燧火 #2

 『男』を意識してないおこちゃまに意識して貰うのはどうしたらいいんだろう。
 ブラコンのジュニアにとって男や女というカテゴリーがあるのか解らなかった。
 ヒーローは男社会だ。
 別に彼女たちは女を棄てているわけではないのだろうが、それでも有事には男や女というカテゴリーに配慮している場合ではない。
 リリーの時はどうだったのかは不明だが、ディノの時もキースやブラッドと一緒の扱いだったようだし、13期でも女性同士組ませればいいのに、効率やチームワークを重視して男女同室などというおかしな事が起きている。
 しかし、後で聞けば、災害や事件時に駆り出された時には男女共に衣食住を共にすることになる。そのときになって男女を気にされてはたまらない、という訓練もあるらしい。
 これに対して男が得をするのかというとまったくそういう事はない。
 大体が女の方が先になれて、あっけらかんと目の前で裸になろうとするのだから困ったものだ。
 これをジュニアに言えば、


「はぁ?お前、人のこと女としてみれないとか言ってたじゃねえか」


 と言われる始末だ。
 初日の自分を殴りたい。


   だって、好きになるだなんて思ってなかったんだ。


『バカか、てめぇは!』
 目指すべき背中なんて、夢なんてもう見えなくなっていた。
 でも、土砂降りにしてはまだ希望なんてものがあって、なにをしたいのか自分でも解らない時に、雷撃が目の前に走った。
 放っておけばいいのに、他人のことにそんな必死にならなくていいのに、でもその姿に焦がれた。


『おれは親父とは違う!名前とか関係なく、おれはおれとして有名になってやるんだ!』  


 自分にはなれそうにないその姿がまぶしいと思えた。
 気がつけば目で追うようになった。
 でも、自覚したのはーーー


「はいはい、よくやったよくやった」
「っていうか、やればできるんだからやる気を出せよ」
 いつだったか忘れてしまった。
 キースには無理でしょ、そんなつっこみをフェイスがしようとした時だった。
 当たり前のように、キースがジュニアの頭を優しくなでた。
 端から見ると微笑ましい光景なのに、何故か胸が鷲掴みされたように痛んだ。
 生まれて初めてのその感覚に戸惑いつつ、どうせすぐに手をはねのけるだろう、と思っていた。
 でもーーー
「……っ」
 恥ずかしそうに、はにかむようにジュニアが笑った。


 なんで?



 なにに対して投げかけたのか解らない。
 気持ち悪さをどうにかしたくて自分もジュニアの頭に手を伸ばす。
「あはは、おこちゃまだから髪の毛をなでられてうれしいの?」
「なっ、クソDJ!なにすんだ」
「だって、キースに撫でられてうれしそうにしてたじゃん。だから撫でてやろうと思ったんだよ?」
「キ――――!、お前には撫でられてもうれしくねえ!」
「……」
 お前には、ってなに。
 それってキースに撫でられるのはうれしいってこと?
「あはは、でもジュニアはいい子だからみんなついほめたくなっちゃうんだよな」
「っ、ディノ!」
「俺もジュニアのこと、大好きだぞ」
 ぎゅっと抱きしめるディノに抵抗するのかと思いきや、素直にディノになついてるジュニアは抱きしめ返す。
 その姿になんだかイライラしてしまう。
「おー、おー、仲良いこって」
 いやまぁ、ディノには前からあんな感じだし別にいい。
 でもさ、キースに対してはなに?


