 

 こんな想い、棄ててしまえたらよかったのに。
 そう何度も思った。
 忘れて、なかったことにしてしまえたらどんなに楽だろうか。
 ならば、諦めればいいのに。
 どうしても諦められなくて、ジュニアは誰かに想いを吐き出したかった。
 考えたのは今まで通り兄に相談すること。
 兄離れしようと約束したが、何か話したいことがあればいつだって電話をかけていいと言ってくれた。


 もう一人は―――自分と同じように苦しんでいるグレイだった。
 グレイだったら馬鹿にせずに話を聞いてくれると思った。


 別に待ち合わせしたわけじゃないのに、屋上庭園へと向かえばグレイが来ていた。
 そして、いつものように最近あったこと、そして、お互い叶わないであろう恋がもしも叶ったらの話をする。
 話題は自分達がルーキーリーグ前に行った結婚式の話だった。
 ジュニアとしてはグレイがビリーと一緒にやったというサーカスの目玉も気になっていたのでお互いの仕事の話をする。
 ライブでやった時も言っていたビリーの父親に会えたというグレイの顔は健やかなものだった。


「そういえばさ、グレイに聞きたいんだけど……」
 グレイに聞くのも申し訳ないと思いながらジュニアは口を開く。
「うん、なにかな……」
「その、あの…」
 こんなことを聞いていいのだろうか、笑わないだろうとは解ってる。それでも、言うのが恥ずかしくてジュニアは唇を噛みしめる。
「……あの」
「うん」
「……っ」
 けれど、どうしても聞かねばならないと、ジュニアは顔をあげた。
「男って、処女だと面倒くさいのか…?」
「……え」
「……」
「えっ、えっ、ええええええええ」
「その、面倒臭いか…?」
「そ、そそそ、そんな、その、僕っ」
「……おう」
「僕……実はこの年にもなって恥ずかしいんだけど…」
「うん」
「その、実は、童貞で……」
「……」
「だ、だから、よく解らなくて……」
「そ……そうだよね…」
「うん……ごめんね……力になれなくて……」
「……」
「……」
 グレイならいっそ、練習として抱いてくれと言ったら許してくれそうだが、さすがにそれは悪いし、何よりやっぱり抱かれるなら好きな男がいい。
 何も知らない男に頼んで棄ててしまえば楽なのかもしれない。
 でも、別にジュニアがなりたいのはフェイスの都合の良い女ではない。
 だけど、別に恋人になりたいかというと、多分それもちょっと違う。


 ただ、ジュニアは見ていたいのだ。
 フェイスが『ヒーロー』として成長していくところを。
 そして、見ていて欲しい。
 自分が『ヒーロー』として駆け上がっていくところを、他でもなく、隣で。


「あ、あの」
「どうした?」
「どうして、そんなこと……」
「……パトロール中にさ」
「……」
「クソDJが昔、沢山彼女がいた時でも、処女には手を出さなかったって聞いて」
「……」
「元々、女とすら見られてねえんだけど、でも、なんていうか……ああ、無理なんだなって……」


 気がつけば、涙が頬を伝っていた。
 その涙を、グレイの長い指が拭ってくれた。


「あの、だけど、ね……」
「グレイ?」
「これは、あくまで僕の気持ちなんだけど……」
「うん…」


 グレイの頬が赤くなっていた。
 それを少しでも冷ますように夜風がゆっくりと頬を撫でる。

「……好きな女の子相手なら、多分、どっちでもいいんだと思う」
「好きな……」
「もしも、好きな相手の、はじめてだったら、すごい嬉しいし、もしも違っても……それでも僕を選んでくれたんだと思うと……それも嬉しいんだ……」
「……うん」


 グレイの言葉には嘘が無い。
 だから、信じられる。
「だから、ね……無理に、棄てることはないと思うんだ……」
 ジュニアの頭を、グレイの大きな手がそっと撫でてくれる。
「自分を粗末にしたら、駄目だよ」
「……っ」
 その優しさに、涙が溢れた。
「ジュニアくん……」
「悪い」
「……」
「もう少しだけ、このまま――――」


