雨と、辛口と、口づけと

「……」
 突然の土砂降りに風太は顔を顰めた。
 正直、雨は絋平も好きではない。それは、お互いに共有しているトラウマや、過去からのものだ。
 絋平とて、風太のように体に力が入らないというほどの重症ではないものの、余り好きではない、というのは十分だった。
「あおいも岬も大和も泊まってくるってさ」
「それは寂しかね……」
 そう言って、床に座った絋平に風太がゆっくりと近づいてくる。
 ぎゅっと握られた服の裾に苦笑しながら絋平は風太に手を回した。
「仕方ないさ、明日、雨が上がったら3人を迎えに行こう」
「そうやね……」
 しおらしい風太に何かしてあげられないだろうか、と思いながら絋平は手を伸ばす。
 先程、雨だから気をつけてと大家さんから貰った飲み物だ。
 この前在庫がくれた飲み物がどうやら一本だけまだ残っていたらしく、絋平にくれた。
 結局あの時は他の皆が全部飲んでしまったので飲めなかったものだった。
 絋平は風太に苦笑しながら、栓を取ってそのまま瓶の飲み口に唇を触れさせた。
「……」
 舌先にジンジャーのピリッとした辛みを感じた。そしてそのまま喉の音を立てて食道へと落ちていく。
「……風太」
「絋兄ちゃん?」
 頭がすっきりして気分が良い。
 隣を見れば腕の中には誰よりも可愛がってる、大切で守りたい子がいた。
 キラキラとした空色の瞳には自分だけが映っている。
「風太~~~~~」
「ちょ、な、なんで?って、それはっ」
 風太は慌てて顔をあげれば絋平が先程まで手にしていた瓶は少し前に騒がせた『あの』炭酸飲料だった。
「あいつらがいなくて寂しいだろうが、兄ちゃんがいるからな、安心しろ」
「……こ、絋兄ちゃん…」
 風太はどうして、なんで、処分したはずでは、と雨のせいで鈍い頭を動かして、どうしてアレがココにあるのか必死に考えるが、まさかあの後更に貰ったという答えにたどり着けない。
 おそらく、あおいや岬がこの場にいても同じであっただろう。それに、問題は何故ココにあるか、ではなくこれからどうすべきか、だった。
 あおいや岬に言ったことがなかったが、実は長崎にいたときも何度かあった。
 大学の友人など、この体質を知らない人物ならまだいい。酔っ払いと同じで、絋平には悪い癖があるくらいで済むし、極度に辛いものでなけれは平気だからだ。 
 しかし、問題は絋平の家族や、自分の家族と一緒の時だった。
 早坂家では当然辛口のカレーを食べる。更に激辛プリンも食べる。
 電話が来て、家族が出たと思うと、『風太、絋平くんがカレーば食べたけんこっちに来るごたーばい』などと言われて家に突撃された気持ちが解るだろうか。
 今のように上機嫌になって、風太の部屋に入ってぎゅうぎゅうに抱きついたり、頭や頬をなで続けるのだ。
 それだけならいい。
 あおいや岬、そして大和の前ではそれだけで済む。
 問題はここからだった。
「風太、具合悪いのか?」
「っ……、だ、大丈夫ばい!」
「無理すんな、雨は嫌いだもんな」
 普段は怪力なのに、風太にだけは優しく接してくれる。まるで卵に触れるかのように、壊れないように大切にされていると解る。
 実際、岬やあおいには少しだけキツくなるのに、風太には優しいのだから一見害がないように見える。
 第三者がいないから恥ずかしい、も我慢出来る。
 けれど、
「っ……!」
 これだ。
 絋平がアニキモードになって、何度目かの時。カレーを食べて、家にやってきた時だった。
 風太の部屋で絋平はキスしてきた。
「ん、んんっ…」
 しかも、映画のような触れるだけのものではなく、今のように舌を口の中にいれて、水音が鳴り響くようにクチュクチュと嬲られた。
「こ、こうに、んっ……」
 苦しくて胸をドンドンと叩けば、満足したのか、あるいは風太が苦しいのが解っているからなのか絋平の顔がゆっくりと糸を引いて離れていく。
「安心しろよ、風太。兄ちゃんが守ってやるからな!」
「全然安心できんばい……」
 先程から心臓が鳴り響いて仕方ない。でも、一番腹が立つのは血の気が引けば全部忘れているということだ。
 好きだと言っても、ずっと一緒にいてくれると言われても、きっと絋平は忘れている。
 そして、全部与えられるのは彼が自分の『兄ちゃん』だからということくらい風太だって知ってる。
 みんなに平等、優しい『兄』。
 それが早坂絋平だ。
 だから、風太は絋平が大好きで、大切で、でも、自分を特別になんてしてくれない。
 雨音が耳に響く。
「どうかしたのか、風太。泣いて」
「絋兄ちゃんのせいばい!」
「俺の……?そうか、よーし、よしよしよし、撫でて欲しかったんだな?」
「……」
「本当、風太は小さい頃から可愛くて甘えん坊だからな。もっと兄ちゃんに甘えてもいいんだぞ」
「……」
「2人っきりだもんな、久しぶりに一緒にお風呂に入って体を流しあっこでもするか?それとも……」
「別にそりゃいらん。それよりも、きついけ、ん一緒に寝たかばい」
「……っ、風太は本当に可愛いな!」
 そう言って、絋平は自分の頬をこれでもかというほど風太に擦り付けてくる。
 ああ、目も当てられない……と大好きな人の変貌っぷりに風太はげっそりしながら、ちらりとテーブルを見る。
 そこにはセロファンで包まれた小さなチョコレートがある。それに手を伸ばそうとしたが、
「っ」
 手は空振り、そのままひょいとお姫様抱っこされて、絋平の部屋に連れて行かれる。
「っ……」
「一緒に寝るのなんて、久しぶりだな!風太!」
「そ、そうたいね……」
 自分の部屋と違って整頓された絋平の部屋のベッドにゆっくりと下ろされて、それから抱きかかえ直される。
 ああ、雨音が聞こえて仕方ない。
「おやすみ、風太」
 そう言って、ちゅっと音を立ててまたキスを、でも触れるだけのものをされた。
「……」
 なんてはた迷惑なんだろうと思う。
 けれど、お陰で、バケツをひっくり返したようなこの土砂降りも気にならない。



「お前のことは、絶対に俺が守ってやるからな」


 絋平が抱きしめてくれて囁いてくれるその言葉。
 何一つ覚えてないけど、それだけは本当だと解る。信じて疑わない。どうせ、目を覚ましたら何も覚えてないのに。
 ああ、もう面倒だ。寝てしまおうと目を閉じる。
「……」
 絋平が何が楽しいのかくすくすと笑う声のお陰か、少しだけ嫌な気持ちがなくなる。
 雨は、まだ降り止まない。
 薄れゆく意識の中、唇だけじゃない場所にも絋平の唇の感触がした、気が、した。