 そんな事ばかりがフェイスの頭の中で過ぎっては積まれていく。
 もしかして―――だなんて考えがつい浮かんでしまう。
 でも、完全に『そう』だと気づいてしまったのはジュニアがグレイの手伝いをすると決めた時だった。



 グレイの影響を受けて変わっていくジュニアが微笑ましいとか、良かったという気持ちと同時に、やはり胸がちくちくと痛んだ。
 果てにはジュニアの兄であるクリスとも出会った。



「アナタが思ってるほどおチビちゃんは子どもじゃないし弱くもないと思いますよ」



 自分と同じように挫折してしまった人。
 でも、それでも、彼と自分の根本的な違いが、見えているもの、見えていないものが、から勝手に言葉がでる。



「甘やかさなくても肯定してあげなくても、極論的には、周りに誰も味方がいなくても……」



 そうだ。
 あの日、魅せられた。
 誰も手を差し伸べてほしいだなんて一つも言ってないのに、それでもキースの元へと走っていった姿を、背中を、
 自分は好きだと思ったのだ。
 きっと、それまでは苛立っていたり、好奇心だったり、同情だったり、そんな感情だった。

 だけど、あのとき、自分の心臓に電撃が走った。

「おチビちゃんはひとりで前に進めるくらい強い人間だと、俺は思います」


 そうだ、本当は自分の手助けなんていらない。
 でも、いつだって、自分を頼ってくれるのが嬉しかった。
 誰かにこの位置を取られたくなかった。

 とはいえ、頑張ったところでジュニアになかなか自分を意識して貰うということは難しかった。
 初恋とはこんなに難しいものなのか、と突きつけられた気がした。
 極めつけには小さな自分が現れたりして。


「レオナルドお姉ちゃん!」
「どうした?チビDJ」
「あのね、あのね……一緒にお風呂入りたい!」
「は?」
「別にいいけどーーーって、なんだよクソDJ」
「いやいや、あのさ……」
「うん?」
「それ、小さい頃の俺なんだけど……」
「知ってるけど」
「なのに、おチビちゃんと一緒にお風呂に入るのってまずくない?」
 どう考えてもまずい。
 好きな女の子と一緒にお風呂に入るだなんて。
 小さいとはいえ自分だ。否、自分だからこそなのか、腹立たしい。
「おチビちゃんだって、俺と一緒にお風呂に入るだなんて嫌でしょ」
「……」
「だから―――」
「ふぁああっっく!」
「……なに?」
「何、イヤラシいこと考えてるんだよ!チビDJはまだ子どもなんだぞ!お前みたいなこと考えるわけねえだろ!」
「ちょ……」
「行くぞ、チビDJ!」
 そう言ってジュニアに抱き抱えられてバスルームへと向かう幼い自分。
 にや~と笑顔を浮かべるのはどう考えても自分だ。
 ジュニアやディノは可愛いと言われているが、あれは自分の黒歴史なのだ。望めばほとんどの人間がなんでも叶えてくれた時期だった。
 ほかの人間がジュニアと一緒にお風呂に入ると考えたらさらに嫌だが、自分と同一人物とはいえ幼い自分が一緒に入るのも嫌だ。
 でも、バスルームに入れば変質者として嫌われる事は必須だ。
 仕方ないと諦めるしかない。


