Asphodelus

 どうしてこんなに辛くて苦しくて悲しいんだろう。
 殴られた頬を抑えながら、『   』は静かに涙を流した。
 名前は知らない。
 呼ぶ人間はいない。
 番号で呼ばれて、出荷されるだけの商品だ。
 親に棄てられたのか、あるいは親が殺されたのか。
 自分の家族なんてものは解らない。
 だって、自分が何で産まれたのかも解らないのだから。


「ったく、他の商品みたいに、泣くだけならいいが、コイツときたら反抗的で困る」
「おい、あんまり傷つけるんじゃねえぞ。そいつは目玉商品なんだからな!」


 意味は解らないが、少年は加虐心を煽る才能があったのか、牢屋の中で殴られる事、蹴られる事が多々あった。
 商品にそんなことをすれば大抵が大目玉を食らうところであるが、荒くれの男達は大体がその商品に同じ気持ちを抱いていた。
 最下層のドブネズミ達にとっては、その【生き人形】は喉から手が出るほど欲しくても、手に入らない商品だ。
 商品達は知らないが、彼らは棄てられたか、あるいは攫われた子どもがほとんどだった。
 0歳から7歳くらいの物心つく前の子どもを攫い、『孤児院』で育てる。
 最上級娼婦を育てる手腕と一緒だが、それと違うのは読み書きは教えず、食事はあまり育たないようにわずかだけ。
 反抗的ならば殴る蹴るは当たり前。
 女であれば齢7~13歳、男であれば大体齢7~10歳に出荷される。
 しかし、最悪なのは「育ちすぎる」と、安価に引き取られることだった。
 例えば、身長が育ちすぎると、「重労働用奴隷」として出荷される。
 まだ生きているだけマシ、と思うかもしれない。
 しかし、最悪なのはどれだけ出荷しても価格がつかない時だ。
 そうなるとやむを得ないため、臓器だけで売られる。
 パーツだけになるとそれなりに売れるらしく、肉は市場に、臓器は出荷、骨だけがゴミ捨て場に行く。
 それがいつものことだった。


 少年もいつそうなってもおかしくなかった。
 何故なら、孤児院の中で彼は最も反抗的だったからだ。
 孤児院なんて聞こえはいいが、【院長】の機嫌が悪ければ暴力を振るわれるのが常だ。
 少年は他の仲間を庇っていたこともあって、誰よりも殴られていた。
 しかし、幸か不幸か、少年は見目が良かった。
 絹のような美しい黄金の髪の毛。
 白い肌。
 小柄な体。
 極めつけはその蒼天と曇天を思わせるオッドアイ。
 孤児院の牢屋からショーケースの中に入れられ、少年は仲間達が売られていくのを見ていた。
 諦めるもの、泣き叫ぶモノ、舌を噛みしめ死のうとするもの――――
 窃盗品なのか、高価な調度品、工芸品、美術品。
 それらと共に、売り出される仲間達。


「お前を手放すのは本当に惜しいぜ」


 ゲスな目線と舌なめずりをする声。
「せいぜい、最後は高く売られてくれよ」
 そう言って、ショーケースがステージの真ん中へと出される。

「さぁさぁ、オークションも次の商品で終わり。今回のお目玉商品」
 暗闇から突如スポットライトが照らされて、少年は顔を顰める。
 仮面を付けた正体の解らない下劣な人種達が少年を値踏みする。
「それでは、100万から!」
「200万!」
「250万!」
「300万!」
「500万」
「750万!」
 何もかも嫌気が差す。
 諦めてたまるか。
 自分は、青空を、太陽を必ず見るのだ。
 神様なんて信じない。
 けれど、必ず、自分は掴んでみせる。
 『自由』を
「1000万!」
「に、2000万!」
 つり上がる値段。
 男達が嬉しそうな顔をするのが解る。
 かつて仲間達は金が上がると嬉しそうにしていた。
 それは、最後の自分の価値だからだ。
 余りにも低価格だと、自分にはそれしか価値がないのだと、最後の尊厳を踏み握られる。
 けれど、少年はどれだけ上がってもそれが自分の価値ではないのだと知っている。
 何も嬉しくはない。
「――――――1億」
 そう想った時だった。
 桁の違う、芯の通った声がしたのは。