 グレイだって辛いと解っている。
 それでも、頼らずにはいられない。
 抱きつくと、上から柔らかく微笑む声がした。
 そして、抱きしめてくれてそっと背中を撫でてくれる。


「……だいじょうぶだよ」


 その声がとても優しくて、ジュニアはビリーが幸せ者だと思った。
 こんな優しい人の気持ちが報われるといいのに、と心から願った。





「DJ」
「なに、ビリー」
 走った。
 走って、走って、想いの丈をぶつけたくて、ビリーは自販機にいたフェイスに声をかけた。
 何を暢気にしているのだろう、と思ってしまう。
「DJの……」
「なに?」
「DJのばか!」
「は?」
「稲妻ガールのDJの管轄でしょ!」
「は?」
「……なに、いきなり。大体、おチビちゃんがなに?」
「……」
 初めての友だち。
 一番の友だち。
 グレイが望んでいたのはそれだけだったのだろうか。
 わかっていた。それ以上なんて別に望まれていないって。
 それでも、ビリーはなりたかった。
 グレイの特別になりたかった。
「グレイが……」
「グレイ?」
「グレイが、稲妻ガールに、とられちゃった」
 カツンと、落下する音が聞こえた。
「……グレイが、何?」
「……稲妻ガールと」
「おチビちゃんと?」
「……屋上庭園で抱き合ってた」
「……」
 フェイスのマゼンタが大きくなるのが解った。
「……なんで」
「わかんない、何を言ってるのかも聞こえなかったし……」
「……」
「でも――――泣いてた」
「……」
「理由はわからないけど、稲妻ガール、泣いてたよ」
「……」


 フェイスはその言葉に思い出す。
 ジュニアが病室で、ヒーローだから泣かないと彼女の兄に言っていた事を。
 でも、ヒーローでも、泣きたいときはある。
 人間なんだから当たり前だ。
 そして、その涙を自分が拭ってあげたかった。  


 フェイスはジュニアが好きだ。


 人間としても、
 恋愛対象としても、
 ――――ヒーロー、としても。



 だから、彼女が泣けない事は解ってる。
 けれど、彼女が相棒だと言ってくれるなら、その隣に自分がいて、辛い時には一番に気付いて、支えたかった。
 その役目は自分じゃなかったという事を突きつけられた。


「……ビリーはさ」
「なに?」
「グレイが、おチビちゃんにとられても、諦められるの?」


 以前の自分ならそれで終わっていた。
 来る者拒まず、去る者追わず。
 だって、相手に愛情なんて抱く必要なんてなかったのだから。
 こんなに恋愛が、格好悪くてどうしようもなくて、足掻いて、諦められないものだなんて知らなかった。


「……諦められないよ」
「……」
「だって、特別なんだよ、こんなに好きなの、グレイなんだもん」
「……だろうね」
「……DJ?」


 惨めで、愛し方も解らなくて、格好悪くて、諦められなくて、足掻いてしまう、そんな何をしたらいいのか解らない。
 それでも、好きで好きで、その子がただ笑って、隣にいてくれたら、だなんて思う恋をした。

 辛くてどうしようもないけれど、それでも、その子に会えなくて良かっただなんて思った事は一度もない。
 もしも、ヒーローになる前に、
 アカデミー入学前に戻って、入学しなければ大好きなお兄ちゃんと仲良いままでいられるんだよ、と知っていても、それでも、何度だって、あの子に会うためにこの人生を自分が繰り返すんだろうという自信だけはあった。


 何年、何十年かかっても、口説いて口説いて、どうにか好きになって貰おう。
 なにせ、ジュニアは自分が女関係にだらしなかったことをしっているのだから、今更そんなことないと言っても無駄だという事はフェイスだって解っている。
 誠意を必死で見せるしかない。
 何より、小さな自分と約束したところを見ていた。
 自分だけれど、自分じゃない人間が好きな子の唇を奪ってプロポーズまでしたところは腹立たしいけれども、毎日揺れるリボンを見る度に彼女も約束を守ってくれているのではないかと期待してしまう。
 好きな相手がキースでも、グレイでも、知らない相手でも、ジュニアは約束を平気で破るような子では無い。
 そういう真面目で誠実なところも好きなのだからどうしようもなかった。