「……なんか、自分が消えるとかそういうのよりも重大な問題に当たってる気がする……」


 自分が死ぬことのほうがどう考えても重要なのだが、初恋を拗らせた男はそこに気付かなかった。
 しかし、問題はそれだけで終わらない。


「レオナルドお姉ちゃん!」
「どうした?チビDJ」
「えへへ、屈んで!」
「なんだ?」
 そう言って、リトル・フェイスに目線を合わせていた。
 それから―――
「は?」
 自分の唇をジュニアの唇に合わせた。
「……へ?」
「えへへ」
 小さなフェイスが頬を赤らめてジュニアをみる。
「あのね、お兄ちゃんが好きな人とはキスするんだって教えてくれたんだ」
「……」
「あのね、俺、レオナルドお姉ちゃんのことが大好きだから、大きくなったら結婚してくれる?」
 後ろでキースが飲んでいたビールを吹き出し、ゲラゲラと笑う声が聞こえた。
 すぐにピザを乗せているだろうお皿をディノが落とした音も。
「……えーっと……」
「だめ?」
「……ちょっと」
 思考が停止していたがまずいと思い、慌ててリトル・フェイスをジュニアから引き剥がそうとする。
「何やってるの、おチビちゃんから離れて」
「えぇ、やだ~!レオナルドお姉ちゃんのこと好きなんだもん!」
 しかし、リトル・フェイスはレオナルドに抱きついて離れない、と全身で訴える。
「ねぇ、レオナルドお姉ちゃん、駄目?大きくなったら、お姉ちゃんとけっこんしたい!」
「……あのさ……」
「……チビDJ」
 いい加減にして、と言おうと思ったが、その前にジュニアが声を発した。
「なぁに?」
「……」
 それから少しだけ考えて、けれど答えが出たのかジュニアは笑った。
「……もしも」
「……」
「大人になって、おれのことが好きになってくれたならそれでいいよ」
「本当?」
「おチビちゃん!」
「―――本当」
「じゃあ、約束!」
 そう言って、ポケットから黒いリボンを取り出す。
「あのね、さっき貰ったの」
「おお……」
「レオナルドお姉ちゃん、後ろ向いて!」
「こう?」
「うん!」
 そう言って、ジュニアの髪の毛にリボンがきれいに結ばれた。
「レオナルドお姉ちゃん、かわいい」
「……そ、そうか?」
「うん!あのねあのね、おれがちゃんとすきって言うまで、ちゃんとそれ結んでて!」
「お、おう……」
 気圧されたようにジュニアは笑う。
「約束だよ!」
 そう笑うリトル・フェイスに対してジュニアも笑う。
 しかし、フェイスとしてはおもしろくもない。
 自分がいつか伝えたかった事を幼い自分がすらすらと言うことに対してなのか、あるいは単純に今の自分をみてくれないことに対してなのか解らない。


 キースとディノが微笑ましい笑顔でこっちをみているのも正直苛立つ原因の一つではあるが。
 まぁ、こんな感じで解ったのはとにかくジュニアは自分の魅力を解っていないということ。
 そして、フェイスのことをまったく意識していないことだった。
 じゃなければ、小さいとはいえ幼い自分と結婚の約束なんてしないだろう。
 おそらく、今の自分がジュニアを好きになるなんてことがないと思っているのだ。
 それは自分自身を過小評価しているのか、自分が男として意識されていないのか。


 ――たぶんどちらもだろう。


 フェイスにとってジュニアは特別だけれど、でもきっとジュニアにとってフェイスは特別じゃない。
 たまたま三年いるだけの存在。
 毎日膨れ上がるこの感情なんて知らずに。
 きっとジュニアは前だけ見て進んでいく。
 自分の気持ちなんて知らずに、どういうヒーローになりたいのか悩んでいる自分を置いて。


『自分は兄貴と違うってとこ、さっさと証明してみせろよ!』  


 だから、ジュニアに正論を言われて、キースに言われた時のように腹立つことも、ディノに庇われた時のように何かを思う事はなかった。
 それは自分が相手の事情に対して踏み込みすぎた結果でもあるし、事実だったからだ。
 未だに自分はどうなりたいのかなんて見えないんだから。



 だけど、
「かっこ悪くなんかねーよ」
 一番認めてほしい人が、
「お前もちゃんと『ヒーロー』なんだなって思った。」
 笑って、手を伸ばして、
「……一緒に頑張ろうぜ、これからも」
「おチビちゃん……」
 好きだと思った。
 抱きしめて、耳元で囁いて、好きだと言って、口づけたいと思った。
 結果として、それは阻止されてしまったのだけれど。
 それでも、好きな子がそう言ってくれた。
 幼い頃、兄に憧れて『ヒーロー』を目指した。
 でも、喜んでもらえると思った人には振り払われて、挫折して、それでも諦められなかった。
 どうしてなのか解らないけれど、腐っている自分の前に、雷鳴が響いた。
 その輝きが手を伸ばしてくれた。
 諦めるなと、甘えるなと、自分よりもずっと辛くても前を見ていたその背中に焦がれた。
 でも、幼い頃のように、背中を追うんじゃなく、隣に立ちたいと思った。