「……」
「い、1億……で、出ました!1億、他にはいらっしゃいませんか?」
「…い、1億1000万だ!」
「っ…1億2000万よ!」
 男達にとってもそれは予想外だったのか、声が震えていた。
 誰ともなく、睨み付けていた目線を男に向けた。
「2億」
 男だけは何も微動だにしない。
「……に、2億5000万だ!」
「に、2億5000万!ほかに、ほかに――――――」
「―――3億」
 見た目は少年よりも少し年上の、けれどこの会場の誰よりも若い男に見えた。
 青年になりかけにも見えるし、少年にも見える。  


「さ、3億!3億で落札!」


 視線が交わり、仮面越しにでも、その男は美しいのだと解った。
 体中にまるで電撃が走ったかのように、心臓が高鳴る。
 直接、脳に何かが囁いた。
 その声を聞こうとするけれど、耳障りな声ですぐに聞こえなくなる。


「これにて、本日は閉店!閉店!」


 その声と共に、ショーケースがまたもや暗闇の中に運び込まれる。
 少年はケースから出されてつけている首輪の鎖を引っ張られて「こっちに来い」と言われた。
「おい」
「頭」
「そいつは3億の商品だぞ、丁重に扱え」
「っ……」
 なんども少年を痛めつけていた男はトップであろう男に言われて舌打ちをする。
 そこには、金さえあれば自分が買って少年を自分のモノにしたいという密かな欲望があったが、そんなことは許されない。
「……いや」
「頭?」
「お前には任せられん」
「っ……」
「オレが運ぶ」
「それは……」
「オレが運ぶ」
「……わかりました」
 そう言って、商品の価値を下げるような事はさすがトップだけあってしない。
 無理矢理鎖を引っ張るようなことはせずに、ボディガードなのだろうか、屈強な男を見て、顎で少年を差した。
「っ、離せ!」
 その言葉にびくともせずに男は運んでいく。
「静かにしろ。媚びればせいぜい可愛がって貰えるかもしれん」
「……っ」
 その言葉通りなのだろう。
 実際に、トップだけあって男は商品を自分で痛めつけるようなことはしなかったし、一定以上のオイタをする部下には自ら鉄槌を下していた。
 でもそれは優しいからではない。
 あくまで商品を傷つけることを許さなかったからだ。
 少年はそれでもどうにか離せと言うモノの、意味も無くただ運ばれていく。


「……っ」


 裏手に出て、月明かりを見た。
 窓の外にしかなかった美しい輝き。
 見慣れぬ輝きに少年は目を細めた。
「こちらが商品になります」
 頭の猫撫で声が聞こえる。
 仮面を外した男がそこには立っていた。
「オプションに鎖か檻がありますが……」
「いいよ、このまま連れて行くから」
「……っ」
 穏やかで優しい声。
 けれど、人間を買うような人間がろくでもないことを自分は知っている。
 強く睨み付けるが青年はただ笑うだけだ。
 後ろにいる眼帯をつけた男は何があっても対応出来るようにただこちらを見ていた。
 そっと下ろされる。
 孤児院の外は記憶にある限り初めてだった。


「……君の名前は?」
「……教える名前なんてねえ」
「……おいおい、口の利き方がなってねえガキだな」
「キース」
「はいはい」
 護衛役を窘め、それから青年は少年の目を見た。
 マゼンタの双眸が、少年を見ていた。
「……自分の名前、知らないの?」
「……っ」
 大体の人間はナマイキだ、と思われるだろう言葉を青年はちゃんと理解していた。
 少年はどう言えばいいのか解らずゆっくりと頷く。
「そう」
 所作、ひとつひとつが美しい男だった。
 細長い指先が少年の頬をなぞる。
「―――おチビちゃん」
「なっ……誰がチビだ!」
「えぇ、可愛くていい名前だと思うんだけど」
「……っ」
「それに、他に名前はないんでしょ?」
「……」
「俺はフェイス」
 嫌だ!と叫びたかったが、名前がないのは事実だし、呼ばれる名前がないのも面倒だ。
 今までのように番号で呼ばれるのはもっと嫌だった。
「フェイス・ビームス―――ちゃんと、覚えておいてね」
 吐息一つで誰もを虜に出来そうな色香。耳元で囁かれる声は体の芯が疼くような妖艶さを持っていた。


