映画や小説なんかではよくある展開で。
親友が死んだ男と、兄を喪った弟あるいは妹がお互いに男の死を乗り換える為に支え合って、恋に堕ちて、最後にはハッピーエンドになるだなんて、そんな陳腐すぎるお約束。
けれど、そんなお約束は俺達には訪れなかった。
|朔太郎《親友》を喪った風太の悲しみは思った以上に深かったからなのか、あるいは余りにも弟馬鹿だった朔太郎がこれ以上風太が悲しまないようにと思って自分に関する辛い記憶を奪っていったのか―――
悲しみを喪った風太は、以前と続いているようで違う、まるでバラバラにして、無理矢理つなぎ合わせたような歪なものになってしまった。
けれど、そうしてしまったのおは、朔太郎との約束を破ってしまった自分だ。
何度も膝が土を舐めた。
瞼の裏に笑った顔が離れない。
それでも、耳元から何故、あの約束を忘れてしまったのか。
もしも、俺があの約束を覚えていたのなら、
『絋兄ちゃん!』
ちゃんと悲しみを乗り越えて、眩しい太陽のような笑顔を今も見せてくれてたんだろうか。
風太が悲しい思いをしなくて、例え壊れかけだとしても笑っていてくれているだけで幸せな筈なのに、心のどこかでこの痛みを共有したいと思ってしまう。
朔太郎の死という苦しみを鏡に移したかのように、風太に自分の感情を理解してほしいと願ってしまう。
でも、そんなことをするわけにはいかない。
それは朔太郎との約束を破ることになる。
―――風太の『楽しい』を守る。
朔太郎の願い。
それを叶える事こそが俺にとって正しい筈で、その為ならどんな泥だらけの道だって進み続けるべきなのに、時折、自分を見つめる岬の、あおいの、大和の綺麗な目を見るのが辛くなる。
風太を解放させてやれと、お前の自己満足に付き合わせるなと言われているようだ。
でも、きっと記憶を取り戻したなら、俺は風太の手を握って、そしてどうか自分の悲しみを一緒に分かち合いたいと願ってしまうんだ。
どう足掻いても自分勝手で、風太の事を振り回すしかない。
鏡に映った存在が風太なのだと、解っているのに勘違いし続けて、その鏡が歪みきっているから悲しみの周波数はけして合致することは永遠にない。
それでいいんだと言い聞かせて歩き続けるしかない。
でも、どうしてだろう。足が竦んで時折歩けなくなるんだ。
これで間違ってなんていないのに。
鏡を見れば、歪んでいるのか答えはけして写さない。
俺は、自分の顔すらもう見えないんだ