 一緒に、と言ってくれた。
 傍にいていいのだと、許してもらえた気がした。
 同時に、好きになってもいいのだと言われた気がして、少しだけ舞い上がってたのだと思う。


「見て見て!お揃いにしたんだ!」
「……」
「おー、ブラッドがいう馬子にも衣装ってやつか」
「なんだ、そのまごにもいしょうってヤツ」
「よく似合うってこった」
 そう言うと嬉しそうに胸を張る。
 確かに似合う。
 フェイスの目の前のジュニアはディノとお揃いのノースリーブシャツに、ギャザーの入ったスカートを履いていた。
 二の腕を飾り付けるレースは上品で、あまり使われていないのが却って可愛らしさを醸し出している。
 スカートの長さは膝下なものの、健康的ですらりとした脚が覗いている。
 未だにリトル・フェイスに貰った黒いリボンをつけている事は少しだけ苛立つが。
 元々素材はよいのに、まったくといっていいほど化粧やおしゃれをしないが故に彼女が可愛いということを多くの人が気付かなかった。
 けれど、目の前の少女は100人に聞けば200人は可愛いと言うだろう可愛らしさがあった。


 まぁ、それはよかった。
 フェイスにとってはどんな格好をしていようがジュニアが好きだし可愛いと思ってしまうのだから。  


 問題はどうしていきなり着飾るようになったのかだ。


「……」
「なぁ、フェイスはどう思う?」
「え?」
「ジュニア、可愛いだろ?」
「ディノ!」
「……」
「―――そうだね、ディノとお揃いで似合ってるんじゃない?姉妹みたいで」
「……」
「本当か?嬉しい!」

 幼い自分なら言えた言葉。でも、今の自分では言えない。
 だって――
 女性が着飾る理由なんて、大体男だ。
 そして、それは退院直後から始まった。


(……いや、嘘でしょ)


 そこから導き出される結論なんてひとつしかない。 (おチビちゃん、もしかしなくても……キースのこと―――)


 いやいやありえないでしょ、と言いたいが、自分が倒れた後ジュニアを助けたのはキースだと言っていた。
 そこでなにを二人が話したのか、何をしたのかは解らない。
 でも、元からジュニアは何かあればキースに頼っていたし、自分を助けてくれたことをきっかけに恋心を自覚してもおかしくない。

 別に、
 別に見返りがほしかったわけじゃない。
 ただ、フェイスはジュニアの輝きが周囲の事情によってかき消されるのが嫌だっただけだ。
 ジュニアを守りたかっただけ。
 だというのに、この差はなんだろうか。  


『結局最後選ばれるのは、ワルイ男よりイイ男ナノ……』


 ジャックリーンの声が頭に響く。
 つまり、自分の好きな子の中で、自分よりもキースのほうがいい男だということか?とショックを受ける。
 フェイスだってキースのことは好きだ。
 適当だが自分たちを見守ってくれるし、なんやかんやで情に厚くて優秀だ。
 いい男かどうかと聞かれたらいい男だと思う。
 しかし、しかしだ、
 キースはどう考えてもディノのことしか見てないような男だ。
 それはジュニアも知っているというのに、何故そんな幸せになれないような恋をするのか。


(……いや、でも好都合なのかも?)


 自分だったらそんな思いをさせないのに、と思いながらも同時にキースがジュニアの恋の相手というのはある意味、好都合なのかもしれない。
 元からさっさとくっついてほしいとキースとディノについて思っていたところだ。
 だったら、二人にはさっさと恋仲になって貰って失恋したジュニアを慰めたらいい。
 それに、キース相手ならフェイスもなんとか耐えられそうだと思った。

 我が儘を言えば、ジュニアの―――おそらく初恋は自分が良かったし、何もかも自分色の染めたかったが、他者の人生なんて思い通りになるわけがない。
 それに、ジュニアと約束したのだ。
 これからも頑張ると。