「……」 「似合うぞ、ジュニア!」
「……おれも、ゴーグルみたいにキュロットパンツにすれば良かった……」
「なんでそんなこというんだよ~、すごく似合うのに!」
 ルーキー達にとって大事なパーティだと言われてデザイン部に衣装を作られた。
 ディノに「ドレスを作ろう!」と言われたのだが、辞めておけば良かったと心底思った。
 自分に比べてディノの肌は傷一つない綺麗なものだった。
 身長も高くて、胸だって大きいし、トレーニングによって引き締まった脚も腕も蠱惑的だった。
 アキラとレンもいつもは少しだけ子供っぽいのに、腰の位置が高い上に細い。
 アキラはディノほどではないが胸が大きくて、腰も細い。
 口を開けば残念だが、黙っていれば整った顔立ちをしている。
 炎を思わせる焔色のワンサイドアップ、グリーンアップルの双眸も綺麗だし、騙される人間も多いのではないだろうかとジュニアは思う。
 隣にいるレンはスレンダー美人だ。
 着痩せするせいで胸はそこまで目立たないものの、腰から脚にかけてのラインが美しく、隙間から見える太股が魅惑的だ。
 海色の美しい髪の毛はサラサラで風に靡く度にいい匂いがした。
 今からでも遅くない。パンツだ、パンツにしてくれと頼もう。
 ディノには「お揃いじゃない」って泣かれてしまうかもしれないが、恥をさらすよりはずっといい。
 何よりも頭の中のフェイスが『おチビちゃん、なんでドレスなんて着てるわけ?』と言うに決まってる。
「……あ、呼ばれてる。ちょっと行ってくるな!」
「……ああ」
 去って行くディノの背中を見ながら、後ろ姿まで美人だなぁ、と思わずにはいられない。
 ディノの引き立て役ならまだしも、引き立て役にもなりやしない、という事はいたいほど解っている。
 忙しそうなビアンキを捕まるのは気が引けるが、頼もうと待ちながらため息を吐くと目の前に知ってる相手が現れた。
「……ゴーグルかよ」
「そうだけど、どうかしたの?稲妻ガール」
 ビリーの頭から下をじっと眺めて、自分と同じくらいの胸のサイズに心底ほっとする。
「……」
「稲妻ガール…?」
「なんか、ゴーグルがいて安心した」
「えぇ、何々?イーストセクターのお姉ちゃんとして頼って貰えてる!?」
「いや……胸とか容姿とか……」
「稲妻ガールまで俺っちの胸をないもの呼ばわり!?」
「だって、ディノにアキラにレンだぞ?」
「……確かに3人ともあるんだよねぇ…」
「……別にトレーニングに邪魔になるから胸なんていらねえけどな……」
 そう言いながら下を見ると見事なまな板である。
 ディノに「ブラジャーをつけるといいよ!」と言われて一緒に買いに言ったが何も育たない。
「……まぁ、俺っちも別にマジックで邪魔になるからいらないって思ってたなぁ」
「だよな!胸なんていらねえよな!」
「……」
「ゴーグル?」
「……稲妻ガールに聞きたい事があるんだけど」
「……なんだよ」
「あのさ……
「レオナルドさん」
 ビリーが何か言おうとする前にデザイン部の人間に呼ばれる。
「あ、悪い。呼ばれた」
「……ワオ、それじゃあ仕方ないね」
「……悪い」
「……終わったら」
「あ?」
「終わったら、一緒にダイナーに行こう?俺っち奢っちゃう」
「……別にいいけど」
 珍しい、と心底思った。
 でも、聞きたい事がある、と言うからには彼女なりの情報の対価なのかもしれない。
 そう思いつつも、ビリーがジュニアに聞きたい話があるとは到底思えなかった。
 一体何を聞きたいのだろうかと思いながらもデザイン部の人間によって寸法がとられる。