 おチビちゃん、と名付けられた少年だが、他の人間が同じ名前で呼ぶことはフェイスが嫌がったため、一応年少者という意味で「ジュニア」という名前がつけられた。
 フェイスの屋敷に連れて行かれて、ジュニアがまずされたことは、入浴だった。
「脱いで」と命令されて、ボロボロの洋服を全て脱がされた。
 なんてことをするのだ、と思ったが、骨と皮しかないようなジュニアの体では抵抗する事も出来ずになすがままにされた。
 孤児院にいる時には週に一度冷水を浴びせられるだけだったが、温かなお湯が降り注ぎ風呂桶にジュニアは入れられる。
「フェイス様、わたくしどもが…」
 そう使用人らしい人間が言うものの、「おチビちゃんは俺のだから」と言ってジュニアをゆっくりと風呂に入れた。
 屋敷についた時も、自分を買っていた組織などよりもずっと金持ちだ―――ということはすぐに理解した。
 なにせとんでもない広さと、出迎える使用人の数だ。
 しかしフェイスは気にする事は無くずいずいと風呂へとむかった。
 次に、風呂ですら大きい。
 更には金持ちでなければ使えないと言われているシャンプーやリンスなどといった洗髪剤がふんだんに使われる。
 フェイスは自らの手で泡を立ててジュニアの体を洗っていく。
 細すぎる体は、人によっては肉欲を抱くのかもしれないが、フェイスにとってはただ憐れみしか今は生まれない。
「おチビちゃんは、少し肉をつけたほうがいいね」
「……肉?」
「いっぱい、ごはんを食べようね、ってこと」
「……」
 その言葉にジュニアは顔を顰めた。
 ご飯、というのは今までジュニアにとって残飯しか与えられなかった。
 腐りかけの――――否、腐った食べ物を口に入れて、運がよければ腹を壊さない、よくて下痢。最悪は死ぬのだ。
 けれど、男は、フェイスは当たり前のようにご飯を食べようと言う。
「……」
 これは自分が男の『ペット』だからなのだろうか、と思う。
 ならば、飽きないように可愛く振る舞うのが正しいのかもしれない。
 けれど、ジュニアはそれを良しとはするタイプではなかった。
「おい」
「うん?」
「おれは、他の奴らみたいに、媚びを売ったりできねえぞ」
「……」
「買われておいてなんだけど、他の奴らのほうが良かったんじゃねえの」
「……面白い事言うね」
 そう言われても仕方ない。
 けれど、その通りなのだからしかたない。
 だって、ジュニアはフェイスに対して媚びを売ることも、ましてや役に立つこともできない。
 痛めつけられるかもしれないが、それならそれでしょうがない。
「……って、何脱いでるんだよ!」
「なにって、一緒に入るんだけど?」
「は?」
 そう言って、ジュニアを洗っている男は自分の着ている高価であろう服を脱ぎ捨てて、それからジュニアを入っている風呂へと入ってくる。
「……」
 自分と違って肉付きの良いその体は年齢がさほど変わらないだろうに、育ちの良さと、健康さの違いをこれでもかというほど理解させられる。
 細すぎるジュニアの体を引き寄せてそれから後ろから抱きしめられた。
「っ……」
「さっきの話だけど」
「……」
「俺はおチビちゃんがいいんだよ」
「……は?」
「別に愛想良くする必要とか、お行儀よくする必要なんてない。ただ、おチビちゃんが傍にいるだけでいいよ」
「……」
 嘘だ、と思う。
 けれど、男に言われると何故か信じたくなる。
「……」
 抱きしめられて心臓の音がどくんどくんと伝わる。
 何故鼓動がこんなにも早いのか、その理由をジュニアは知らない。
「……」
 どうせ行くところがないのだ。
 ならば、この男が自分を裏切るまでは此処にいてもいいのかもしれない、とは思った。
 どうせ、骨と皮だけならば逃げる事も出来ない。
 最悪、足の腱が切られてしまう奴隷もいると聞く。ならばある程度は管理下で大人しくしておいたほうがマシなのだろう、と結論づけて。
「……わかった」
「うん、いい子」
 そう言われて、額に口づけを送られる。
「……?」
 何をされたのか解らなくて、ジュニアは首を傾げた。
 その様子にフェイスは驚いたように目を丸くする。
 けれど、少しだけ納得した。
 カタログにはどの奴隷も幼少期から教育している、と書かれていた。
 つまりは、ジュニアは勿論、他の商品もほぼ全員が親の愛情を受けていないのだ、と。
「……明日、おチビちゃんの為の服を買いに行こうね」
 そう言って、風呂から出されると、少しだけ大きな服を着せられる。
 話を聞けば、フェイスの5年前に着た服だという。
 その頃何歳だったのか、と聞けば8歳と教えられてさすがに憤慨する。
「おチビちゃん、何歳?」
「た…っぶん、10歳」
「10歳……」
「……出荷されるのが、その年齢になったらだ、って言われてたから」
「……」
 その言葉にフェイスが口を閉ざす。
 代わりに抱きしめられた。
「……10歳にしては小さすぎない?」
「うるせえ!」
「早く大きくなってね、おチビちゃん」
「くっそ~!てめえを見下ろせるくらいまでデカくなってやる!」
「あはは、楽しみにしてるね」
「キィーーーー!」
 そうこうしているうちに運ばれてきた食事は見た事もないような豪華さで、はんばーぐ、と言われたその食べ物は今までジュニアが口にした何よりも美味しかった。
 体が受け付けなかったらどうしようかとフェイスは考えていたものの、そんな心配は杞憂で全て平らげた姿に頬を緩めた。
 穏やかな夜だった。
 当たり前のようにフェイスの寝床に運ばれて、「おやすみ」と言われた。
 殴られることも、蹴られることもない夜。
 最初は気まぐれに何かされるのでは、と思ったがフェイスは一度としてそんなことはしなかった。
 2人でも広すぎるそのベッドが余りにも柔らかすぎて寝心地が悪い。
 ジュニアはなんだか申し訳なくて起き上がった。
「……」
 広いその部屋はさまざまな調度品、美術品、工芸品があり、それのどれも高級品だということがジュニアにも解る。
 けれど、それらの持ち主である男はそのどれよりも美しかった。
 なんだか自分が隣にいるのが不釣り合いな気がして、ゆっくりと床に降りる。そして、そのままそこで寝る事にした。