 でも――――


『顔に傷ついてない?』
『顔が見られなくて寂しい』
『元気な顔を見せて』


 ヒーローとしての自分とは何なんだろう。
 顔、顔、顔、自分には顔しか良いところがないんだろうかと思う。
 隣にいたい女の子は眩しくて、いつでもキラキラしてる。
 好きになって欲しいと思うのと、彼女に見合うだけのヒーローになりたかった。
 オーバーフロウまでして、ボロボロになって、それでも前に進んでいる。
 いつだってそうだ。
 自分は、あの背中を追うだけだ。


 自分は、ヒーローの、自分の『憧れ』の背中だけ見せられている。
 幼い頃にはブラッドの、今は、ジュニアの。
 でも―――諦められなかった。恋焦がれた。
 ヒーローになりたかった。
 

 時折見えなくなって、霞んでも、それでも彼女に会って、近づけた気がした。
 褒めて貰うとか、認めて欲しいとか、そんな気持ちがないとは言えない。
 でも、そんなことよりも大事な事を教わったのに、そのヒーローになる素質も資格も、自分にはそんなものはないのだと突きつけられた気がした。
 ディノはかつて、自分にも素質があると言ってくれた、でも本当にあるんだろうか?
 周りからも心配されて、その上―――


「俺は、こうして食べたい気分なんだ」
「いや、寝転がって食べるとかあり得ないんだけど…」
「そうだな。だが、ホットドックに限っては良しとしている。こうやって食べると美味しく感じると、アキラが言ってたんだ」


 まさかのブラッドまで出てきた。
 否、それだけなら別にいい。
 でも、突きつけられた。

 ブラッドは変わった。
 昔なら、こんな風に寝転がって食べたりしなかった。  

 そりゃそうだ。
 人は変わる。
 自分も変わる。


 幼い頃の自分は解らなかった。
 あの頃に自分は暴君で、世界は自分に何でも優しいと思っていた。
 『お兄ちゃん』はいつでも味方で、何でも叶えてくれると思った。
 でも、そうじゃないといきなり突きつけられた。
 ヒーローを目指さなければ良かったと思った事だってある。
 周囲の言う通り、音楽の道に進めば良かったと思った事もある。


 だけど、もしも、そうだったら―――――


 会えなかった人がいる。
 キースにも、ディノにも、ビリーやグレイ、ウィルやマリオンやレン、アキラにガストにジェイや他のメンターにも。
 それよりに――――


『お前もちゃんと『ヒーロー』なんだなって思った』
『……一緒に頑張ろうぜ、これからも』

 認めて貰えたんだ、好きな子に。
「証明するよ」
 確かに最初は小さな憧れだった。
 でも、フェイスのその夢には今は多くの人が関わっている。だから、
「俺は顔だけじゃないって証明する。『ヒーロー』としての俺を求めてもらえるように」
 もうきっと棄てられない。
 例え、この方が楽だという道があったとしても投げ出せない。
 だって、フェイスの『ヒーロー』になるという夢を、一緒に追ってくれる人がいるのだから。
「……俺が『ヒーロー』になってなかったら、今でも仲良くやれてた?」
 それでも、とは思う。
 だけど、「そうだ」と言われても、フェイスが過去に戻っても言われた通りには戻れないだろう。
「俺は『ヒーロー』になっちゃったワケだし、これからも続けていくつもりだしね」
 ジュニアと、キースと、ディノと、多くの人と出会う、この面倒で大変な道をきっと何度も選ぶ。
 例え、大好きだった―――『お兄ちゃん』に嫌われても。


  「フェイス」
 だから、素直に嬉しかった。
「……なに?」
「『ヒーロー』であっても、そうでなくても、お前は俺の弟に変わりない」
「え…」


「怪我が治って何よりだ。
それから……『ルーキー・リーグ』ではよく頑張ったな。入所した頃に比べて、お前はずいぶん『ヒーロー』らしくなった」
「……」
「これからも、前を向いて進め」


