永遠の祈り

   その場所にいる風太を一度しか見たことがない。
 幼馴染だから、という理由で特別にその場にいることが許された。
 目まぐるしく、くるくると変わる表情から感情というものが一つも抜け落ちて、風太はただ宙を見つめていた。
「風太」
「……」
 読んでも返事をしないその幼馴染。
 いつもなら風太の家族が、気を遣って絋平に説明してくれるが、さすがに自分の息子が、孫息子が死んでしまってはそんな余裕はないのだろう。
 絋平は骨になった親友に気が動転する。
 だが、それ以上に隣にいた風太がぴくりと反応した。
「風太……っ」
「うっ……うぅぅ……」
 ぽろぽろと口を押えて泣くその背中をそっと支えた。
 風太の祖母が近づいてきて、「無理せんでよか」と口にして、それから絋平にお礼を言う。けれどその顔も目は赤かった。
 泣きはらしたその顔。
 当たり前だ。優しくて弟想いだった彼の死を悲しまなかった人間などいるだろうか。
 腕の中で泣きじゃくる風太。
 その姿に絋平も涙が溢れ出た。
 どうして、なんで、そればかりが頭に浮かんでは消えていく。



 風太は結局、小さな壺に収められていく兄を直視できずにいた。
 そして、絋平も受け入れられなかった。
 こんないいやつが、親友が死んでしまったことを受け入れられなくて、荒れた。


 きっかけなんて本当に大したことじゃなかった。
 難癖つけられて、それが気に入らなかったんだったか、あるいは弱いものいじめしているやつが目について、それを助けようとしたんだったか、理由なんて思い出せない。
 ただ確かなのは早坂絋平は荒れた。
 喧嘩上等、入部した軽音部にも行かなくなった。
 音楽だけは変わらず好きだったが、それでも、以前のように夢を見ることはやめた。
 親友と語った夢。
 その夢はもう叶うことはない。
 今でもこの時のことを後悔している。
 自分は荒れている場合じゃなかったのだと。
 親友がいなくなって、渇望を潤わせようと自分は一番すべきじゃなかったことをした。
「絋にい!」
「……あおいと岬?」
 高校二年の時だった。
 地元では少し名の知れたヤンキーになっていた絋平に声をかける人物なんてめったにもういない。
 両親だけは「そういうときもあるだろう」と温かい目で見守っていたが。
「てめえら、なんの用だ」
 以前ならこんな風に二人に話かけることなんてなかった。けれど荒れてしまった絋平に周囲に優しくする余裕などなかった。
 『サクタロー』がいたならたしなめてくれたかもしれない。けれど、今の絋平を止められる人物なんていなかった。
 変わり果てた絋平の姿にあおいが泣きそうになる。岬も怯んだような顔をしていた。
「あ、あの」
「あァ?」
「…ふ、風太が」
「風太?」
 ただ、目を覚まさせるきっかけだけは唯一あった。
 荒れ果てた自分が、唯一未だ守らなければならないと思うもの。
 幼い頃の自分をヒーローだと言ってくれて、いつも後ろを追いかけ続けてくれた幼馴染み。親友が残したもの。そして、自分のとっては初恋のーーー



 2人に言われて、神ノ島家に向かった。
 荒れた絋平に最初は驚いたものの、通されたその部屋にいた風太に絋平は目をしかめた。
 そして、自分は今まで何をしていたんだと思った。
 うつろなまなざしでどこかを見つめている風太。
「風太……」
 ああ、自分は間違えたのだ、と思った。
 喧嘩なんてしてる場合じゃなかった。
 本当に守らなければならない存在は、あの時腕の中にあったのに。
「風太」
 頬を包むとゆっくりと口が開く。
「絋兄ちゃん……」
「……」
「兄ちゃんは、さくたろーがおると?」
「……っ」
「どこに、どこに隠れと?」
「っ…!」
 風太は兄が大好きだった。否、今でも大好きだ。
 そして、その死を受け入れられずにそのまま壊れてしまった。


 本来、死んだのだと受け入れさせたほうがいいことくらいわかってる。
 でも、それでも、
「サクタローはここにいるだろ……?」
「ここ?」
「ああ、風太のそばにいる」
 そう言って、風太はきょろきょろと見まわした。
 そして、風太は手元にあったもの―――兄の形見、いつも二人で吹いていた、兄からのプレゼントのサックスを見て、
「サクタロー?」
「……っ」
「本当や、サクタローがおった!」
 そう言った。
「……っ」
「絋兄ちゃん、サクタローばい!見て、おったと!」
 そう言って、風太はサックスを嬉しそうに絋平へと見せる。
 でも、風太がそういうのなら、これは紛れもなく『サクタロー』なのだ。つらいなら忘れたっていい。それで笑えるのなら、それでいいじゃないか。


 これは自分にとっての罰だと思った。
 夢を捨てて、人を傷つけることをよしとした自分への。
 壊れた風太はもう戻らない。
 でも、もうこれ以上、風太から何も奪わせない。これからはずっと守って見せると誓う。
 あの月に誓おう、絶対に二度と間違えないと。
 たとえこれが偽りの、昔のような純粋な太陽を思わせる笑顔じゃないとわかっていても、それでもよかった。


「ああ、よかったな」


 自分のすべてを風太に捧げよう、全部あげよう。
 その代わり、ずっと笑っていてくれ、風太。
 この手を二度と離したりしないから。