「……」


 ごつごつとしていて体が軋む。
 寝心地は当たり前だが良い筈がない。
 目を閉じて、夢も何も見なければいい。
 そんな、夜だった。



「……」
 夜中、目を覚ますと、ベッドに一人きりなことに気付いた。
 ぼーっとする頭で体を起こすと同時に、今日の出来事を思い出す。
「っ…!」
『おチビちゃん』が逃げ出した、そう思ってベッドの横にあるベルを鳴らそうと思った瞬間だった。
「なんで?」
 床で眠っている姿を発見したのは。
「……」
 その姿に安心しつつもわけがわからなくて、とりあえずジュニアを持ち上げる。
「……」
 あまりにも小さいその体に対して庇護欲と衝動的に支配欲がかられる。
 すぐに自分のものにしたいと思いながらもそれでは彼を商品として扱っていた人間と同じだと思い、なんとか理性で耐える。
 自分の家の縄張りで闇オークションをする不届き者がいる、というのは聞いていた。
 あくまで調査だけでいい。それ以降はこちらでやるから、と兄と両親に言われて、適当に美術品でも眺めて帰ろうかな、と思っていた。
 高級ではあるけれども自分の持っているものよりもいくらか格式が下がるそれらをため息交じりに見ながら、やがて商品は人間へと変わっていく。
 悪趣味だが、裏社会ではよくあることだ。
 そこそこ可愛らしい少年少女は下衆な連中に買われていく。
 娼婦や愛人ならともかく、愛玩人形として飼われるかもしれないその末路に同情はするものの、助けようとは思わない。
 フェイス・ビームスが生きている世界はそういう世界だ。
 金と、欲望が蠢く世界。
 幼い頃からそういうものだと知っている以上、特に何をする気もなかった。
 過保護な家族は自分の手だけは汚さないようにしてくれているのは解っていたが、フェイスからしてみれば余計なお世話でしかない。
 自分は13歳という、裏社会では完全に大人として見なされる年齢なのだ。
 例え表社会では守られるべき子どもであっても、裏ではそうは言っていられない。
 それを理解しながらも、自分を光ある場所に行かせようとする兄とは大分疎遠になってしまったが。


