ウソツキ

 風船をそっと渡す。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「気ばつくるたい」
「うん!」
 風船を渡すと仲良い兄弟なのだろう、小さな兄が弟にそっと手渡す。
 あれから、駄菓子屋を時折手伝う事があって、その度に夫婦に「元気がよくていいねぇ」と言われて風太は甘えている。
 最近繁盛しているからなのか、風船を作って来た子に配っているのだと言う。
 いつものように遊びに来たら、少しだけ店番をしていてほしいと言われて風太は二つ返事で頷いた。
 そして、目の前の兄弟がやってきた。
 似た顔をしている兄弟は、同じくらいの年齢なのに兄は大人びていて、弟は幼い顔立ちをしていた。
 兄の優しげな瞳は弟を大切にしているのだと何よりも雄弁に語っていて、弟が兄に向ける笑顔もこれ以上ないほど嬉しそうだった。
 それだけで誰もが仲の良い兄弟なのだと解る。
「わーい!」
 弟であろう少年が嬉しそうに風船を持って走り出す。
 「気をつけろよ!」と言って追いかける兄。楽しい、幸せそうな光景。それを見ていた風太も微笑んで見守っていた。
 けれど、
「あ」
 石につまずいて男の子が転んだ。
「大丈夫か?」
「……っ」
 男の子は泣くかと思ったが、でも笑って「大丈夫!」と笑う。
 だが、空へ風船が浮かんでいくのを見て泣きそうになる。
 風太が大丈夫だろうか、もう一個あげようかと思っていると、兄である少年がため息をついて、それから笑った。
「……しょうがないなぁ」
「兄ちゃん?」
「ほら、もう転ぶなよ」
「……っ!ありがとう!」
「……」 
 そう言って笑う兄弟。
 微笑ましい筈なのに、何故だろう。
 風太の心は「楽しい」筈なのに、何故かざわつく。
 自分も同じ事があったような気がする。
 そうだ、家族で買い物に行って、それから風船を強請った気がする。
 それで……浮かんだ風船。
 あの時、泣いた自分を慰めてくれたのは誰だっただろうか。
 誰か、誰かが、
「風太」
「……っ」
 呼ばれる声に風太は慌てて反応する。
「絋兄ちゃん!」
 意識を取り戻し、風太はいつもの笑顔を浮かべた。
「どうかしたのか?」
「なんでもなか!仲の良い兄弟を見とっただけたい!」
「……」
「弟ん子が転んで、無うした風船ばお兄ちゃんが渡しとったたい」
「そうか」
「それば見とったら、なんか懐かしか気持ちになったたい」
「風太」
「オレも昔、同じような事があったよかね……あの時は風船ば誰がくれたんやったか……」
「……」
「う~ん……考えてん思い出せんたい!」
「まぁ、昔の事だからな」
「そやね」
 そう言って風太は先程の疑問をなかったかのように笑う。
 風太の言う『誰か』が誰なのか本当は知っている。
 自分たちがしていることは間違ってはいないけれど、正しくもないことも。
 誰だって嘘つきは嫌だ。
 嘘をついて生きていくことなんてしたくない。
 けれど、それ以上に大切なものを失いたくないし、壊したくない。
 本当はわかってる。
 風太の脳が、意識が、ふとした時に『真実』を思い出そうと必死で「誰か」なのか、「本当」なのか思い出そうとするのだ。
 そして、絋平は、岬は、あおいはそれを思い出させないように嘘を塗り固める。
 こうやって風太を守るのが風太のためだと自分たちを言い聞かせて。
 本当はわかっている。
 これはエゴだ。
 大切な人を失って、風太を失いたくない自分たちがしている事。
 この関係は強固に見えて、実際は、風太が今手にしている風船のようにふわふわとどこかへ行ってしまうし、簡単に割れてしまう。
 だから必死で絋平は割れないように守るしかない。
 酸素を注ぎ込んで、割れないよう、萎まないように。
「……絋兄ちゃん?」
「うん、どうした?」
「なんか元気がなかとね。大丈夫たい?」
「……大丈夫だよ」
 風太が望むならどんなことがあっても笑っていよう。
 たとえ、自分の秘めた思いを殺すことだとしても。
 それは風太の望むことじゃないと知っているのだから。
「本当と?」
「疑り深いな、どうした?」
「だって、絋兄ちゃんはいつも無理するけん」
「……」
「何かあるなら、話してほしか」
 嘘一つない瞳。
 その綺麗な空色の瞳が大好きで、大切で、同時に絋平にとっては酷く恐ろしかった。
「……何もないよ」
「本当と?」
「本当だよ」
「……」
「今日は本当に疑り深いな。本当に何でも無いよ」
「……」
 嘘だ。
 でも騙されてくれ、いつもように。
「それならよか!」
「……」
「ばってん、本当に辛か時は自分にいってほしかと!」
「……ああ、その時は風太に言うよ」
「約束ばい!」
 そう言って小指を差し出してくる。
「……」
「ほら、絋兄ちゃんも」
「えっと、しないと駄目か?」
「勿論ばい!」
 そう言われて仕方ないと自分の指を絡ませる。
「ゆーびきり、げんまんー」
 風太の軽やかな声が聞こえる。
 自分は嘘つきだ。風太を守る為といいながら、嘘を重ねる。
 絋平はまた一つこれで嘘をつく。

 本当は、自分が風太のことを好きで、傍にいたいだけだと自分で解っていながら。
 『あいつ』との夢を叶える為に、風太を利用していると解っていながらも、全部守る為だと自分に言い聞かた。