 ちなみにだが、ドレスじゃなくやはりパンツにしてほしいとお願いすればディノに泣きつかれて却下された。
 更にはビアンキにも説教されたのはまた別の話である。



 そんなこんなで、着せ替え人形まではいかないものの、寸法や型紙を作られ疲れ切っているものの、終わるとそこにはビリーが待っていた。
「ワオ、待ってたよ、稲妻ガール」
「……一度帰ればよかったのに」
「俺っちも少し前に終わったところだったからね~」
「そっか」
 ならばそれほど待たせたわけでもないのかと安心しながらもビリーの横に並ぶ。
「それじゃあ、一緒に行きますか」
「ああ……」
 ビリーのオレンジ色の髪の毛が動く度に跳ねる。
 ぴょこぴょこと動くその髪の毛をいつもグレイは見つめているんだなぁとふと思った。
 そう考えるとビリーが少しだけ羨ましい。
 誰かに想われるということをジュニアは知らない。
 けれど、グレイはビリーのことを、きっと命がけで愛してる。
 話を聞く度に、そうなのだろうと思えてならない。


 グレイと仲良くなったのはビリーの父親に会う為の勇気が欲しいからだった。
 グレイの話を聞けば聞くほど、ビリーが世界の中心なんだと解る。


 自分はどうなんだろう。
 ジュニアが産み落とされたのは、本当に愛されていたからなのか解らない。
 兄が失敗したからなのか。
 ただ、父親が子供に跡を継がせたくて作られただけなのか。
 あるいは、ちゃんと愛されたのか。


 ずっと兄は愛してくれていたと信じていた。
 兄の愛は疑った事はない。
 けれど、そこに父親への反抗心がなかったのかと聞かれたらそれはジュニアには答えられない。
 でも、同じように父親もけしてジュニアをヒーローにするためだけに作ったのかどうかもジュニアは知らない。
 兄から聞く『あの人』の話は全部兄からの目線だ。
 フェイスに言われて、フィルターを外せば、けして悪い父親では無かった気がする。
 少なくとも、キースが言っていた『自分を殴ったり蹴る父親』でもないし、ディノがいう『もしかしたら自分を棄てた父親』でもない。
 幼い頃には休みをとって一緒にキャンプに行ってくれた。
 どうしたらいいのか困った時には目を合わせて道を照らしてくれることもしてくれた。


「レオナルド」


 自分だけのものが欲しかった。
 名前も、存在理由も、価値も、自分は複製品だと思いたくなかった。


 でも、本当はそれは全部間違えだったのかもしれない。
 だって、『そう』だと教えてくれたのは『兄』で、父親じゃ無かった。
 今はまだ難しいけれども、父親と話したら違う答えが出るのかもしれない。


 だけど、今はまだ解らない。
 自分は、誰かに愛されているのだろうか。
 自分が自分だから愛してくれる人はいるんだろうか。
 自分を大切にしてくれている人はいる、と自信は持って言える。
 けれど、自分を一番に想ってくれている人は―――この世にいるんだろうかと考えればわからない。
 だから、ビリーの事が羨ましい。
 できれば、グレイの思いが通じたらいいのに、だなんて事をダイナーまでの道の間に考える。

 以前、バイトしていたバイト先に来て、『稲妻ガールが好きなのこれでしょ?』などと奢られるとますます気味が悪くなってきた。
 グレイ曰く、ビリーは『優しくて気遣いが出来ていつも明るくて空気の読める子』らしいが、ジュニアからしてみればビリーはフェイスと一緒に自分をからかってくる人間でしかない。
 仲の良いのかどうかも解らないし、友だちと胸を張っていえるほどの仲でもない。
 本人は『イーストセクターのお姉ちゃん』とからかってくるが。
 

