>あさきゆめみし ゑひもせす ①

  「キースってαなのにフェロモンがないよな」
 バース性。
 第二の性別と呼ばれるその性はニューミリオンでは当たり前にあるものだった。
 ロストガーデンに向かったキースをジュニアとフェイスが連れ戻してからウエストセクターはやっとチームとして始まった。
 そんな中、ふとジュニアが気付いたことがある。
「あ?」
「普通αってむせかえるような香りがすんだけど、キースはそういうのない」
「こら、人のにおいを嗅ぐなよ」
 くんくんと人のにおいを嗅ぐメンティーにキースは目を細める。
 ジュニアのバース性は実に特殊だ。
 本来、第二の性はα、β、Ωの三通りしかない。
 しかし、ジュニアの場合は生殖器だけがΩ、他の部位はαという本来ならありえないような性別になっている。
 父親のαと、母親のΩを変則的に受け継ぎ、キメラと化していると研究部から聞いた時にはそんなことあるのかよ、と思ったモノだった。
 

 その為か、ジュニアはαの香りには酷く敏感だ。
 Ωのフェロモンも弱いなので非常に辛い体質だな、と思いつつも、彼が言った言葉にキースはそりゃそうだろうな、と思った。

「あー、そりゃ出す必要がないからなぁ」


   その言葉にジュニアは目を見開いた。
「……あのさ」
「なんだよ」
「キースが探してる昔の仲間って……もしかして番だったりするのか?」
「……」
「……」
 そういう人の地雷を踏み抜くのは辞めろ、といいたいが、どうにもジュニアはあいつににているところがある。
 人をまっすぐ見つめるところが、キースは苦手で、大好きだった。
「ノーコメント」
「……」
 番、だったのだろうか。


 ディノ・アルバーニはキース・マックスにとって特別な存在ではあった。
 でも、けして運命の相手ではなかった。
 けれど、きっと、それを決めた神様なんて殺してでも―――――キースはディノが欲しかったのだ。




 アカデミー時代、キースはその頃、まだ「β」だった。
 当たり前だ。キース・マックスの父親はクソ男で、それこそどこに出しても恥ずかしいどうしようもない男だった。
 そんな父親から逃げ出した母親。
 自分はどっちを怨めば良いのか解らず、ストリートチャイルドのような生活をしていた。
 人を騙すのも騙されるのも自業自得。
 だから、誰かを信じたら馬鹿を見るのが普通だった。
 ”100万の夢が叶う街”ニューミリオン。
 そう謳われているが、裏社会の人間や子分のような肥だめにいる人間はヒーローにでもならないと抜けられない、腐った場所だった。
 例え誰から似合わないと言われても、それでも、必死で食らいつくしか無かった。
 アカデミーの門は開かれている。
 どんな人間でも、アカデミーに入ればヒーローになれる。
 だが、実際はそこは偏見だらけの場所だった。
 たまにどうしても戻る実家でタバコの匂いがすれば、疑われ、いい点数をとればカンニングだと言われる。
 そんな場所。
 けれど、それでも生きる為にはここにいるしかなかった。
 それに、悪い事ばっかりじゃなかった。
「キース!」


 ひらりと舞い散る桜のような、そんな存在だった。
 どこまでも澄み切った青空と、桜色の髪の毛、はにかむ笑顔。
 一目惚れなんて、そんなロマンチックなモノではない。
 でも、ディノは自分がどれだけ遠ざけても笑って隣にいてくれるお節介で世話好きで、そして――――――この色の付いてない世界で、キースが唯一、綺麗だと、美しいと心から思える存在だった。
 何もかも汚くて、誰もが自分に冷たくて、誰も助けてくれない、そんな世界にずっと1人で生きてきて、
 当たり前に手を差し伸べられたら、人はどうなる?


 そんなの、好きになるなっていうほうが無理に決まってるだろ、とキースは思う。


 一目惚れなんかじゃない。
 けれど、過ごしていく日々は確かに、キースがディノを好きになるには十分すぎた。
 止まらないスピードで、想いが溢れていく。
 あの日、あの時、間違えなく、キース・マックスの世界は、ディノ・アルバーニだけで出来ていたのだ。


 ディノさえいれば良かった。
 ディノが笑ってくれたら良かった。
 母親にすら見捨てられた自分をディノだけが拾い上げて、自分に居場所をくれた。
 たったふたりきりのせかい。
 やがて、そこにブラッドが入ってきて、キースの世界は少しずつ広がっていった。
 でも、それでも、


 キースにとって、ディノという存在が特別だったのだ。


 アカデミー一年目の時の身体測定で、キースは初めてバース性というものを検査した。
 ヒーローになることの絶対条件ではないが、ヒーローになる人間は『α』が多い。
 自分は絶対に違うだろうなと思っていたが、ブラッドはすでに幼い頃に検査していてαだと言っていた。
 話を聞けば母親も、小さな弟もそうだと言う。
 αといっても更に面倒なことにαよりのα、βよりのαなんてものがあって、ブラッドはαの中のαだという。
 面倒くせえなぁ、とキースは思って他人事のように聞いていた。
 それよりも、大雨が降っていて、ブラッド以外傘を持っていなくて雨宿りをしている時だった。
 ブラッドだけ先に帰ってもいいだぞ、と言っても3人で待とうと言いながら空を黙って見ていた時の、何気ない会話だった。
 それだけのはずだったのだ。
「ってことは、ブラッドのヤツには運命の番いとかいうヤツがいるかもしれねえわけだな」
「……いない、とは断言できないが、そういう相手がいるかもしれないな」
「大変だなぁ、α様とΩって。なぁ、ディノ」
「……」
「……ディノ?」
「……え、なに?」
「聞いてなかったのか?」
「……ごめん、なんの話?」
 実際に他人事だったのだ。
 だって、キースはこの時までαだの、Ωだの、どうでもよかったのだ。
 何故ならディノも自分と同じようにβだと思って疑わなかったのだから。
「……顔色悪いぞ、どうかしたのか?」
「うん、大丈夫……なんでもないよ」
「なんでもないって顔じゃ……」
「キースは?」
「は?」
「キースは、なんだったの?」
「……は?」
「バース、性」 「……なにって、俺なんざβだよ、β。優等生様とはやっぱり違うんだよ」
「……っ」
 素直にそう答えれば、ディノは泣きそうな顔をした。
「……ディノ……?」
「どうしたんだ、ディノ」
「……おれ、」
「……」
「……」
 キースは、ディノのことが好きだった。
「2人に黙ってたけど……」
 それは人として、友達として、そして、
「……おめが、なんだ……」


――――――――恋愛対象、として。


「…………え」
「ごめん、気持ち悪いよね」
「いや、え、は?」
「……そんなことはない」
 そう言うブラッドに対して、キースはディノに何も言えなかった。
 そっと優しく慰めるブラッドに対してキースは立ちすくむ他なかった。
 ぐにゃりと、地面が歪んだ。
 Ωの相手は、α。
 そんなものは誰だって知っている。
 だから、否、だからこそ、キースは考えたくもなかった。
 ディノがΩだとか、αの可能性を。
 自分と同じだと信じたかったのだ。


 だって、そうじゃなければ自分はディノと結ばれる可能性なんて一つも無いのだから、と。


 そして、何よりも、今、ディノを慰めている男はディノと幸せになれる権利のある男だということに。