 欲しい言葉を貰えた。
 その事に驚いて、引き留めようとしたけれど、逃げ出すように車は走っていく。
「……何なの、もう」


   恥ずかしくなりつつも、なんだかこれもあれも全部キース達のせいだと思い、部屋へと戻る。
 どうせ、キースとディノのことだ、酒とピザで今日もパーティしてるに違いない、と思っていた。
 でも―――


「……あれ」
 リビングにいたのはジュニア1人だった。
「…帰ってきたのか」
「うん……っていうか、おチビちゃん、お兄さんのところに行ったんじゃ無かったの」
「え……あ、あの…」
「……」
 まぁ、そういうこともあるよね、と思ったけど嘘だったんだな、と確信する。
 最も電話の様子から予想はしていたが。
「まったく―――」
 文句の一つでも言おうと思ったが、
「おチビちゃん」
「あ?」
 頬に涙の跡、瞳が薄らと赤くなってる事に気付いた。
「なにかあった?」
「あ?別になんもねえよ」
「……」
 そりゃそうだ、ジュニアは泣き言を言うことは無い。
 それでも、彼女が自分のいない間に涙を流した。


「……なぁ」
「……うん?」

 それがさっきまで浮上していた心が地にたたき付けられた気がしたのだけれど、
「楽しかったか?」
 曇天と蒼天が自分を見て微笑む。
 それだけで歓んでしまう自分がいる。
「……まぁまぁじゃない?」
「なんだよ、素直じゃねえな」
「アハ、そりゃあおチビちゃんと違ってこの年でアニキと出かけて喜ぶとかないでしょ」
「ふあああっくっ!人の事はどうでもいいんだよ!」
「本当にお子ちゃまなんだから」
「誰がガキだ!」
「そういえば、キースとディノは?」
「人の話を聞け―――――!2人はジェイと一緒に飲みに行った」
「…え、じゃあ、おチビちゃん1人だったの?」
「……」
 何気ない質問にジュニアが動きを止める。
「あー……」
「?」
 さっきクリスと一緒でないと確認したところだ。なら、誰と一緒にいたのだろうか。
「誰かと一緒にいたの?」
「……」
 ソファが少しだけ軋んだ気がした。
 心臓が早まる。
 自分と、ジュニアの息づかいだけがいつもは無駄に騒がしいこの部屋には聞こえない。


「……グレイと一緒にいた」


 おそらく数秒。
 けれど、長く感じたその時間。
 出た名前に、フェイスは混乱する。

「え……」
 それは、つまりグレイの前で泣いたということで。
 どうして、となんで、が何度も交互に自分の脳裏に占める。

「……」
 でも、元からグレイとジュニアは仲が良かった。
 だから一緒にいるのだって不思議じゃない。なんでもない、大丈夫だ。
 そう言い聞かせる。
 でも、自分ではなく、グレイに弱音を吐いたという事実が苦しめる。


 そして、それが遅効性の毒のように自分を苦しめる決定打となったのは――――――



「DJ」
「なに、ビリー」
 しばらく経ってからの自販機の事だった。
 丁度、ココアの缶を手に取った瞬間に馴染みの声に呼ばれる。
 何かと思って顔をあげれば、いつもの陽気で何を考えているのか感じ取れないような彼女ではなく、どこか沈んだ様子のビリーがフェイスの前に立つ。
「DJの……」
「なに?」
「DJのばか!」
「は?」
「稲妻ガールのDJの管轄でしょ!」
「は?」
 突然の罵声に何を言ってるんだろうと思っていると、今にも泣き出しそうな子供のような顔でビリーがフェイスを見ていた。
「……なに、いきなり。大体、おチビちゃんがなに?」
「……」
 わけが解らず尋ねれば、ビリーは口を一文字にして唇を噛みしめる。それからゆっくりと開いた。
「グレイが……」
「グレイ?」
「グレイが、稲妻ガールに、とられちゃった」  


 その言葉に、カツンと、床にココアが落下した。