「……で、用事って何なんだよ」
「……」
 フェイスと同じ身長なので、自分と同じく胸がないせいでビリーは男に見える時がある。
 というか、実際に本人もそうなるように振る舞っていたので気付かなかった。
 まぁ、ジュニアも女だと驚かれたのは最初だけで、キースもフェイスもその後は何も言ってこなかったが。
 ―――というか性別云々言われ出したのはディノがメンターになってからだった気がする。
 そんなことを考えながらビリーの答えを頬杖をついて待つ。
「……あのさ」
「おう」
 ビリーのゴーグルの向こう側の瞳がどういう色をしているのか見えない。
 だから、どういう表情をしているのかジュニアには予想もつかず、ただ言葉を待つのみだった。
 あまりにも次の言葉出てこなくて、買って貰ったオレンジジュースを口に含む。ストローを届けてくれるジュースが喉の渇きを潤していく感覚がする。
 本当にどうでもいいことばかり考えていると、やっと意を決したのかビリーがジュニアを見た。


「……稲妻ガールってグレイのことが好きなの?」
「っ…!ぶはっ」  


 だから、その質問は予想外すぎて噴き出した。
「げほ、ごほ、ごほ……」
「ちょ、ちょっと~大丈夫?」
「おまえがっ、変な事言うからだろうが!」
「だって、ボクちん気になってたんだもん。この前、屋上庭園でグレイと抱き合ってたでしょ?」
「あれは―――」
「あれは…?」
「……あれは、そういうんじゃねえ」
「じゃあ、どういうの?」
「……」
 まさか、グレイからお前のことで恋愛相談、のようなものをしていました。
 ちなみにおれはクソDJが好きです、だなんてそんなことは言えるわけが無い。


「そういうお前はどうなんだよ」
「え?」
「わざわざ聞いてくるってことは、グレイのことが好きなのか?」


 ごめん、グレイ!とここにはいない年上の友人に謝る。
 2人の恋路を邪魔する意図はひとつもないが、ここは自分達の秘密を守るためだ。仕方ないと割り切って下手な切り返しをしてしまう。
 これでうやむやになればいい。
 そう思って――――――のだが、


「うん、すき」


「……へ」 「グレイのこと、好きだよ」
「……」
「だから、稲妻ガールがグレイのことが好きでも、グレイが、稲妻ガールのことが好きで、付き合ってても……」
「ちょ、ちょっと、待て……」
 最後はか細い声になっている年上にこれは予想していなかったとジュニアは慌て出す。
「……グレイのこと、諦められない」
 その言葉に見えない筈のゴーグルの向こう側の色が見えた気がした。
 全身全霊で好きだ、と言っていた。
 こんなビリーをジュニアは知らなかった。
 いつも、人をからかって、馬鹿にして、飄々としている姿しかしらない。
 けれど、彼女はグレイのことならばこんなに我を忘れてしまうのだと知ってしまった。


「なーんか、グレイがお前のこと、可愛いって言ってる理由がちょっとだけわかった気がする」
「えっ、なになに、なにそれ。ちょっとボクちんにくわしく教えて!」
 さっきまでの殊勝な態度はどこにいったのか、いつもの調子で人に迫ってくるビリーにジュニアはため息を吐いた。
「言っておくけど」
「うん」
「おれはグレイのこと、好きだけどそういう目で見てねえ」
「……本当?」
「嘘ついてもしょうがねえだろ、大体、グレイはいつもお前の話ばっかりだよ」
「オイラの話ばっかり?」
「あとは自分で考えろ!」
「え、えぇ~」
 そう言って、ジュニアは丁度運ばれてきたハンバーグにかぶりつく。
 人の恋路に口を出すのはよくない。
 しかし、片思い同盟の仲間が、実は両思いだったという事実にジュニアは少しだけ気持ちが浮上する。
 自分の恋が実ることはないけれど、けれどグレイは違う。


 今はパーティの準備で慌ただしいけれど、終わったらグレイに会おう。
 そして、背中を押してあげたい。
 お前は大丈夫だよ、と言ってやりたかった。


 次、あった時に言おうと、ジュニアは決めた。
 口にしたハンバーグはいつも通り美味しい買ったけれど、けれど、心なしか、いつもよりも美味しい気もした。


 それから、数日後、似合わないドレスを着て、落ち込むディノを慰める為にガラでもなくダンスなんて踊って。
 キースと、ディノのダンスを見た。
 やっぱり、お似合いだなぁとジュニアは思って、早く両思いなんだからくっつけばいいのにとベッドの中で思った。