 最後の商品も大したものではないのだろう、と思っていた。
 けれど、一目見た瞬間、心臓が鷲掴みされた。  


 ずっと、引き離されていた半身に巡り会えたような、乾いた喉を潤おうような、何ともいえない感覚。
 手を伸ばして、そして触れて、自分のモノにしなければならない。
 本能が、檻に閉じ込めて誰の目にも映らないようにしろ、と叫ぶ。
 他の誰の手にも触れさせるな、と。


 それを一目惚れ、と言うのだとすぐに理解した。


「……どうして逃げちゃったの」


 目の前にいる少年が自分の腕から離れたと解ると酷く不安になる。
 自分が嫌になったのか、と思うが、それならば逃げ出すだろう。
 ならば、どうして、と思う。
「……ちっちゃい」
 10歳のこども、ということを考慮しても細いし小さすぎる。
 その事実が彼がどれだけ虐げられていたのか嫌でも理解してしまう。
「……」
 フェイスは改めてベッドにジュニアを招き、体温を分け与えるように抱きしめた。
 温かなぬくもりと、その痩せすぎている体はあまりにもアンバランスすぎて、フェイスは抱きしめる腕の力を更に強めた。



 
 まず自分を買った男はおかしい、と気付いたのはすぐだった。
 自分を膝に乗せて食事を取らせようとする。
 孤児院ではそんなことなかったのでさすがにおかしいと思って聞いて見た。
 すると「おチビちゃんは知らないかもしれないけど、家族はこうやって食べるんだよ」と言われて、驚いた。  だって、奴隷を家族だなんていうのはおかしい。
 孤児院の扉の向こうに行って帰った来なかった人間がどういう扱いを受けているのかはさすがにジュニアも知らない。
 けれど、ろくな扱いを受けていないということだけは解る。
 温かな風呂、美味しい食事、ふかふかの寝床、肌触りのよい服。
 どれも、一介の奴隷に与えるものではないくらい、ジュニアだって解る。
「家族って……おれの兄ちゃんにでもなるのか?」
 家族という組織が親と子からなること。こどもは兄や姉、妹、弟に分けられるということは知識で知っていた。
 だから素直に聞けば、フェイスは驚いて、
「……おチビちゃんを弟に……?」
「家族ってそういうものなんじゃねえの…?」
「……いや、そういうつもりは一つもなかったけど……」
「そ、そうなのか……」
 少しだけ残念だった。少しだけ、ほんのすこーしだけだけど、自分にも兄がいたらいいな、と思っていたから。
「まぁ、おチビちゃんがもう少し大人になったらね」
「……大人にならないと家族になれないのか?」
「俺はいますぐなりたいんだけど、法律とか、世間体とか色々うるさいんだよ」
「そうなのか……」
 家族になるのって大変なんだな、と思った。
「まぁ、でもそれは外の世界の話だから、この屋敷では俺とおチビちゃんは家族だから大丈夫だよ」
「……ふーん」
 よく解らないが、そういうものらしい。
「さ、おチビちゃん、いこうか」
 食事が終わるとジュニアはフェイスに抱きかかえられる。
 フェイスはジュニアを抱きかかえて運ぶのは好きだった。
 でも、これはジュニアのことをフェイスが気に入っているとか、人形扱いしているから、とかそういうものではない。
 単純に、ジュニアの足の筋力がなさすぎるのだ。
 孤児院―――あくまで商品の管理を行うための小さな小屋で育てられた子ども達はそこまで歩く事は無い。
 重労働用の奴隷ならば別だろうが、あくまで性奴隷や愛玩用として出荷される商品に筋力はいらない。
 むしろ、逃亡しないように筋力をわざと落としておくことが多い。
 それでもジュニアはまだ良かったと言える。
 酷い扱いであれば、足の腱を切って二度と歩けないようにする。あくまで性処理の為の機能と美しい顔さえあればいい、と思う人間は少なくない。
 それに比べればジュニアは訓練さえすれば普通に歩けるようになる、と来て翌日、連れてきた医者に言われた。