「……」

 でも、そうなると隣のスペースで眠る想い人は失恋するのか、と思っていた。
 それは少しだけ嫌だなと思ってしまう。
 フェイスが悲しむのは嫌だ。
 でも、キースとディノには幸せになってほしかった。
 キースの記憶がないと知った後のディノはとても悲しそうだった。
 そして、バールを片手に殴ろうとするくらいには暴走していた。
 きっと、ディノにはキースが、キースにはディノが必要なのだ。
 そうでなければ4年経過しても、死んだと認められなくて、必死になることなんて出来ない。
 ジュニアは2人の間にどのような過去があったのかも、時間が流れていたのかもしれない。
 けれど、2人が一緒にいるのが好きだ。
 ずっと、2人には一緒にいて、笑っていて欲しい。これは単なる我が儘でしかない。


 でも、その我が儘の為に、フェイスが悲しむは嫌だな、と思っていた。



 この時までは。


 朝起きて、キースが医務室に行っている時にディノが言った。
「考えたんだけど、俺、キースに告白しようと思うんだ!」
 その言葉に、とうとうくっつくのか……と思った。
 どうやら、キースの記憶喪失事件はディノに余程の衝撃を与えたらしい。
 フェイスも巻き込んで3人でディノの告白の計画をたてて、
「そっか、それじゃあふたりとも行ってくるな!」
 2人が消えていくのを見送った。


 これで今日は2人は帰ってこないのか……と思いながらも、隣の男は辛いんじゃないのかと思って横目で見た。
「……」
「……」
「おまえ、これで良かったのかよ」
「なにが?」
「だって、おまえ、ディノのこと、好きだったんだろ?」
「……は?」
 今まで聞いた事はなかった。
 でも、絶対にそうだと思っていた。
 だって、フェイスが真面目にヒーローをやりはじめたのはディノが来てからだ。
 最初はディノに反発していたが、キャンプで何があったのか、終わってみれば誰よりもディノに懐いていたのだから。
 それを恋だと思うには十分すぎた。
 何より、バレンタインデーの後にあんなに沢山いた彼女を一層したのだ。
 絶対にそうしか思えない。
「……ディノのこと、好きだったんじゃねえの?」
「……そりゃあ、ディノの事は好きだけど……」
 けれど、返ってきた言葉は全然違う言葉だった。


「……そういう目で見たことは一度もないよ」


 そんな筈がないだろう。
「……嘘」
 つい漏れた言葉。
 けれど、確かに目の前の男は余りにもあっけらかんとしていた。
 あれ、もしかして本当に違うのか?と思ってしまう。
 いや、しかし、クソDJは感情を隠すのがうまいから、隠しているのでは?とも思う。
 だが、この一年でこの男の感情は割と見破れるようになった気がする。
 そして、今は本当の事をいっているような気がした。
「嘘じゃないよ。そういうおチビちゃんのほうこそ、キースのこと好きだったんじゃないの?」
 頭をフル回転している時に逆に尋ねられて、思考が真っ白になる。
「……は?」
「……違わないの?」
「はぁあああああああああ?おれがキースを?あっりえねえ!」
「……嘘」
「嘘じゃねえよ!大体、おれが好きなのは――」
「……好きなのは……?」
 おまえだ、と言いかけて慌てて手で塞いだ。
「……ねぇ、好きなのは誰?」
 マゼンタがジュニアをじっと見つめていた。
 適当に言えばいい。
 好きな相手なんていないと、けれど、それは何か違う気がした。
 だって、フェイスは自分の質問に答えたのだ。
 それに――――――


 ジュニアの脳裏に浮かんだのは片思いをしていた友だち。


「……夜に言う」
「え」
「ご飯、食べ終わった後に言う」
「……」
 

 グレイには幸せになってほしい。
 そして、ビリーにも。
 自分のこの恋は今日で終止符をつげよう。
 全部、終わらせよう。


「――――グレイ?」
『ジュニアくん?』


 部屋から出て、電話を取り出す。
 以前、兄の代わりに電話をかけてもらってくれていた時の事を思い出す。
 あの時とは大分色々変わった。


 かつて、グレイは自分が迷ったときに「経験した」と言ってくれた。
 ならば、今の自分が導き出そうとしている答えは合っているのだろうか。そんなことは解らない。


「あのさ」
『どうしたの?』
「おれ、クソDJに告白する」
『え、え?ど、どうしたの、急に』
「だからさ、グレイも、」
『……ジュニアくん?』
「グレイも、ゴーグルに告白しろよ」
『え、えぇ、そ、そんな無理だよ……っ』
「無理じゃねえよ」
 大丈夫、お前達はうまくいく。
 そう言う事はたやすい。
『でも……』
「明日さ、ちゃんと告白して、振られたらグレイに慰めて貰うから」
『ジュニアくん……』
「だから、」
 ごめん、ゴーグル。最後だから、と言い訳して。
「だから、グレイも頑張れよ!」
『ジュニアくん…!』
「明日、いつものところで」   


 最後の夜だ。
 長い人生だから、また恋をすることもあるかもしれない。
 でも、自分はもう二度と恋をしない気がした。
 どうせなら、忘れられない夜にしたかった。失恋すると解っていても、傷ついてしまうと解っていても、最後に自分の体に爪痕を残したかった。
 相手にとってはきっとどうでもいい事だと解っていても。


「ああ、でも初めてだと断られるんだっけ」


 でも、あいつ優しいから頼めばやってくれるかも、などと思った。
 キースとディノは今頃デートしているだろうに。
 こんなことを裏でしてごめん、と謝った。
 恋愛は頭のネジが外れるようなものだ、と4人で見た恋愛映画で言っていた。
 あの時は意味がわからなかったが今は解る。
 ネジなんて外さなきゃやってられない。
 マトモな状態で恋なんてきっと出来ない。

   最後だから、と何度も言い訳をする。
 きっと、フェイスに恋をしていた女達も同じだったに違いない。
 誰だって、大勢の1人になんてなりたくなかった。
 でも、それでもその1人になったとしても自分の人生に確かにこの恋があったのだと足跡を残したかったのだろう。
 もしも、フェイスが消えたら自分はキースのようにずっと探してしまうけれど、でも、フェイスは違うだろう。
 そう考えて、やっぱりあいつ優しいから探すかもな、とも思う。


  「……」


 でも、最後には、この恋がいいものだった、と胸を張れる自分でありたい。
 フェイス・ビームスの事を好きだったのは、間違いじゃないと思っている。
 面倒くさがりで、適当で、最低野郎で、人をやたらからかうし、なんでこんなヤツが、と思った。
 でも、知れば、面倒見が良くて、優しくて、一生懸命で、器用そうに見えて不器用で、自分に無頓着で、そのくせ身内には甘い、そんなところが好きだった。
 否――――多分、ずっと好きだ。


 例え、相手にとって自分が『女』じゃないとしても、
 最後の最後には、女でいたかった。
 数年、数十年後、自分の初恋を、宝物だと言いたかった。
 だから、今から自分がしようとしている事にフェイスに巻き込んで悪いと思いながらも、後悔はなかった。  


「……クソDJ」
 覚悟を決めて、フェイスのスペースに足を運ぶ。
 美しいマゼンタの水晶体が自分を見つめていた。
「おれの好きなヤツ、知りたいのか?」
「……」
 好きな相手が自分を見つめている、それだけでどれだけ幸せなのか知ってしまった。


「……うん」
「そっか」


 今から自分はそれを全部棄てようとしている。
 これからの二年間、気まずいかもしれないし、相手に傷を残すかもしれない。
「……教えるかわりに頼みがあるんだけど」
「……頼み」
「ああ」
 それでも、もう止められなかった。
「おれのすきなヤツさ、はじめてだと、面倒くさいんだって」
「……」
「だから、一度きりの火遊びでいいから、」


 もう戻れない。


「おれのこと、抱いて」


 いつだって、物事は前を見て歩いて行くしかないのだ。