 すぐ疲れてしまうせいで、そんなに歩く事はできないがフェイスの仕事の空き時間に、フェイスが買ってくれた靴を履いて、庭園で歩くことがすぐに好きになった。
 毎日歩こうね、と言われて嬉しくなった。
 その通り、来て三日目にもジュニアを連れて、フェイスは庭園を散歩してくれた。
 うまくあるけなくて何度もしがみついてしまったけれどもそれでもフェイスはただ笑っていた。
 そんなフェイスが周囲から出がらし、と言われるほど出来が悪い、と知ったのはその日の夜のことだった。
 行きたくも無いパーティがあるのだ、と言っていた。
「おチビちゃんと一緒に居る方がずっと大事なのに」と言う彼にキースが困った顔をしていたので、「いってやれよ」と送り出した。
 余談だが、家族は別に膝の上に乗せてご飯を食べないということを知ったのも、ジュニアの名前がジュニア・ビームスになったのも、フェイスがジュニアにクソ主人と呼ばれるようになったのもこの男のせいというかお陰なのだが、それはまた別の話である。
 まぁ、そんなこんなでパーティが開かれているのをこっそりと見た。
 フェイスがいないことがなんだか落ち着かなくて、でもすることもないため、ここからフェイスが見えたら良いな、と思っただけだった。
 フェイスの部屋―――ジュニアとフェイスが暮らす別邸は本邸から少し離れた左郭にあるものの、パーティの規模が大きいのかここからでも見えるし、人が近くに見えるのが解る。
 客人が話し声が聞こえた。
 フェイスを待って、バルコニーから中庭を見ていると、知らない人間が話しているのを聞こえたのだ。
「ブラッド様に比べて、本当に弟であるフェイス様は出来が悪い」
「あれでは当主様も不安でしょうな……」
 下品な笑みを浮かべる人間がフェイスを馬鹿にしているのだけは解る。
 声を荒げようとした時、
「最近ではフェイス坊ちゃまは、見目麗しい生き人形に夢中だそうで」
「ほう、それはそれは」
「なんでも生き人形を可愛がって、『人間』扱いしているそうで」
「……っ」
 フェイス――――『クソ主人』が変人であるということはジュニアにも知っている。
 けれど、自分のせいでこうも悪い言われているという事実を目の当たりにしてしまった。
「買ったのは三日前ですが、すでに何千もする装飾品を買い与えてるとか」
「そんな、ペットに対して……」
「フェイス坊ちゃまは、狂ってらっしゃる」
 そう言った瞬間、客人達がこちらを見たのが解った。
「……っ」
 はじめは驚愕。
 けれど、次に欲望の目で見つめられる。
 白い肌に絹のような金色の髪の毛。遠目から見ても整っていると解る、その”美猫”を見て、客人は息を呑んだ。
 まだ幼すぎる体つきではあるが、あと数年もすれば絶美な青年になることは間違いないとわかる。
 ジュニアはその目つきが恐くなって、慌ててバルコニーから部屋の中に戻って、すぐに扉を閉めた。
 数歩歩くだけで、疲れる足を忌々しく思いながらも、主人のいないベッドに戻る。


「……」


 けれどやはり落ち着かない。
 フェイスはジュニアを宝物のように扱うが、自分はそこまでたいそうな人間ではないと解っている。
 ふかふかのベッドにいると勘違いしてしまうんじゃないかと思う。
 胸の奥が温かくて、どきどきと苦しくて、でもそれをなんと言うのかは解らない。
 いつ棄てられてもいいように、覚悟だけはしておかなきゃいけない。
 あるいは、殴ったり蹴ったりされても、自分の心が壊れないように。


「……」
 床の固さが落ち着く。
 目を閉じると、なんだか眠気が襲ってくる。

 カツカツと響く足音と、ドアの開く音。
「……また、床で寝てるし……」
 それから感じるぬくもり。
 このぬくもりへの気持ちを、ジュニアはなんて言うのか知らなかった。  


   

ハロウィンまでに間に合わせたかった長編のはじまり
来年の10月までには終わらせたいですね……///